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関係する女 所有する男 (講談社現代新書)

価格: ¥798
カテゴリ: 新書
ブランド: 講談社
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女と男という「正常」な思い込みを解放して、相互理解を促す試み。 ★★★★★
斎藤環氏は、荒川沖事件などでの示唆に富む発言される方でしょう。今回、ジェンダー論を書かれたというので、斎藤氏の著作を初めて読んでみました。

セックス(生殖器官)すら包含するジェンダー(自分の性のあり方)の認知の影響が大きいことを、その都度思い込みを各個撃破しつつ、慎重に説明します。ジェンダーを、関係原理と所有原理という、欲求のあり方の違いを具体例を検討しながら、説明するのです。

特に、一括りにされがちなオタクや腐女子を、表現における物語性や視覚的・聴覚的違いから、ジェンダーの純粋な形で表現された対照的な欲求の相違として、見事に描き出します。一見、相通ずるようなオタク文化の住人と思い込みがちですが、所有と関係が鋭く対立する好例なのでしょう。

そして、さまざまな検討を下地に、斎藤氏一流の精神分析を、まさに地から図を浮き上がらせるような光として用いて、人間の多様なジェンダーのあり方の可能性に、われわれを導きます。まさに、最後に来て分かるのは、ここはジェンダーの出発点であるということです。性のあり方と欲求の多様性は、まさに一人一人の生々しい人生なのでしょう。欲求の相違を位置づける視点から、多様性を感じ取る「敏感さ」こそ、斎藤氏がジェンダー・センシティブを強調することなのだと思いました。

最後まで読むと、自分が、人の欲求のあり方と多様さに如何に無自覚で生きてきたのかに、気がつきました。そして、性的マイノリティの方々が、世間のジェンダーへの無知とその偏見・誤解ゆえに苦しんでいるだろうことに、気がつきました。多分このような視点で相互理解を深めれば、社会に包容力と活力を再活性できるのではないかと思いました。
オタクに対する根本的な知識の欠如 ★★☆☆☆
私はジェンダーに関しては門外漢であるので、その点に関する批評は他の方のレビューを参考にして頂きたい。
ここで私が問題としたいのは、著者が第五章で「『おたく』のジェンダー格差」について扱っているにも関わらず、
著者のオタクに対する知識が根本的に欠如していることである。

第五章において、「女性のオタクは現在『腐女子』と呼ばれている」という記述から始まり、「コミックマーケットにしても、参加者の過半数は女性でその大半は腐女子」など、
少しでもサブカルチャーについて詳しい人間なら「おいおいおい」と突っ込みたくなるような明らかな間違いが多数見受けられる。
(言うまでも無いが、「腐女子」とは「女性のオタク」という定義の中に属する1つの分野であり、女性のオタクが全て腐女子という訳ではない)

また、その後の理論展開においても疑問点がある。
「男性おたくの欲望の中心は、萌えキャラクターのビジュアルにある」と断言している点や、
「男性おたくは、作品に登場する男性キャラクターに自らを同一化する事で欲望を満たす」としている点
(男性が一切登場しない作品が、今の「萌えアニメ」の主流である件はどう説明するのだろうか?)など、数多くの問題点を孕みつつ、
それらを踏まえた上で「男性おたくの欲望が『所有』であり、腐女子の欲望は『関係』である」と、
本書のテーマに結びつけて結論づけている点は、かなり強引であるとしか思えない。

著者は「これまで出版されたほとんどの腐女子分析本は、当事者によって激しい批判を受けてきた」と述べているが、本書もその例外ではないだろう。
それにしても、オタクについて詳しくない人間が、何で無理矢理オタクを語ろうとするかなぁ…
著者と交流のある、「ポストモダン」でおなじみな某氏も同じですが。
斉藤さんってバツ1だったんだ ★★★☆☆
男女のオタクの違い、摂食障害とひきこもり、男女の結婚観などに付いて
書かれています。

摂食障害の所で
「女性は同性を意識してダイエットする」
という様な事を書かれていましたが私もその通りだと感じています。
本書の企ては成功しているか ★★☆☆☆
第1章の「ジェンダー・センシティヴ」の概念自体は興味深い。ただ、「バックラッシュ」派に対する姿勢、「男社会」」をアプリオリに仮定して(としか思えない)論を進める姿勢などは、微笑ましくさえあるフェミニズムへの忠誠表明ではあっても、それ以外の読者への説得力を確実に落としています。フェミニズム系の言説をはじめから支持している人たちの間だけで自家消費される言説をまた一つ加えただけという印象は否めません。「ジェンダー・センシティヴ」の考えには評者自身共感しますが、どれほどの人に伝わるか疑問です。
 後半の、自分の専門であるラカン派精神分析からの「関係」「所有」概念にもとづいたジェンダー論も、ひとつの見識としては興味深いかもしれません。だがジェンダー問題全般に関して、脳科学や進化生物学より実証性の点でも社会的信用の点でも確実に劣る「お話」でしかない精神分析に依拠することで、何ほどの説得力が増すのでしょう。ジェンダー問題への処方箋を出そうとするには、自身の立場への反省が欠けています。
「僕の目論見は、あたかも男女格差本のパロディのような体裁を取りながら、男女の違いというイメージを最終的に解体してみせることだ」というが、残念ながらその目論見は失敗しているといわざるを得ません。本書が「脳の性差」のような本質主義的な言説と同一視される危険に対して、繊細な配慮が払われているわけではない。ことあるごとに「男は所有、女は関係」の原理を強調するばかりの論調では、性差本質主義言説の(劣化した?)新手と受け取られても仕方がないでしょう。巻末の言い訳めいた記述を別にすれば議論そのものに真意を語らせることに失敗しており、これは読者の読解力のなさに帰しうるようなレベルを超えています。そもそも「男は…」「女は…」と安易に一般化して語るまなざし自体の問題についての認識がジェンダーを論じるにしては足りなさすぎです。
ひとつの真実です ★★★★☆
脳梁の大きさの違いとか右左の脳の違いなど、解剖学的構造の違いで性差が説明できるなら、その解剖学的違いに基づく男性脳や女性脳に固有の器質性疾患がなくてはいけない(でもそんなの存在しない)という著者による性差本。性差には脳の器質的な差異は関係なく、男性の多くは「所有原理」で行動し女性の多くは「関係原理」で行動するためであるいうのが結論のようです。たとえば摂食障害が圧倒的に女性に多く、ひきこもりは男性に多いということは、脳の構造の違いなど器質的な違いで(今のところ)説明できません。このような場合著者の専門フィールドである精神分析的手法が有用である、というわけです。なお、本書の真髄は230ページにある所有原理と関係原理のまとめの表で一目瞭然です。

ベーゴマやメンコから骨董品にいたるまで、子どもから老人にいたるまでものを蒐集するのはたいてい男と決まっています。この蒐集癖は恋愛の場合も同じようです。

恋愛の記憶は男性は「フォルダ保存」。フォルダ保存であれば自分自身のキャパが許す限り同時に複数の女性を愛することもできるし、昔の恋愛の記憶を取り出して眺めることもできるわけです。つまりこれが所有したがるということでしょう。

一方、女性は恋愛の記憶を「上書き保存」することが多いので、同時に複数の男性を愛することは例外的で時間感覚も過去よりは「現在」が大事。つまり今の関係が全てということなのでしょうか。

所有原理に比べて関係原理のほうは若干わかりにくいのですが、男は「妻を持ちたい」といい、女は「妻になりたい」というのが違和感が少ないのに対して、女が「夫を持ちたい」といい、男が「夫になりたい」というのは何か違和感があるように思います。ふたつの原理の間には不全型やバリエーションも考えられます。これは脳科学本にありがちな男女の「解剖学的な脳の差」ではジェンダーマイノリティーが説明できないのと好対照、すとん、と腑に落ちました。