人類共有の至宝・ワルターの『田園』
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ベートーヴェンの交響曲第6番『田園』は、ベートーヴェンの9曲の交響曲のうち、もっとものびやかで牧歌的な情緒をたたえた秀逸な作品として知られる。鋭角的なリスナーに緊張を強いるようなところがなく、心の安らぎが得られる作品である。
このブルーノ・ワルターの指揮するコロンビア交響楽団の『田園』は、数ある『田園』のレコード(CD)の中でも、もっともこの曲の特長にふさわしい歴史的名演である。ブルーノ・ワルターは20世紀を代表する巨匠のひとりで、戦前にはウィーン・フィルの音楽監督としてヨーロッパで活躍し、同オーケストラと録音した『田園』のレコード(モノラル・SP)も傑出した名演奏だったが、第二次大戦中にナチスの迫害を逃れてアメリカに移住し、一時ニューヨーク・フィルの音楽監督にも就任したが、晩年に至り、その比類のない才能を惜しんだCBSのプロデューサー、ジョン・マックルーアによって、ワルターのためのスタジオ・レコーディング・オーケストラを組織して、ベートーヴェンやモーツァルトなどの作品の録音を精力的に行なった。それが、このCDのコロンビア交響楽団で、“コロンビア”の名称はCBSの社名(コロンビア・ブロードキャスティング・システム)に由来する。
元来、ハリウッドやCBSのスタジオ・ミュージシャンの“寄り合い所帯”でスタートしたコロンビア交響楽団は、その伝統的音楽性の高さという見地からは、ウィーンやベルリン、アムステルダム、あるいはニューヨーク、ボストン、クリーブランド等、長年の伝統に支えられたオーケストラとは、そのレベルにおいてまったく比較にならないはずなのだが、ブルーノ・ワルターの指揮によって録音された数々の作品を聴くと、驚異的なことに、その磨き抜かれた音楽性の高さは、伝統的なシンフォニー・オーケストラのそれに比べて一歩もひけをとらない。これは、オーケストラを指揮するブルーノ・ワルターの、音楽とオーケストラに対するたぐいまれな愛情、ジョン・マックルーアの組織力・統率力、そして何よりもワルターの指揮に従う各ミュージシャンのワルターに寄せる敬愛と献身の賜物の成果であろう。
とにかく、こうしてワルターの名演の数々が、ステレオ録音として遺されたことは音楽ファンにとっては最上の贈り物であり、この『田園』もふくめて、将来にわたって受け継がれるべき、人類共有の至宝・財産と言うべきものである。
胸躍る演奏とはこのこと
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すごいカップリングのCDですね。 この2曲の演奏ならとりあえずこの一枚を買っておけば他にはいらないだろうというくらいのものです。 ワルターの奏でる“田園”といえばもう何十年も昔からこの曲の代名詞的存在。 黒澤明といえば“七人の侍”というようなもので、あらためて何か言うも野暮なのですが、第一楽章の出だしはもとより、私はとりわけ第三楽章の、まるでそれぞれの楽器が色とりどりの花をさかせているかのような至福の五分間を聴いていつも歓喜に身をよじっています。
交響曲第二番のほうは、“運命”や“田園”のように、誰もが口ずさめるメロディーというものが無く、それだけにこの曲の真価を伝えるのはひとえに演奏者の腕にかかっていると思うのですが、ワルター盤の演奏は第一楽章の出だしからぐいぐいとリスナーを引っ張っていきます。 希望に燃えた若者が朝の道を駆けていくといった風情の中間部は、これぞまさしくベートーヴェンという感じがします。 後の“英雄”や“第九”の萌芽らしき旋律も出てきます。 フィナーレは本当に胸躍る力強さ+爽やかさ。 第三、四楽章も基本的に同じ雰囲気の親しみやすい小曲ですが、特筆すべきは第二楽章。 まるでシューベルト?と思わせるかのようなロマンティシズム、それでいてその力強い造形力はまさしくベートーヴェンならではのものです。 “田園”の第三楽章もそうなのですが、ベートーヴェンの、さまざまな楽器の音色をよく生かしながら、実に重層的に音の大伽藍を組み立てていくオーケストレーションの妙技が、ワルターの演奏にかかるとあたかも目に見えるかのように伝わってきて、“そうか、これが交響曲の真髄なんだ!”と、思わず感嘆させられます。 とにかくまだお聴きになったことがない方には断然お薦めの一枚です。 これは見事な演奏ですよ。
カップリングが最高
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ワルターの代表盤として真っ先に浮かぶのが「田園」ですが、それではワルターの演奏したベートーヴェンで最高のものは、というと第2番になるでしょうか。充実感、力強さ、美しさどれをとっても最高です。ワルターのベートーヴェンをどれか1枚、と言われたら、このカップリングを選びたいと思います。