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読んでいない本について堂々と語る方法

価格: ¥1,995
カテゴリ: 単行本
ブランド: 筑摩書房
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【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:ピエール・バイヤール/著 大浦康介/訳 出版社名:筑摩書房 発行年月:2008年11月 関連キーワード:ヨンデ イナイ ホン ニ ツイテ ドウドウ ト カタル ホウホウ よんで いない ほん に ついて どうどう と かたる ほうほう、 チクマシヨボウ 4604 ちくましよぼう 4604、 チクマシヨボウ 4604 ちくましよぼう 4604 欧米で話題沸騰“未読書コメント術”。本は読んでいなくてもコメントできる。いや、むしろ読んでいないほうがいいくらいだ…大胆不敵なテーゼをひっさげて、フランス論壇の鬼才が放つ世界的ベストセラー。これ一冊あれば、とっさのコメントも、レポートや小論文、「読書感想文」も、もう怖くない。 1 未読の諸段階(「読んでいない」にも色々あって…)(ぜんぜん読んだことのない本ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本人から聞いたことがある本 ほか)2 どんな状況でコメントするのか(大勢の人の前で教師
仕掛けだらけの不思議な本 ★★★★★
 我々が普段本と向かい合うとき、本を「完全に読む」ことも「全く読まない」ということもありえず、常に「読んだ」と「読んでいない」の間をさまよっている。読書というのは極めて曖昧かつ不安定な活動であり、教養があるということは、そのような曖昧な本と本を取り巻く言説の間を相互に関連づけ、方向づけることである、と著者は言う。だがそのような読書行為の持つ不安定性は、決してネガティブなものではなく、むしろそこにこそ、テクストや他人とのコミュニケーションにおいて独自性を発揮する開かれた可能性があるのである。

 例えばamazonの商品説明にある文章。
「本は読んでいなくてもコメントできる。いや、むしろ読んでいないほうがいいくらいだ……大胆不敵なテーゼをひっさげて、フランス論壇の鬼才が放つ世界的ベストセラー。」
 これを見たとき、「フランス論壇の鬼才」「世界的ベストセラー」という文句に反応しなかっただろうか?その瞬間にもう本の方向づけ、すなわち「読書」は始まっているのだ。いや、もっと言えばこの本の存在を認識したまさにその瞬間から、読者とこの本との対話がはじまっている。

 もちろんこのレビューもそうした営みの一貫である。この本のテーゼをそのまま受け取るならば、こういったレビューを読むことがあなたの読書の幅を規定し、狭めているかもしれない・・・。あるいは逆に、読者の創造性を促すものになるかもしれない。それは読者がこの本の内容にどう反応するかによるのである。
本書だけは読了してしまう(苦笑)魅惑の書 ★★★★★
 題名を見て、正直なハナシ、「そんな方法があれば……」と、「ワラにもすがる思いで」(笑)、本書を手に取った人も多いのではないか。なにを隠そう、私もその1人である。本の体裁を見ればわかるとおり、本書は、「実用書」ではない。れっきとしたテクスト論書である(ポストモダン系)。それも、著者の専門である、精神分析理論をもとに「論じている」。

 しかし考えてみれば、精神分析は、読書体験を論じるのに、かっこうの手法である。本書の読者は、あの、きわめてあいまいな、読書という体験を、すっきりと分析してもらえ、しかも、「そうか、これからも、しゃかりきになって読む必要はないんだ」と元気づけられる。そのうえ、矛盾するが、どんな難解な本にも挑戦してみようという勇気も与えられる。
 「読まない本について堂々と語っている」人たちの例が、巷のハウ・ツー本のような、そのへんのオジサン、オバサンではない。ポール・ヴァレリーだったり、モンテーニュだったりする。そうか、あの偉人も、そうであったか……。
 
 世のビジネス書は、速読だの多読だの、ごくろうなことである。これは、ひとえに、「読書体験」たるものの、認識が浅いからである。

 重箱型学者を嗤っているかのような胸のすくような本を書くのは、さすが、フランス人である。しかし、翻訳書であるかぎりは、どんなにすばらしい内容も、訳文ひとつでつまらなくもなる。本書がおもしろいのは、当然ながら、訳がいいからである。

 頭がよくなった(実際なっていると思う)ような気分になれて、すいすい読み進めてしまえて、これからは読んでない本についても堂々と語れる……こんな本を「誰にも教えたくない」(笑)と思うのは、どこかのレビュアーさんも書かれていたとおりである。バイヤール+大浦康介訳本は、ほかのも読んでみたくなる。


 
仕掛けが満載。いろんな読み方ができる本 ★★★★★
ずーーっと気になっていて、やっと読んだ。
いや、ほんとに「読んだ」と言えるんだろうか。

この本を読むと、いったい、「本を読む」というのが
どういうことなのか、よくわからなくなる。

今まで、かなり本を読んできたつもりだったけど、
たしかに、ほとんど忘れてしまっているし、
流し読みだったといわれれば、そんな気もする。

この本のなかには、

個別の書籍を知ろうとするのではなく、さまざまな書物のあいだの
「連絡」や「接続」(全体の見晴し)を知ろうとつとめるべき

といったような、本の読み方のアドバイス?のような
ものもあるし、

本をこきおろす方法、葬り去る方法なども、非常に奥が深い。

また、ある作家の本について語るとき、その本を評価していれば
しているほど、作家の心を傷つける可能性が高い
(そうしないためには、細部に言及せず、とにかく大まかにほめる!)
といった指摘なども、非常に興味深いし、

また、なにかを批評する場合、批評する対象物とはある一定の
距離をとること(客観的であること)が大切だとすると、これは、
この本で述べているように、書物についても一定の距離をとること
(=読まないこと?)も、たしかに重要なのかもしれない。


重要なのは書物についてではなく、自分自身について語ること、あるいは
書物をつうじて自分自身について語ることである(p211〜212)

怖れるべきは、素材とする作品を裏切ることではなく、自分自身を
裏切ることである(p212〜213)

読んでいない本についての言説は、この自己発見の可能性をも超えて、
われわれを創造的プロセスのただなかに置く(p213)

といった文章もあるが、まさしく著者は、この本で、これを実現している。

『薔薇の名前』を「読んでいない」僕は、最後まで著者の仕掛けに
気がつかなかった。

この本は、おそろしい本である。


ただ、1つだけ。著者の言う「流し読み」は、並大抵の流し読みでは
ないことは、まちがいない。

解釈とはなにか。 ★★★★★
この本がいい本である、ということは言うまでもないでしょう。内容に触れたいので、ネタバレ注意で。
・・・一言でいえば、著者の大きな意図のひとつは、本というものに対する解釈の多様性(ポリフォニー)を許容させ、それとともに「読者を自由にする」ということです。

「読書する主体」と本について「語る主体」とを分け、「語る主体の方が重要だ」という主張を展開し、そこからひるがえって読書(本)の重要性を説くのですから、その説得力は強烈です。

本当にわれわれを豊かにするのは何か、内奥の響きを聴くことができるのはどういう経験なのか、あえて「本」というものに結び付ける必要もないでしょう、そういうことを真剣に考えている人におすすめです。
独り占めしたかった名著 ★★★★★
こういう本は、できれば自分だけが読んでいる本であって欲しい。
本書は小説としても読めるし、他レビュアーの指摘にもあるようにテキスト論としても読める。にんまりほくそえんで密かに読んでいたいような、真にユーモアのあるラジカルな本である。

中身に就いては、この本に関する限り何も言わないほうがよかろうか?

ともかく、読んでいない本を語ることは、読んだ本を語ることより遥かに勤勉で困難な事業なのである。そんなことが出来る人は滅多にいない、かもしれない。評者は本書も最初の1行から最後の1行まで読んでしまったが。


ひとつだけ、岡田暁生著『音楽の聴き方』(中公新書)のなかに、本書の「内なる図書館」を使った秀逸な文章があったとだけ言っておこう。