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ベートーヴェン:交響曲第9番

価格: ¥1,500
カテゴリ: CD
ブランド: EMIミュージック・ジャパン
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「この演奏を好きか」「嫌いか」私は大好き!他の第九は生温い緊張感の無い駄演に聞こえる。 ★★★★★
この演奏に対して我々日本人が誤解しているのは…あたかもバイロイト再開がヨーロッパの平和の象徴みたいに思われている訳だが…この祝祭はアメリカ帝国主義の示威行為に過ぎない。つまり「冷戦の開始」の象徴なんです(冷戦終結「ベルリンの壁崩壊」にも、この曲が演奏されたのは、そういう事なんですね)。だからフルトベングラーは、この演奏を「歓喜の歌」としては表現していない…彼が提示したのは「終わる事の無い不条理」なんです。彼はドイツ人の為に演奏したのであって、聴衆を「西ドイツ人」「東ドイツ人」と区別するつもりなど毛頭無かったはずですが…結果として彼の演奏を聴けないドイツ人が多くいた訳ですね。彼にしてみれば「ナチスはドイツ人を不幸にした」「アメリカやソビエトもまたドイツ人を不幸にした」と言う事ですね。

彼の表現した「大いなる混乱」の中でシュワルツコップの畢生の名唱は輝いてます…素晴らしいですね。

この時期の第九で完璧な演奏を探しているのであれば、1948年録音のカラヤン指揮ウィーンフィルなど如何でしょう。バイロイトでは少し弱い男性ソリストもパツァーク、ホッターと一流だし、オケも最高で指揮も優秀、大変な名演だと思うんだが…私にはオペラにしか聞こえないんだね。残念ながら…
ベートーベン第9の不滅の名盤ではなかったの? ★★★★☆
最近クラシックとはやや距離を置いていたので、このバイロイト録音に別バージョンがあることをここのレビューで知った。

ただ、歴史的には本盤が第9の不滅盤だということで、長く評価されてきた。
そのことには敬意を表し☆4つとしたい。

やはり、フィナーレの奏者もたじろぐアッチェランドは圧巻だ。
音源問題が残念 ★★★☆☆
この演奏と異なる同じ日付の音源がバイエルン放送にあり輸入盤として発売されている。本盤は編集の跡があり、ゲネプロとの編集の可能性があるといわれている。バイエルン盤は録音も自然で、コーダも決まっている。大部分が明らかに本盤とは別の演奏。このあとにあらためて本盤を聞くと、演奏前後の拍手も、有名なフェルマータの部分でのクレッシェンドなど不自然な部分が多いのは確か。本盤の演奏の価値が決して下がるわけではないが、戦後のバイロイト再開記念という歴史的意義のある不滅の金字塔ライブだっただけに、それに乗せられてきたのかと思うと残念です。バイエルン音源の演奏が聴けるようになったので是非そちらも聞いてほしい。
たぶん最も売れているフルトヴェングラーの第9 ★★★★★
EMIから出されたこの盤はレッグ氏が編集したもので、最も長く、そして最も販売されたものでしょう。編集の是非はともかく(今の価値観で、論評することはできないでしょう)、すばらしい名盤です。
その後、この51年バイロイト第9をもっと良く聴きたいという数多くのフルトヴェンヴラーファンの欲求から、音源探しやリマスタリングの活動が始まり、今に至っています。

私はこの作品からフルトヴェングラーにはまりましたし、聞き分けれるほどの耳の持ち主でもないので、今でも好きなCDです(むろん新音源や、新リマスタリングもすきですが)。

この第9はフルトヴェングラーの50年以上も昔の録音ですが、単にヒストリカルという価値を持つだけでなく、今出ている新譜の第9とも比較対象となる優れた演奏です。
安く手にはいるので、最初に第9を聴く人にも勧められます。

贋作『バイロイトの第九』 ★☆☆☆☆
バイエルン放送協会収録の「真正ライヴ」がリリースされた今となっては、EMI盤は「レッグ演出のバイロイトの第九」と称されるべきだ。

フルトヴェングラーの晩年の第九は、透徹した雰囲気がある(ルツェルンの第九はその端的な例)。「真正ライヴ」は、このEMI盤よりもずっと晩年のスタイルに近い。特に第1楽章は明らかに違う。EMI盤はプローベを中心に編集されたとされているが、そのため本番の境地に達しない粗さが目立つ。それを覇気と勘違いしている批評もあった。
第2楽章も違う部分がある。
第3楽章はほとんど違いがない。

第4楽章のvor Gottのクレッシェンドはプロデューサーのレッグが電気的に付加したものであることが分かる。本当の芸術家はこんなあざといことはしないものだ。
またEMI盤は一番最後の和音が完全に破綻しているが「真正ライヴ」はちゃんと弾いている。レッグはなぜこんな失敗した和音を採用したのか全く意図が分からない。

このCDは足音入りの拍手が入っている。これは日本のみのことだそうだ。しかし上記の通り、冒頭も最後も本番のものではない。ならば本当にこの公演での足音や拍手なのだろうか?演奏の編集と共に、フルトヴェングラーの真実を歪めていないのだろうか?