「世の中には読み書きや計算や記憶が苦手なディスレクシアな人たちがいるというファクトを日本中の人たちが知ることこそが、彼らへの一番の支援」
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『怠けてなんかない!』を私が読んだのは2004年だったと記憶している。
当時、日本のディスレクシアを取り巻く状況について
ここまで明らかにした本はなかった。
ディスレクシアという言葉さえ知られていなかった状況の日本で、
ディスレクシアそのものについての存在を知らせるという役割も果たしていた。
本書は、前作から7年を経て出版されたセカンドシーズンである。
著者は、「はじめに」で、
「なぜ、今、セカンドシーズンが必要なのか?」について述べている。
あれから7年。
この間、発達障害者支援法が施行され、
学校教育法も改正され、特別支援教育も始まった。
それで、はたしてディスレクシア児・者への理解は深まり、
指導や支援は進んだのか?
2010年2月の今、アスペルガー症候群やADHDに比べ、
LD/ディスレクシア児・者についての理解・啓発や
指導・支援はまだまだ不十分だと言わざるを得ない。
指導が着手すらされていない教育現場だってあるくらいなのだから。
(中略)
読み書き計算が苦手な人は、相変わらず「怠けている」か
「やる気がない」か「頭が悪い」人としかみられない。
それがこの国の実態だ。
多くの人たちは自分自身の知識と想像力が
欠如していることに、まるで気がついていないのである。
前作は、第1章は本人、第2章は親、
第3章は現場の対応という構成になっていたが、
本作は、第2章が外部脳としてIT機器や支援ツールを紹介し、
第3章が今できることという視点でまとめられているところが新しい。
支援ツールは、ローテクでもできることから
パソコンのソフトまで様々なものが紹介されている。
特別仕様というよりも、iPhon、ICレコーダー、マインドマップなど、
啓発系のビジネス書に載っていそうな、
多感覚を使っての効果的な学習のために
ビジネスマンがもっていそうなツールも並んでいる。
職場にパソコンが導入されるまでは大変苦労したという声も多く、
その意味では今はよい時代といえよう。
インタビューをまとめた第1章は、前作と同様に字が大きめで全ルビになっている。
前作よりも本作は行間がより開いていて、
1ページに入っている行数が16行から14行に減っている。
章題が「学び方・働き方」となっているところからもわかるように、
前作は本人の読み、書き、聞く、記憶の特徴を最初にまとめ、
学校や学習についての記述が多かったが、
本作は、大学や仕事などについて書かれていて、
それぞれの人の工夫や支えたものについてまとめている。
前作に16歳で登場した織田大耀さんが高校卒業後、カナダへ留学し、
その後、日本のゲームメーカーに就職したことについて語っているのが印象的である。
ディスレクシアであるということよりも環境が障害を作り出しているのであるから、
それらは軽減されなければならないと思う。
だが、それを越えて、インタビューに答える5人の言葉や様子の中から滲み出る
苦悩から見出した彼らの生き方哲学は学ぶところが多く、
輝きを放っていることに惹かれる。
言葉はぼくにとって苦労の種でしたが、
逆に言うとそのおかげで大きなものも見えたんです。
つまり、言葉はわかりあえる人だけのものだったりする。
でも世界にはいろんな人がいていろんな国があり、
いろんな言語があります。
(小澤啓介さん,P42)
自分にできることとできないこと、
苦手なことと得意なことがしっかりわかっていて、
自分を冷静に捉えることができたからこそ、
ぼくは自分の将来をあきらめることもなかった。
だから今の自分があると思っています。
(同,P43)
誰かに教わるというのではなしに、
自分で自分の特性にあった方法を編み出しており、
それはディスレクシアではない人にも役に立ちそうである。
最初は電話帳を使って覚えていた名前ですが、
そのうち、その人の“何か”と名前を
頭の中でくっつけてイメージし、
画像で覚えるようにしていきました。
(吉田卓哉さん,P59)
まず下地になる情報をとにかく増やすこと、
それから語彙もとにかく増やすこと、
自分の持っている単語や知識の数が多ければ多いほど、
ディスレクシアの人は対応しやすくなると僕は思います。
(織田大耀さん,P132)
そして、本人を支えた人が周りにいた。
これだけダメなぼくに、あの会社の人たちは社長以下みな、
おまえに期待しているって言い続けてくれたんです。
大丈夫、おまえならやれる、おまえならできるって
本気でそう考えてくれたんです。
そんな思いに応えないわけにはいかないでしょう?
(吉田卓哉さん,P61)
著者は、5人のインタビューを通じて、
大事なことをいくつか挙げているが中でもこの点が印象的だった。
周囲の大人にできるのは「できないこと・苦手なこと」ばかりに
本人の意識が集中しないように、
バランスのよい「自己理解」を育てさせることと、
それらの苦手なことが少しでもできるようになって、
本人が「努力すれば結果は変えられる」と
自分を信じられるよう指導・支援することなのだと思う。
(P75)
あらゆる事柄は「正しい情報」を持っているか持っていないかで、
天と地くらい結果が異なってくる。
大切なのはファクトだ。
世の中には読み書きや計算や記憶が苦手な
ディスレクシアな人たちがいるというファクトを
日本中の人たちが知ることこそが、
彼らへの一番の支援だと改めて痛感する。
(P137)
まずは、この事実を知り、彼らが体を張って経験をしてきたことから学び、
今すぐ私たちにできることを考えていきたいものである。
“読み書き困難”からのサバイバル
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副題が、『あきらめない−読む・書く・記憶するが苦手な人たちの学び方・働き方』となっています。“読み書き困難”を抱えて、自らの持つ困難さの正体を知った子たちが、その後どうやって自立への道を切り開いていったのか?これは、彼らのサバイバルを綴った本です。
ボクが知りたかったのは、まさにそこでした。“読み書き困難”なお子さんたちが、どんな苦労と心の傷を伴って、日々を過ごしているのかは、指導室にやってくるお子さんの様子から、痛い程感じているところです。彼らの行き先にどんな未来が待っているのか?それが少しでもわかると、今の彼らに大人が何を施すことができるのかが、おぼろげにでも見えてくるのではと思ったのです。
第1章で描かれているは、5人の方のサバイバルです。インタビューを基に、ご本人の工夫や支えた環境がまとめられています。2〜3章では、“読み書き困難”の方への支援ツールと機関が紹介されています。今できるサポートの最新情報です。足を運んで丹念に取材をして、明快な筆致で描かれています。この国のディスレキシアの“今”が分かります。
筆者は本書の中で、日本語の読み書きの習得過程が、科学的に体系化されていないことを嘆いています。確かにそうです。ボクら現場の人間の仕事は、だからこそ、対症療法的な“勘頼り”の指導に陥ってしまう危険をはらんでいるのです。
ところで、雑誌編集者として、この方を担当していたこともある筆者が、どうして畑違いのこちらの業界のことに携わっていくようになったのかが、不思議でした。あとがきを読んで納得しました。人それぞれ、歴史と思いがあるのですね。
今もどこかで、サバイバルに挑戦している“読み書き困難”のお子さんと、かかわる大人がいます。そうした人たちに読んでいただきたい本です。
http://hige1109.blog.ocn.ne.jp/hige/
切ない思い、怒り、励ましー未来は誰にも公平であって欲しい
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とても読みやすかったです。でも考えさせられることが多かったです。自分の今までのことを振り返り、指導が分からないなりにも、その子どもや保護者と向き合っていたか、傷つける言葉を吐いていなかったか・・寄り添えたか・・・・涙が出てきました。本来なら、特別支援学校ではなく通常学校で教育を受けるのが適しているのに、受けられない子。どうか通常学校の先生方お願いします。成績で「1・2」しか出せない子どもは本当にやるきがないからなのか?困り感はないのか?立ち止まってください。そうでないなら、自分の指導に問題があると振り返ってください。本当に彼らは苦しいのです。怠けているわけでも、やる気がないわけではないのです。
自分の思いと品川さんのこの本の内容をダブらせてしまいました。是非、たくさんの先生や大人・・・に読んで頂きたい本です。