短歌は、いうまでもなく五七五七七の三十一文字で描かれる詩の一形式であり、枡野浩一は、その不自由な短歌の形式に乗せて、平易な普段使いの言葉で日常の一瞬をつぶやくように切り取る。
「こんなにも ふざけた今日が あるのなら どんな明日でも ありうるだろう」
これが短歌なのかと一瞬戸惑いを覚えつつも、しかしその歌に広がる世界が私を捉える。学生時代の一こま、まだ何でも始められるという希望と、まだ何者でもないという不安を抱えながら、それでも毎日が楽しくあったあの頃。そんな原風景をすっかり切り取られ、現に追体験しているかのような、不思議な感覚に包まれる。
枡野は後書で「『一番いい歌はこれです!』と断言してくれる人も多いけれど、全員の『一番いい歌』が違うみたいです」と書いている。この歌集には余計なものが一つも無く、しかしそれぞれ読む者にとっての、まるで自分のためだけに切り取られたかのような世界がつまっている。彼はたったの三十一文字で、人の心に確かな足跡を残していくのだ。
表紙が擦り切れるのを覚悟の上で、カバーをつけずに持ち歩き、電車の中で、最初からめくります。最後からめくります。開いたところで明日を占います。表紙や裏表紙や帯をしみじみと眺めます。あとがきを読んで祈ります。赤のページと青のページを見比べます。文字数を数えます。写真を見ます。通話以外の目的で電話ボックスに入っているのは誰。青信号なのにみんな止まっているのはなぜ。