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通話 (EXLIBRIS)

価格: ¥2,310
カテゴリ: 単行本
ブランド: 白水社
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不定住の感覚 ★★★★☆
チリに生まれ、放浪生活を続け、評価されながら若くして亡くなった作家の短編集。一読して思うのは、どの作品もカタルシス、解決、答えを出すことを拒絶しているということ。
生涯にわたって作品を各地方の文学賞に応募して貧しく死んでいった亡命作家との交流を描く「センシニ」、故郷を離れて客死する男「芋虫」、ポルノ女優の回顧的独白「ジョアンナ・シルヴェストリ」、ヒッピー世代の米国女性の一生を書いた「アン・ムーアの人生」など、そこに一貫して現わされるのは移動、不安定、不定住の感覚だ。だから読者も落ち着いて鑑賞することを許されない。それが新鮮だった。
チリのアジェンデ政権崩壊、人々の亡命、流浪といった体験が作者の物の見方に焼きついたのか、独特な味わいがある。
他者との距離 ★★★★★
 「通話」とは、三部に分かれているうちの第一部のタイトルだが、この言葉は、この短編集中の全ての作品に共通するある特徴を物語っているように思える。この短編集では、全ての作品において、語り部がある一人の人物について、その周囲の何人かの人物(自分自身も含め)の絡んだ半生を語るというスタイルがとられている。しかし、語り部は、語られている人物に、常に密着しているわけではない。時に連絡がつかなくなり、消息を見失う。その人物がどこにいるのか分からなくなったまま、小説が終わることもある。そのような展開に、読者はとまどいを覚えるかもしれない。
 だが、そこにこそ、この短編集の面白さが凝縮しているのではないかと思う。この短編集は、登場人物の行動について詳細に語り、その心理描写までしてみせる小説とは、まったく違う発想によって書かれているのだ。なぜなら、他者とは、そのようなものだから。
 他者とは、消息の分からなくなるものだ。他者とは、体験を共有できず、それを伝えることもままならない存在だ。そのような、受話器の向こう側とこちら側とで話すようなもどかしい状況こそ、このボラーニョの短編集の味わいを決定付けているスパイスだ。
 登場人物が、決してメインストリームを歩いていない者たちであるということには、その意味で必然性がある。ところどころ、まるで年表を記述しているように、あっさりと時間が経過してしまうことにも、やはり必然性がある。つまり、公的な記録ではなく、ごく一部の知人の記憶にしか存在しない者たちについて、あるいは、とぎれとぎれの記憶によってしか語られえない者たちについて、いかに語るか、語り得るのかということ。ボラーニョはそれを見事に示した。
買いです。 ★★★★☆
本書は、「通話」「刑事たち」「アン・ムーアの人生」という三つの章立てにそれぞれ四つないしは五つの作品が収められた短編集です。いずれの物語も市井の人々の、どちらかと言えば悲しく、そして総じてどこまでも悲惨な人生や現実が描かれており、そこにスパイスのように自虐が加味されるところが、解説の「ウディ・アレンとタランティーノとボルヘスとロートレアモンを合わせたような奇才。」という評になるのでしょう。個人的には、エリザベス・ギルバートやウオン・カーウァイなんかも思い出しましたが、「勇気と悲しみの入り混じった目で世界を見ていた」(P227)作者の、「こんな細かい話しばかりしていたら、彼女よりも僕について描写することになってしまう」(P179)と言いながらも、結局そこに赴いてしまう姿が強く印象に残る作品でした。惜しくも2003年に50歳の若さで亡くなったそうですが、他の作品の刊行も予定されているようなので、早く読みたいものです。
南米の寅さん。見た目は断然コッチの方がいい。 ★★★★★
ドストエフスキーやメルヴィル、漱石や大江健三郎といった大文学につかれた時にオススメの一冊。ラテンアメリカの一度も名前を聞いたこともない前衛詩人や作家がいっぱい出てくる文学(志望)空間の冴えない日常風景。暗殺者や収容所、ポルノ女優といったちょっとした起伏はあるが、基本的にはどうでもいい人々のどうでもよい、どうしようもない生活が話柄の中心。でもこの作家の言葉のチョイスは好きな人にはハマる。思いがけない一文がきっと見つかる。
「二人は二度と会うことはない」『アンリ・シモン・ルプランス』
「Aは、Bと同い年の作家で、Bとは違って有名で、金持ちで、本が広く読まれているという、まさに物書きの目指す三大目標(挙げた順に重要)を達成している」『文学の冒険』
「『もう何も普通には思えん』」『刑事たち』
たんなる皮肉屋か。でも、もしかしたら本当に、何か…。あまり真面目に読むと時間をムダにする佳品たち。
チリの軍事政権が転覆される前後に生きた詩人の視線 ★★★★★
ロベルト・ボラーニョ『通話』(松本健二訳・白水社エクスリブリス)を読んだ。チリの詩人が書いた14の短編集だが、各所ユニークな表現が満載で、クセモノ詩人の短編は読んでいて非常に楽しかった。

以下、ちょっとだけご紹介;

最初は詩で応募しようと思ったが、自分のいちばん出来のいい作品を送ってライオン(かハイエナ)のような連中と競わせるのは無粋に思えた。(『センシニ』)

Bと同い年の作家で、Bとは違って有名で、金持ちで、本が広く読まれているという、まさに物書きの目指す三大目標(挙げた順に重要)を達成している。(『文学の冒険』)

やがてBは、Aに連絡をとるまいと決意する。この件は忘れようと努め、ほぼ忘れかける。Bは二冊目の本を書く。本が出版されると、最初に書評を書くのはAである。あまりに素早い反応なので、いったいどんなスピードで本を読んでいるんだとBは思う。(『文学の冒険』)

ともかく、クララは結婚して一、二年後に離婚し、勉強を開始した。高校を中退していたので大学には入れなかったが、それ以外はあらゆることに挑戦した。写真、絵画(なぜかは分からないが、彼女は自分に画才があるとずっと思っていた)、音楽、タイプ技術、情報処理、要するに一年間学校に通えば修了証書がもらえ、仕事の見込みも立つという類の、やけになった若者たちが取り組むというか逃げ込む稽古事ばかりだ。(中略)時間を惜しんでは勉強したり、音楽を聴いたり(最初はモーツァルトだったが、その後いろいろな音楽家を聴くようになった)、誰に見せるでもない写真を撮ったりしていた。誰にも知られることのない無益な方法で、クララは自由を守ろうとし、学ぼうとしていた。(『クララ』)

チリの軍事政権が市場原理主義の失敗によって転覆される激動の前後、不安定な社会情勢。ボラーニョの眼はその不穏で殺気だった空気のなかで曇ることがなく、登場人物たちを非常にリアリティある人々にするのに成功していると思う。