絶対忘れないよ。
★☆☆☆☆
朝日がいままでやってきた日本および日本人に対する反日行為を絶対忘れないよ。
満州開拓団の壮行会を主催していた!!!
★★★★☆
■ 【見開き二頁で読み易い】
1931年に引き起こされた満州事変に始まり、’45年に敗
戦を迎えた大東亜戦争に至る凡そ15年間における朝日
の報道と新聞社という会社の社会文化活動を600ページ
の著書としたものです。「はしがき」にあるように「社会の
軋みと記者の身悶え」を表現したという、見開き2ページ
毎の小話にして、それぞれに写真を付け、文字も大き
く、文章も読み易い内容になっている。
■ 【ノモンハン事件の記述が無いが? 】
全編24章に分けられ、ほぼ時系列に章立てされている
が、時には次の章で時代が遡って、頭の体操にはよい
が、論点に戸惑いを感じる。何故か、’39年の満州での
物量が故に日本が敗北した「ノモンハン事件」の記述が
無い。ノモンハンでの敗北の反省があれば、二年後の
大東亜戦争開戦も無いとの俗説もある。朝日はノモンハ
ンを報道していなかったのかのだろうか?
■ 【満州開拓への提灯持ち 】
現在まで尾を引いている内容もありました。第九章「満
州開拓」です。’39年6月の「満蒙開拓青少年義勇団」の
壮行会の主催者が朝日新聞社だったことです。満州移
民は、’36年に政府によって500万人移送計画とされ、そ
の国策の提灯持ちを朝日はしていたのです。その他、満
州開拓関連の啓蒙書、小説の出版、、満蒙開拓の父と
された農本主義者の「朝日賞」授与(’41年)などです。
■ 【残留孤児支援への責任は? 】
45年ソ連参戦により、関東軍は持久戦を叫ぶ一方、幹
部家族は避難列車で早々に帰させ、20万の開拓団が残
されたことは、周知の事実です。往時の「壮行会」主催
の事実を知ると、現在の帰国残留孤児老後保障への取
組や、国家賠償支援原告団などへ朝日は、如何程に関
わっているのか?現在の残留孤児への取組み(支援活
動)を如何に継続しているかを知りたいものです。
『太平洋戦争と新聞』を読みましょう。
★☆☆☆☆
「私が小さい頃、祖父が口癖のように言っていたのを思い出します。朝日の論調が変わったら気をつけろ、と」。
この一文から始まるのでそれは徹底的に自分たちが書き散らした記事について痛烈な自己批判・総括が行われるものだと期待して頁をめくっていくと本当にガッカリさせられます。てっきり580頁もあるので、当時の新聞記事を歴史的資料として、この記事とこの記事が悪かったとそのまま転載して、そのうえで背景を分析、どこかどう間違っていたのかという具体的批判が行われるのかと思いきや、そこはおざなり。こんな記事を書きましたというだけで当時の威勢のいいスポニチ真っ青の見出しなどの資料が添付されていないために、「こんな考えをもっていた記者もいたのですが、結局だめでした」といった自己擁護がだらだらと続いているだけ。この程度の反省しかできずに今後、朝日新聞は堂々とうしろぐらいところなく民主と自由のためにペンの力でもって戦い続けられるのかと非常に暗い気持ちになりました。
少なくとも世論を煽りに煽って戦争突入への「空気」を作り出したのは、そういう記事が「売れた」という身も蓋もない事実、戦争で焼け太ったということを書かなければ説得力ゼロであります。
もしも、この手を手に取ろうと迷われている方がいらっしゃるなら『太平洋戦争と新聞』(著)前坂 俊之 をお勧めいたします。