日本のディスレクシアの本人の話をていねいに聴き、その思いを語る本
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ディスレクシアについて書かれた本は、本人が書いたもの、親が書いたもの、
研究者が書いたものが何点かあるが、海外の本を翻訳したものが多い。
この本は、日本のディスレクシアの本人の話をていねいに聴き、
その思いを語った本で、出版から年を経ても存在感がある一冊である。
日本語には、仮名があり、発音と文字が比較的近いので、
英語圏に比べるとディスレクシアは少ないのではないか、いないのではないかと専門家の間でも言われていたため、
日本にもいるのだということを本人の言葉を集めて示したという意味でも、この本の功績は大きい。
"Dyslexia"を「ディスレクシア」と訳した意味、「読み書き障害」ではなく「読み書き困難」を使っている意味をきちんと述べていて、
著者の立ち位置を示すと同時に、当事者の思いをしっかりとすくい取っている点も評価できる。
本書に登場するディスレクシアの当事者は、個人として登場する6人、親と一緒に登場する4人の計10人である。
各人のページの最初で、「読み」、「書き」、「聞く」、「記憶」の4項目と特徴的な困難がまとめられているが、
ひとくちにディスレクシアといっても、10人いれば、その特徴も文字通りの「十人十色」なのである。
ある当事者は、「五線譜の五線は分かるが、音符は全部、つながって見えてしまう」し、
「教科書は黒板の文字が丸くつぶれでグシャっと見える」。
またある当事者は、やはり、五線譜が見えないけれど、それは、「五線譜がつぶれたように見えてしまい、音符が読みにくい」から。
読めない理由も、「飛ばし読みが多く、書いてある内容をつかみにくい」人もいれば、「逐次読みになるため、意味がとれない」人もいる。
書けない理由は、「頭の中にあることを文章に起こすことが苦手」な人もいれば、
「文字の形がすぐに思い浮かばないため」に書くのに時間がかかる人もいる。
記憶は、視覚的な記憶が得意な人と聴覚的な記憶が得意な人がいて、得意ではないほうは極端に苦手だったりする。
短期記憶が良くなくて、指示をすぐに忘れてしまう人もいる。
ディスレクシアは、本当は、読み書き困難の一言では言い尽くせないのだと思う。
6人の個人、4組の家族にそれぞれのドラマがある。
それぞれに苦悩や二次障害があり、苦しみながらも自分の道を見出していく。
苦悩のドラマだけど、目を逸らそうとは思わなかった。一気に、引き込まれていった。
最初に本人の言葉ということに大きなインパクトを感じるとともに、本人や家族のドラマだけで終わらせてはいけない、
支援体制と本質的な理解が必要であるということを再認識できる章構成になっている。
著者が、なぜ本人たちの言葉を斯くも引き出すことができたのか、
なぜ本人たちが直接目の前で語っているかのような説得力がこの本にあるのか。
その答えの一端はあとがきで語られている。
小学校2年生のときに、お父さんの仕事の関係でアメリカに引っ越した著者は、地元の小学校に転入し、
そこで先生が話していることがわからない、黒板の字も読めない、覚えられない、わからないという経験、
劣等感に苛まれる経験をしていたのだ。
「努力をしてもわからないという日々がいかに孤独でしんどいか」。
そして、人種差別もいじめも経験するけれど、それを訴え出たご両親の話を聴き、校長先生が彼女に言ったのだという。
「今まで、がんばていたのに辛い思いをさせていましたね。何も気づかなくて悪かった。
いいですか、キミは世界でたった一人の、特別な存在なんですよ。キミは今のままでいいんですよ、
誰に何を言われようとそのままでいいんです」。(p.244)
そのときのぬくもりとメッセージは、ずっと支えになったのだと。
その経験は、著者の心に強く刻まれ、それがディスレクシアの当事者への深い共感になっているのだ。
彼女のあとがきは、こう締めくくられている。
「先に生まれた人間の責務として何ができるか、今後も自分なりに考えていきたいと思っています。
事情を知ってしまった以上、もはや知らなかったことにはできないでしょう?」。(p.246)
著者の取材活動の根底には、常にこの思いがあるように感じられる。
読み書きが困難な子どもたちの事例がよくわかる
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知的能力に問題がなく、読み書きに困難をきたす子どもたちの事例が10例あげてあり、彼ら個々のしんどさがよくわかりました。彼らから見える感じる世界がどのようなものであるかが冒頭にあげてあり、とても
わかりやすく考えさせられました。塾で教えていて即実行した指導法「字を大きく」や「段落を鮮明に」などももりこまれています。こどもにかかわるすべてのひとにおすすめです。
この本のおかげで、ちゃんとスタートラインに立てました。
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小学校一年生になり、すぐに「ひらがな」を習い始めました。1日2文字ずつ。その日の宿題で10回ずつ書くのですが、前日にならったものをスッカリ忘れている。これの繰返しでした。4歳上のお兄ちゃんのときは、こんなことはなかったのに・・・と少し不安を感じていました。ほとんどのひらがなを習った頃から「音読」の宿題が始まりました。このときに、半分くらいのひらがなを理解していない。前行で読めた文字が読めない。読み飛ばし、勝手に語尾を形成して読む・・・などを繰返し「何かおかしい?」と思っていたとき、このような内容を会社の同僚に話すと「難読症」というフレーズを教えてくれました。
始めは「まさか」と思っていましたがこの本を見て「間違いない」と確信しました。これを読むまでは「どうしたらこの子はマジメに勉強してくれるのか」とか「何度やったら覚えてくれるんだろう・・・」と途方に暮れたり、イライラばかりしていましたが、「今を改善する方法がある」「カレに見合った学習方法がある」「ディスレクシアの人でも立派に大人になり、しっかり生活を送れる」ということがわかり、とても励みになりました。また冷静に今の状況を考えられるようになったことに本当に感謝です。ありがとうございました。家族みんなでスタートラインに立てました。
当事者の生の声
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心や体が壊れるほどがんばっているのにできない。
その理由は誰にもわからない。専門家も無理解。
そんななかでの「ディスレクシア」「LD」。初めて聞いたがこれほど自分を説明できる概念はなかった。
しかし、周囲からの反応は無理解、無関心。そのような中で自分の本当のあり方を模索していく物語。
本書に集められた人々の軌跡は壮絶であるが、最後はさわやかさを感じる。自分を受け入れ、よりよい未来を模索する前向きの生き様である。
ディスレクシアや学習障害について最初に正面から取り上げたのが本書ではないかと思う。2003年初版であるから内容は古びていると思いきや、まだまだ十分に通用する内容である。本書が学習障害についての本質を捉えているからこそ歳月を経ても読むに値する価値を持ち続けるのであろう。
なぜ、本質を捉えられているか。その答えは学習障害の当事者や保護者・支援者たちの生の声を集めたことにあるだろう。
今では取り上げられることも多くなってきたが、著者が取材を始めた時分はほとんど世間で知られておらず、当事者たちは「やればできる」「できるのにやらない」といった周囲の評価に絶望の淵に立たされていた時代である。
そういった当事者の生の、痛切な声を集め、世間に訴えたことに本書の価値があると言える。
子供の気持ち
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大人がどれだけ理解してやれるかで、子供の苦しみが違うってことが良くわかる本です。
友達の子が、ディスレクシアでは。。って事でレビューの評価が良かったので購入したのですが、ほんとに・・そのとおりでした。最後には、この障害がわからず苦しんでた子供や親の気持ちを思うと涙が出ました。もしかしたら・・って思う方、どうして良いか悩んでる方には
お勧めできる本です。