"only one" と"one of them"
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同年代の広松渉や平田清明に比してメジャーではないかもしれないが、著者が戦後日本のマルクス研究、あるいは社会思想史研究にとって偉大なるアカデミッシャンであったことは、当該分野を志す現在のアカデミッシャンにとって異論はないだろう。
一言でいえば本書は、無批判かつ誇大にマルクスの偉大さを強調するのではなく、ヴァイトリングやヘスといった同時代人との応答、また当時の時代状況を勘案したマルクス研究といえる。「私はマルクスやエンゲルスの偉大さを否定しようというのではない。その逆である。彼らが偉大であったことは何度確認しても確認しすぎることはないであろう。しかし、それは学んで確認するということであって、学ばずして前提するものではない。こうしたあたりまえのことがこれまでのマルクス思想史研究のなかで必ずしも自覚されてこなかったように思われる。」(本書「あとがき」より)
だが、現代思想に惹かれつつマルクスを読み始めていた当時の私にとって驚きだったのは、むしろ本書に記された以下のことばである。「《Retung》・・・それは「救い出す」という意味の言葉である。・・・たとえ忘却され埋没せしめられることはなくとも、誤解され歪曲され、その意味で葬られる多くの思想もあるだろう。ときによっては、ひとたび葬り去られたものを掘り返し、現時点での光に照らしてみる必要もあるかもしれない。「公正」な評価基準を何度でもつくりなおす作業も思想史に課せられた任務なのである。「レットゥング」というのはその作業のことである。」(本書「あとがき」より)
いわゆるポストモダニズムやテクスト主義といった現代思想の「功」績の一つは、1971年に出版された本書において、「「公正」な評価基準を何度でも作りなおす作業」として既に示されている。テキストを「読む」ために、また(マルクスブームの?)現在において(真摯に)マルクスを再読するためのウォーミングアップとしても、本書を再読することは有用だと思う。ついでながら、著者の『ヘーゲル左派と初期マルクス』もオススメ。