与ひょうが突然喋りだす場面がある。これまで全編歌われていたので、この効果にはびっくりさせられる。するとつうが「声は聞こえているのに意味はわからない」と嘆きはじめる。与ひょうが「別の世界」に行こうとしていることを暗示しているのだ。それを今私たち聴衆は、いわばつうの耳になって体験したのだ。--この異化効果は素晴らしい。作者は、少なくともこの場面だけでも作曲者に感謝していいのではないか? これ以上の効果は、単なる芝居では決して生み出すことはできないだろうから。
子供たちが「かごめかごめ」を歌う。私たちはそれだけである感情にとらわれる。でも、もしこの何かを外国人に伝えようとしたらどう説明すればいいのだろう、と思う。そしてはじめて、私たちはこんな努力をして、モーツァルトやプッチーニを聴いているのだろうな、と気づく。なんの予備知識もなく、対訳も必要としないでオペラを楽しめるというのはいいものだ、とつくづく思う。
この音楽が外国人の耳にどう聴こえているのか、正直なところ私にはわからない。余りにも日常的すぎて、いい悪いの前に理解できないのではないか、という気さえする。でも、私たち日本人には、この作品が日本の美のひとつの形を体現していることはすぐにわかる。日本人なら(本当は、日本人でなくても、と追加したいのだが)、是非とも聴いておきたい傑作だと思う。