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縮図・インコ道理教

価格: ¥1,365
カテゴリ: 単行本
ブランド: 太田出版
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プロのエクリチュール ★★★★★
百ページと少しという枚数の中に、大西氏のプロのエクリチュールが炸裂しています。
オウム真理教のパロディである『縮図・インコ道理教』というのは、『〜の縮図・インコ道理教』という訳ですが、これは読んでみてのお楽しみです。
左翼主義者の大西氏らしいシニカルな嘲りが込められています。

この枚数内に、こういった味のあるプロットを組んで、過不足なくカッチリと料理する腕前は、やはり氏がプロ中のプロの作家であるという証明でしょう。
いつもの如く面白く、且つ、考えさせられ、タメになりました。
すばらしい ★★★★★
この小説の最大の美質は、この短さにあると思います。128ページ!!

そして、「神聖喜劇」では架空の人物にしかありえなかった、
博覧強記的、写像的記憶力がワープロソフトの「コピペ」で可能になってしまった今、
そのことを隠しもせず、小説を書いてしまう作者の超絶技巧に驚きます。
すぐわかる薄っぺらな駄洒落のようないろいろな人物や団体の「命名」自体、
この小説のための技巧だと気付きましょう。うまいなあ。

過去の作品を読んでない人程是非、読んでいる人も是非。

深読みかもしれないですが ★★★★☆
「題意」はあくまで「題意」という一編です。そこに作者の「主張」?を読みとろうとすることはこの小説そのものを否定することです。
また、作者は親切にも五の4に「陰画的陥穽」という題をつけています。「陥穽」の意味さえ知らず、なんだか批評めいたことを書いてる人がいるようですが・・・・。

これは小説です。それもとてつもなく手の込んだ小説です。「作者の主張」?などというものを見つけた人は、それは「作者の主張」?ではなく、「あなた自身の思考パターン」にすぎません。「作者の「主張」?を見つけたい人」は、決してこの本を「読む」ことは出来ないでしょう。誰かの「主張」に依存しないで自分の足で立てなければ「読む」ことは出来ないと思います。

「この本に出会えて良かった」と久しぶりに思いました。「体験」を与えてくれる本です。世界がパっくりひらいて別の世界がはみ出してくるような、今生きている目の前の世界がずれていくような、ここにいる私がほんとは別の世界にいるかのような、でも怖さは感じません。人を変える力のある本です。とてつもない本です。

なぜか自戒を込めて星四つにしました。星を埋めてしまうのが悪いような、何かをのこしておかなければならないような、なぜそう思うんでしょうか?
星の数は星をつける人の問題です。そう思ってください。
現在の日本が問われている複数の問題の深い関連を指摘した類い希な作品 ★★★★★
「戦争とテロリズム」「オウム真理教事件」「死刑制度」「天皇制」「改憲問題」など、現在の日本が問われている複数の問題を相互に関連させてできている、素晴らしい構想の作品です。ただし複数の人物がそれぞれに意見を交わしあう議論小説のような体裁をもっているため、作者の考えが、どこにあるのか分かりにくく、戸惑う人も多いようです。

けれど『縮図・インコ道理教』の中心的なテーマは明瞭です。それは、テロリズム(殺人)を容認した「オウム真理教」(作中では「インコ道理教」)は、戦争という殺人・殺戮によって宗教国家的目的を果たさんとした「大日本帝国=皇国」の「縮図」と見なせるということ。そしていまだ「天皇」をいただく「皇国」の継承者たる日本国家が、「死刑」でもって自らの「縮図」である「オウム真理教」主宰者を裁こうとしている。しかも、かなりの予断をまじえた裁判のやり方によって。――まさにこういう視点の欠如が、天皇制強化、戦争・軍隊肯定の「改憲」勢力を助長させる一因となっている、というものです。

おそらくこの日本という宗教国家の在家信者たち(=国民)には、こういう問題がちんぷんかんぷんにちがいありません。大西巨人の作品が広く読まれることで、少しでも、幅広い公正な視野を取り戻すひとが増えることを、願わずにはいられません。
共感できる・・・? ★★☆☆☆
「神聖喜劇」の作者ということで、ネームバリューと過去の文芸作品や文献の縦横無尽な引用だけでも圧倒されます。が・・・

少々、左側の言論に寄りすぎ・・・と言うか、剥き出しにし過ぎの気がします。現在、同調できる人は少ないでしょう。小説の技法を駆使しながらもその言説は旧態依然たるものがあり、鼻白む想いでした。

現在、国民の間に広がる改憲志向と、ナショナリズムへの躊躇の減衰を「体制側の邪悪な姦計と品位の低さ」に帰そうとする態度は、共産党の硬直した態度と瓜二つです。

自ら(のみ)を高みに置き(そのために樋口一葉を自分らのイメージガールに使い)、自分らが批判を加える相手が「もしかしたら彼らなりに国家国民のためを思って行動している可能性もあり、そのほうが病根は深いと言わざるを得ない」という想像力を(故意か自然にか)働かせることも無い・・・かつて徹底したディテールの集積で、批判すべき対象を重層的かつ複雑に描いた作者が、なぜ・・・?と疑問を抱かざるをえません。

オウム教団と国家権力は近親憎悪の関係にある、というモチーフを、明確な論証無しに主張するために、このような作品を著したのではないか、と邪推(ならいいのですが)したくなります。

「大西巨人」という文字どおりの巨人を批判するには、もっと精緻で、十分な知識に裏づけされた論理が必要なことは分かっていますが・・・誰か、この作品の価値を教えてください^^;