自分自身の視点を持つこと
★★★★☆
はじめに本書の欠点を一つ挙げておきます。
本書はビジネス小説に分類されていますが、ビジネスに関する記述はきわめて少なく、本質的には兄弟間(あるいは兄弟家間)の確執を描いています。
それゆえ、「社長の器」という題名から期待される「企業における優れたリーダーとは?」という問いを考えさせられるような要素はほとんどありません。
これから本書を手に取ろうと考えておられる方は、この点に注意してください。
さて、本書には性格の全く異なる二人の経営者が登場します。
一人はミネベアの高橋高見をモデルとする経営者、もう一人はその弟である高橋高望をモデルとする経営者です。極端な類型化を行うならば、前者は当時流行りはじめたアメリカ的経営を志向する経営者であり、後者はいわゆる日本的経営を志向する経営者です。本書は、その構成上後者、すなわち高橋高望氏に肩入れしたくなるように書かれています。
しかし、上記のように本書にはビジネスに関する部分がほんの少ししか描かれていないため、必ずしも「どちらが『経営者として』優れているか」を論じることはできないでしょう。人間的には高望氏の方が明らかに魅力的ですが。
そのため、読者に求められるのは、本書を読む中でどれだけ自分なりの意見を持つことができるか、であると思います。
以下、本書を読んだ上での私なりの解釈です。
兄・高見氏は、本書中で確かに陰険な性格として描かれてはいます。しかし、裁判に関する主張の応酬をを丹念に読むと、高見氏は(全てではないにせよ)実はきわめて合理的な判断に基づいた主張を行っていることが分ります。弟・高望氏に関しては時折疑問を呈したくなるような部分もありました。
では、経営者としての姿はどうであったか。
ミネベアという現実の企業を考えてみましょう。当時のミネベアは異業種の買収を繰り返し、大企業にまで成長しました。しかし、このようなシナジーの生じない買収は明らかに株主利益を損なっています。高見氏は「会社は株主のもの」と本書内で主張してますが、同氏の主張と行為には矛盾があり、この点に経営リテラシーの足りなさを見て取りました。当時このような経営スタイルが許されたのは、株価自体が常に右上がり基調の高度成長期だったからです。
逆に、弟の高望氏の経営はどうであったかというと、「会社は従業員のもの」という考えに基づき、家族的な企業を作り上げていました。この考え方に基づく限り、高望氏は適切な経営を行っていたことになります。近年日本には多くの優良中小企業が存在しており、もし高望氏が生存して活躍を続けていれば、そのような優良企業にまで発展したのではないか、と感じました。
結論を述べると、高見氏は上場企業・大企業の経営者としては必ずしも良い経営者とはいえない。高望氏は同族が支配する中小企業の経営者としては良い経営者といえるだろう、といったところです。あくまで私見ですが。
社長の器の話ではありません
★★★☆☆
実は企業小説というジャンルは初挑戦。雑誌の書評で推薦してあったので、有名な高杉良の著作をを初めて読んでみました。
「社長の器」というタイトルから、グローバル大企業の社長であり冷徹な兄と、日本のメーカーの社長であり温情厚い弟、という2人の兄弟の対比をするというストーリーは予想通りでしたが、中身があまりに期待はずれ。
兄が社長としてビジネスに関わっている描写はほとんどなく、弟の遺族を執拗に追いつめる冷酷な偏執狂、という部分ばかり。人間的に少し偏っていても、経営者として偉大、という人は実際いるわけで、この描写だけでは兄の経営者(社長)としての器は理解しにくい。また弟にしても、本書が弟の家族を中心に描かれているからか、彼に人間的に魅力があったのも、努力家だったのも理解できるが、経営者としての描写は弱い。
また、後半に出てくる兄と弟の遺族の間の法的なやり取りや手紙の描写も、あまりに冗長すぎて読みにくく、単純な小説としての魅力も高くない、と感じた。本を読むのは比較的早い自分が、読み切るのにずいぶん時間がかかったのは、あまり面白く感じていなかったから。
タイトルの「社長の器」に騙されないで(社長の適性を考える部分はほとんど無い)、昭和の時代の企業小説のひとつとして読むのなら、アリだと思います。あまりお勧めしませんが。
ひとつの事実の捉え方
★★★★☆
ミネベアを世界的企業に育てた兄と、部品製造会社を経営しつつ衆議院議員3期をつとめて若くして物故した弟の確執を描いた作品です。ひとつの事実を捉えるのに、こうも見方が違うのかということを、まざまざと感じさせます。よって立つ視点と構成上、弟に感情移入して読む読者がほとんどだと思いますが、兄の視点・立場と弟の視点・立場の双方を斟酌できる展開であれば、なお楽しめたと思います。
血の通った経営
★★★★☆
高杉さんならではのノンフィクション的小説です。ミネベアの前社長高橋高見氏とその弟で国会議員であり中小企業の社長の両者が主人公です。全く性格の違う兄弟。同じ社長という立場で全く違う経営手腕を発揮します。この本は冷血で高圧的であるが企業を拡大させる能力に長けた兄と、従業員を大切にし福利厚生を重視する中小企業の社長。はたしてどちらが社長の器として適しているのかを問いかけてきます。高杉氏は完全に弟側の立場で小説を書いているのでこの本を読む限り血の通った経営者に軍配が上がりますが、現実問題としてミネベアを世界的な会社に育てたのは兄の高見氏であることは紛れもない事実です。その意味でタイトルどおり社長の器としてどちらが適しているのかをもう少しリベラルに描写していればもっと面白かったのではないかと思います。