江戸翠(みどり)は、フリーライターの母と祖母との3人暮らし。「ふつう」である翠に少し不満を持つ母を筆頭にして、家族はみな、どこか浮世離れした人々だ。ときどき「翠くんの生き血を吸いたくなるのよね」などと言う祖母。そして、翠の遺伝子上の父親で、ふらりと家にやってくる大鳥さん。一方で、親友の花田は「ものすごくシミシミした感じで」世界に溶けこんでしまう自分が困るという。やがて花田は、セーラー服を着て登校しはじめる。
著者は、芥川賞受賞作『蛇を踏む』などで、「女に化けた蛇」「くま」といった異形のものたちを違和感なく物語に溶け込ませてきた。本書もまた、翠と花田が、長崎の小値賀(おぢか)島へたどりつくころから、寓話のような色あいを帯びてくる。ただし、本書で異質なものとされるのは、大人や女性といった現実に生きる人間たちだ。彼らに翻弄され、漂うように生きる翠は、著者の作品に共通した主人公像といえる。しかし、無人島の神社に参詣するという通過儀礼を経て、不器用ながらも世界と向きあう決意をした翠の姿には、円熟味を増した著者の新たな物語世界が芽吹いている。(中島正敏)