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浜口雄幸と永田鉄山 (講談社選書メチエ)

価格: ¥1,785
カテゴリ: 単行本(ソフトカバー)
ブランド: 講談社
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頭脳明瞭、志操堅固。いろいろ似た二人の評伝。 ★★★★★
 この二人、いろいろ似ていると思いませんか?
 まず、表紙の肖像写真。顔からして似ている。いかにも生真面目で切れそうでしかも頑固そう。政治家、軍人それぞれ立場から日本のグランドデザインを構想、しかし志なかばで無理解から生じたテロに倒れる。人生の歩みも似る。だからこそ対比して描かれたのでしょう。
 大戦間の日本が抱えた課題は、今日の日本の問題に似ているといいます。冗費、冗官・冗軍、国際競争力の衰退。そして近代戦の惨禍にどう対応するか。
 政治家である浜口宰相はぎりぎりの譲歩による国際協調と産業復興に職(ばかりか命までも)賭し、軍人である永田将軍は再度の大戦は必至と総力戦体制の確立を構想した、といいます。
 後世の我々からみれば、永田将軍が播いた「軍人による政治刷新」というタネが青年将校の国家革新運動という鬼子に成長し、彼自身の命を奪ったばかりか国家を破局に追い込んだ事は明白です。しかし……
 私は、戦間期の日本の対中国政策に興味があってこの本を買い求めました。永田将軍が少壮ながら(最終階級は少将。死後に中将)陸軍をリードする存在であったと他の本(『日本陸軍と内蒙工作 関東軍はなぜ独走したか』及び『日本陸軍と中国』)を読んで知ったからです。が、この本はそうした視点を超えた、普遍的な政治的課題を提起します。
 国家の安全保障とは。世界平和とその平和維持のための武力とは。平和の「抑止力」とは。国際協調を重んじながらも万が一のための戦争準備は必要ないのか。
 浜口宰相という偉大な先達を持つ我々は、後世から全く歴史に学ぶところがなかったと指弾されないように努めなければならないでしょう。
歴史にIFなし・・ ★☆☆☆☆
とても細かく良く研究されている中、永田鉄山に全てを押し付けているような感を受ける。
残されている文献、資料もなるほどこのように読めばそう取れるかも知れないとも思う。
しかし、読み終えてみて直感的に、ただ秀才を妬んでいるような感さえ受けてしまう。
歴史にIF無し。死人に口無し。

林は永田のロボットだった・・・今の時代に簡単に言えることではあるが、
永田だって、類まれなる優秀な頭脳を持ちながらの、苦悩の中間管理職であったのではないかと思う。
そのような描写は一つもなく、全てが永田の考えの下で・・・といった書き方に、
確かに、もう語れる人は居ませんから。と悲しい思いもした。

リベラルと総力戦主義者の意外な近さ ★★★★★
WW1の惨状を見て戦争は割に合わないのでやらないことにした浜口雄幸
WW1の惨状を見て負け戦はオワタになるのでそうならないようにしようとした永田鉄山
案外目指していたものは違うんだけど社会政策なんかはちょっと近接してるんだよな
あと二大政党制の下での足の引っ張り合いは怖い
ほんで著者は浜口雄幸が好きだけど永田鉄山にはあまり愛着はないような
軍部のイメージが変わった ★★★★★
満州事変から太平洋戦争にいたる過程といえば、軍部の力づくの独走に対しなすすべも無く追随していった脆弱な政府という構図を思い描いてきた。しかしこの本によりそのイメージがくつがえされた。政党内閣は意外と強固なものであり英米からの支持を受けてかなり安定していた。そして軍部内にその安定政権をくつがえすような政策構想が存在し、いつの間にか着実にその構想を実現していったのである。あの戦争にいたる過程は思っていたより複雑で奥深いものであったということに思い至らしめる、この夏イチオシの一冊。
日本近代史が示す希望 ★★★★★
 川田稔の前著『浜口雄幸』(ミネルヴァ書房)には感銘を受けたが、これは前著に劣らぬ力作である。それに加え、現在の社会状況に対するタイムリーヒットだといえる。
 去年秋からの経済状況はかつての世界恐慌(1929)以来なかった危機だといわれる。まさにあの時代が急接近して来たように感じられる。こういう時、浜口と永田をつぶさに比較検討することはこれからの日本の進路を考えるうえで大事なことである。
 経済危機から脱出する方法として満州事変はやむをえなかった、あれしか他に方途はなかった、と考える人は多い。この、一種の諦観は、日本近代史にはあまり積極的に学ぶべきものがないという価値観につながる。あるいは、歴史そのものが人間の努力を超えて進展するものだという歴史観を生み出す。さらには、開き直って当時の日本の進路を肯定することを強いる。
 しかしそうではないのだということを、これまでも川田の著書は訴えてきた。今回はさらに鮮明にその見方を提示している。
 いままでの多くの人のとらえ方は、関東軍に政府が引き摺られて謀略を追認し戦争がズルズル拡大してしまった、というものだった。石原莞爾という天才の独断専行によって、歴史が為政者から離れてしだいに何びとにも制御不能なものになってしまったという感覚もその一つである。
 しかし、事実は、永田たちの実に周到な集団的な構想を背景にして動いていったのだということがはっきり理解できた。ある種の、考え抜かれた頭脳と状況を見据えた手腕によって、そして重要なことは、公的な権限を持つ武力幕僚集団に根をはったネットワークによって、あの戦争が起こされたのだということである。その主体がくっきり見えてきたことは大きな前進だ。戦争を起こした主体が、或る集団に所属し連なる人びとが大勢だという分かりにくいものであっても、歴史はまぎれもなく人間の仕業であることを理解できるからである。永田はその中で重要な役割を果たしていたのだ。
 一方、永田とその集団に対峙した浜口や井上準之助たちの営為。それは同じく人間による努力ではあるが、戦争とは違う道を探り、武力によらない解決へ向かっていたことをこの本は示している。この真に人間的と呼ぶことができる努力は、これまでの一般的な印象と異なり、力強い現実的な成果をあげていたことも明らかである。
 この点については、経済的な視点からいっても、軍需による景気回復という見解は間違いであり、高橋是清も含め軍需を抑制する政策が効果をあげつつあったのだという事実を、最近の経済学者が明らかにしている。永田たちに対比すれば、高橋も基本的には、浜口・井上の後継者と見ることも可能である。その努力は光明を望み見ながら続けられていたのである。
 この本を読んで感じられるのは、未曾有の危機も人間の努力によって脱出可能であり、歴史はよりよい方向へ転換できるという確信である。このような歴史的事実の解明は、私たちに歴史への希望をもたらし、人間とその努力へ力を与えるものである。なによりも望まれることは、若い人たちが近代日本の歴史は学ぶに値するものだということを知り、そこから得たものを日本の伝統として受けとめるようになることである。この書を、今日の右傾化思想とは違ったアイデンティティを鍛える鏡にして欲しいと願ってやまない。