騙される場合の要素は3つだという。
★★★★★
騙される場合の要素は3つだという。
儲かる(欲)。
懐が甘い。
不勉強。
本当だろうか。裏をかくのが、騙す人の技術だ。
どれだけ勉強していても、その勉強をした人を騙す技術は存在する。
この本自体がニセモノではない根拠をしめせていないような気がした。
類似書
★★★☆☆
充分面白いのですが著者の旧著「ニセモノ師たち」にあったエピソード(とその変形バージョン?)も多く、また著者が骨董商をやめて間も無かったころの前書に較べるとどうしても少し甘い感じが否めないように思います。
教訓めいた物を求めるのならこちらのほうがわかりやすいのかもしれません。
おもしろいです
★★★★★
一気に読んでしまいました。面白かったので途中で知り合いにちょっと見せたら、読みふけってしまったので自分用にもう一冊買いました。軽く読める語り口も好きです。
ニセモノは必要悪?
★★★☆☆
テレビでおなじみの鑑定家によるニセモノ論。
著者自身が長く骨董屋を商ってきたため、
贋作に対しては素人の我々とは全く違う感覚と認識があるようだ。
骨董の世界では、だます方が常に悪者とは限らないという話は興味をひく。
そもそもニセモノとは、骨董屋同士で仕掛けるものであって、
素人をターゲットにしてつくるものではなかったらしい。
そしてそこでは「はめられた」方が未熟であるという論理が存在する。
しかし、それが素人相手には適用されないのは当然のことだ。
だから今のネットオークションに出品されるガラクタ
(贋作というレベルではないそうだ)は、悪質であるという。
それは何となくわかる。ヤクザがカタギに手を出すようなものだ。
しかしプロ相手にニセモノを売っても、
それはやがて素人の手に渡るのではないか。
ニセモノがニセモノとして格安で売られる限りは
それも許されよう。
だが、仕掛けて動き出したが最後、そのモノの行く末は誰にもわからないのだ。
一万円の贋作が、ある時本物として五千万円で売られる可能性を
常に否定できないではないか。
だから、著者のいうニセモノがあるからホンモノが生きるという論理は、
頭で理解できるが賛成はしない。
あるいは著者自身が明鏡止水とは言い切れないから歯切れが悪いのだろうか。
つまるところ、清濁併せ呑むくらいの懐の深さ(と懐具合)がなくては、
骨董の世界には足を踏み入れるべきでないという気がして、
遠い遠い世界に感じた。