サラのヴォーカルはクラシックやミュージカルからは最も遠ざかり、ポップな歌唱となっているが、その分いままで以上に官能的かつ多彩な声色を駆使し、成熟した大人の女の魅力を放っている。1、2回聴いただけでは、このアルバムの本当のすばらしさは伝わってこないかもしれない(多くのロングセラーの名作アルバムの発売当初と同様に)。それほど内容はぎっしりと濃い。しかし、何回も聴いているうちに、本当の奥深さがじわじわと伝わってくる。
私たちは、中近東と聞いて何をイメージするだろうか。テロ? 民族紛争? 宗教の対立? 悲惨な難民の群れ? 近頃浮かんでくるのはマイナスの事柄ばかりだ。
ところが、イラク戦争とほとんど同時にリリースされた、中近東をコンセプトとしたサラ・ブライトマンのニューアルバムに込められているのは、それらのどれとも違う。中近東の人々や文化への限りないオマージュであり、愛とあこがれである。
このアルバムを聴いているうちに、私たちを虜(とりこ)にしていくのは、かの地に住む人々が、欧米やアジアの人々と同じくらいに、誇り高く、自由で、セクシーで、魅惑的な人々なのだ、という(実は当たり前の)事実なのである。
サラの個性に中近東テイストの耳慣れぬエキゾティックで豪奢(ごうしゃ)な響きがブレンドされた世界は、やがて病みつき的に気持ちのいいトリップ感覚へと変わってくる。懐かしいオフラ・ハザ(80年代に一世を風靡(ふうび)したイエメン歌謡の女王。2000年2月に病死)のヴォーカル、シュヴェッタ・シェテイ(インドの人気トラッドシンガー)、カディム・アル・シャヒール(湾岸地域の大スター・ミュージシャン。哀しみを秘めた素晴らしいヴォーカル)、ナイジェル・ケネディ(イギリス生まれの、クラシックとポップ両面で活躍する鬼才ヴァイオリニスト)、さらにはプラハ交響楽団やロンドン交響楽団までが参加しているが、それをサウンド面で見事にまとめているのが、言うまでもなくフランク・ピーターソン。エニグマでおなじみだった得意のグレゴリオ聖歌風テイストも随所で効果的に発揮している。
クラシカルな曲ではアレグリのミサ曲、プッチーニ「蝶々夫人」から“ある晴れた日に”、ボロディン「イーゴリ公」より“だったん人の踊り”がフューチャーされているが、原曲とは遠く離れたサラの歌唱は、よりセクシーで全く別の新しい魅力を放っている。限りなく優しく歌われるラディカルなプロテスト・ソング「What you never know」「The war is over」の言葉の深さは、特に印象に残る。
本作は、過去のサラのヒット・アルバム「エデン」「ラ・ルーナ」「アヴェ・マリア」に勝るとも劣らないどころか、同時代的な強いメッセージを(他メディアではなく)音楽できちんと伝えうるという意味で、彼女のアーティストとしての本領を発揮した真にコンセプチュアルな傑作と言っても過言ではない。(林田直樹)