イタさを痛いほど分析
★★★★★
面白い!
女性が同性同士のお付き合いにどれだけ気を使っているか、そこには京都のぶぶ漬けみたいなヤヤコシイ、洗練されたといえばいえる文化がある。それに引き換え男性同士のお付き合いってなんて単純で幼稚なの、というところは笑えた。
そして後半、そのまま引用したいくらいの名言がある。結局、イタい人というのは何の覚悟も出来ていない人間だ、というのは深く納得。自分に甘く、いつも自分が傷つかないように自分に都合のいいように考える結果、著しく客観性を欠く。そして、それならそれでどうしたって孤立する自分を認めて受け入れられればいい、独りになることを恐れなければいいのだ。が、大抵そうは行かない。ウンザリされて嫌われたことを「妬まれた」と脳内変換したり、冷たいと恨んだりして、最後まであんまり厳しい本当のことを言わない人に「親友」とベタベタくっついていって、実は便利に利用されている。こうだと思いたい気持ちが強すぎて、思い込むたびに間違っている。
うさぎさんは「イタい女」を自称するけど、それ以上にイタい人を沢山見てきたんだろうな。同属嫌悪の激しさが面白かった。
さるきちも「イタイ女」。
★★★★☆
世に言う「イタイ女」を定義、分析し、如何にすれば「イタイ女」にならずに済むか論説したもの。いつもどおり、うさぎ節炸裂。遠慮も手加減もなく、「ババア」「ブス」「デブ」を連呼。「イタイ女」とは、見ていてアイタタ〜と軽蔑しちゃうだけでなく、怒りさえ覚えてしまう、そんな女。ここで注意したいのは、単なる嘲笑いをさそう、勘違い女というんじゃないのです。「怒り」を伴っているというのです。
中村うさぎは言う。「イタイ女」とは人身御供。自分より価値が低いと見なし、
ババア、ブス、デブを攻撃することで不安定な己の立ち位置を固めようとしているのだ、と。つまりは、怒りとは実は自分自身に対する怒りなのだ。
本書では、太宰治やエヴァンゲリオン、女性マンガ家の自画像や人魚姫などが引用されており、彼らの「イタさ」加減や「イタイ女」にならぬよう、自分ツッコミという手段について語られています。
自問自答しながら、真相(うさぎ曰くの)をつきとめていく、そのプロセスはわかりやすく、読んでいてつい弾き込まれてしまう。エッセイが売れただけでは物足りない、どんどん依存対象を広げていった中村うさぎも、「イタイ女」なのだ。
でも、そんな自分をも肯定してしまう、その大胆さがさるきちは好きです。
恋と愛とを混同するから、人は間違う
★★★★★
「イタい女」は、自分自身の値踏みを間違えて勘違いしている女であると定義され、客観性の欠如によって特徴付けられる。
客観性を欠いたナルシシズムに陥らないための自己防衛システムが「ツッコミ小人」であり、弱点や欠点を他者に開示して長所を「姥皮」によって覆い隠す自虐の技術が横並びの関係を築くために必要となる。
分離個体化とか投影同一視といった言葉を使わずに、個の成熟と、未成熟の病理について語ることができるのだからすごい。
著者自身の見聞のみならず、各種プリンセス・ストーリーやマンガなどの分析を通じて語っているところも面白いし、女性の自虐に対して男性の小自慢を引っ張り出して比較するあたりの手際も見事だ。
手厳しいが、その分の痛快さがある。攻撃的なまでに批判的な言説をふりまいていても、自分を安全な高みにおいて他者を睥睨するようなイタさには陥らぬよう、著者自身のツッコミ小人がフル稼働しているから嫌味ではない。
著者が陳腐なことと言いながらも書いている結論には、なんだかほっとした。