明治維新後、日本が脱亜入欧化を加速した戦争。
★★★★☆
最近、NHKでドラマ化した司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、少し誤解を招く映像を視聴者に与えているような気がする。
原作の全8巻を、熟読したなら、司馬史観を正しく理解することが出来るから、TVドラマだけでなく本のほうも読んでほしい。
司馬遼太郎の「この国のかたち」など多く氏の書いたものを読んできたが、日本が幕末から明治維新を経て、欧米列強に遅れた近代化を、懸命に短い年月で成し遂げた明治の時代背景から、無謀な太平洋戦争まで突き進んでしまった日本の時代背景を対比して、”何故なのだろうか?”と追求しているのが司馬遼太郎のテーマではなかったのだろうか。
この書でも、「日清戦争はたしかに巨大な狂気だったが、それは日本社会が近代化する過程で、潜り抜けなくてはならない狂気だった。→P.173」と著者は述べている。
著者は、最終章で、「今日なお、日本と周辺国とのあいだに歴史とどう向き合うかという問題が存在する。→P.232」と読者に問いかけている。
著者が、あくまで中立的なスタンスで、「日清戦争」を書こうとしているのには好感が持てた。
現代に通じるメディアの誕生
★★★☆☆
センセーショナルなルポと祝勝イベントという日本人を興奮させる仕組みというのが、日清戦争で確立されたんだなあということが印象深かった。「無知・怯懦で烏合の衆たる満州人」に優位に立つ日本人という思い込みもまた新聞にすり込まれる過程を読むと、メディアは時代を通じて一貫した「倫理」を持っているのではないのだと改めて思った。国木田独歩、松原岩五郎、岡本綺堂という当代一流の文芸家・ジャーナリストが各紙の特派員として従軍し、その文章を読むと、やはりジャーナリズムの原点は戦争にあるのかな、とも。是非はともかく、面白いものが見られるからメディアは発達したのだろう。
4章の、歌舞伎を完全に古典劇のカテゴリーに押し込んだ、日清戦争を好機に、オッペケペから近代演劇を確立していく川上音次郎の動きも読んでいて楽しかった。
司馬史観の否定
★★★★☆
池田信夫ブログで紹介されているので興味を持って読みました。
本書の低層に流れるテーマは、本書の最後に書いてある通り「日清戦争は巨大な祝祭だった」ということ。政治家もメディアも国民も全く同じベクトルでお祭り騒ぎに興じ、祝勝気分に酔った特権意識と西欧への対抗意識が昂じて泥沼の太平洋戦争に突っ込んでいく、その端緒を紛れもなく作ったのは日清戦争だった、ということが様々な角度から語られており、「日露戦争までは日本は健全だった」という司馬史観に反論しています。面白く読めました。
お祭り騒ぎの日清戦争―『坂の上の雲』前奏曲
★★★★★
本書は中世文学?!を専門とし、恵泉学園大学准教授である筆者が
日清戦争を日本で近代的な国民国家が誕生した契機と捉え、
当時の新聞や芝居、流行歌、教科書など様々な言説を眺めることで
日本における国民国家概念について検討する著作です。
思想家や政治家たちの著作・日記などを下にするのではなく
川上音二郎とその壮士芝居、それに触発された歌舞伎一門
あるいは、小学生までもが行った募金など
あくまで市井の人々の生活と、彼らが触れたであろう言説をもとに
国民が形成されていく過程が描かれており、
とても興味深く読むことができました。
また、三国干渉に対するナイーブな反応についても、
本書で描かれたような日清戦争当時のお祭り的な雰囲気を踏まえると
さもありなん−という感じです。
しかし、本書の中でなによりも心に残ったのは
6章で描かれた小学生による日清戦争ごっこや中国人への投石。
言葉にならない、ひたすら悲しい気持ちを抱き
戦争や紛争、社会が醸成する感情の罪深さ・醜悪さを再認識しました。
ナショナリズムや近代史に興味のある方はもちろんのこと、
『坂の上の雲』ブームに乗りたい人などにもおススメの著作です☆☆
煙も見えず雲もなく風も起らず波立たず、鏡の如き黄海は……
★★★★★
団塊の世代の人間には、「アラカン」こと「嵐勘寿郎」主演映画、『明治天皇と日露大戦争』とか、『天皇、皇后と日清戦争』を通したイメージが、どうしても日清、日露の戦いには付いて廻る。
なお、本書は日清戦争の顛末を起承転結的に祖述したものではなく、著者自身、「あとがき」で述べているように、「日清戦争という歴史的事実そのものよりむしろ、事実の手触りであり、事実が不可避的にともなう感興」を材料に、共通の歴史的経験を持つことによって、日本人が、「日本国民」としてのアイデンティティーを獲得する端緒となった初めての対外戦争と「日清戦争」を捉えている。
一つ一つの章・節について言えば、すでに先学に紹介されているところをコンパクトにまとめたものという位置づけになるが、日本史の教科書が、とかく語りたがらない歴史の一コマを副読本的に肉付けするものと見て好いだろう。はっきり言って、日本史を勉強中の中学、高校生諸君向きやねん。でも、歴史の勉強が面白くなること必定だと思うよ。
しかし、日本人にとって「日清戦争」は、まだ多くの人間が観客席に座っていた戦争といえる体験だった。
戦争の狂騒といっても、庶民には、プロ野球やサッカーの試合でフランチャイズチームに声援を送るのと、そう大きく異なるものではなかったのが実感であって、日本国民としてのアイデンティティーは、このあとの三国干渉によるショック、戦費調達のための重税、日本国中ほとんどの市町村が甚大な人数の戦死者を背負うことになった「日露戦争」によるほうが、遥かに影響したところは深刻で、かつ「国民の形成」に与えた陰影も複雑だったといえる。
その意味で、「日本型ナショナリズムの成立」をテーマとするなら、本書と同様な視点からの「日露戦争」探求と一対にすべき仕事ではないかと思う。
そういう意味の次を著者に期待したい。