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どうして英語が使えない?―「学校英語」につける薬 (ちくま学芸文庫)

価格: ¥1,260
カテゴリ: 文庫
ブランド: 筑摩書房
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行き過ぎた批判 ★★☆☆☆
学校英語と受験英語にどちらも深刻な問題点があることは事実である。だが本書は少し英語至上主義に傾いているのではないか。

例えば、英語のネイティブはelder brotherなどとは普通言わないし、そもそも英語では兄弟姉妹の上下関係なんかほとんど気にしない、ということが指摘されている。しかし、だからといって、日本人が使う英語でもelder brotherやolder brotherと言うべきではない、というのは、英語話者と話す時は日本文化の考え方を捨てなさい、と言っているようなものである。英語を学ぶ上で文化の違いや世界観の違いを認識することはもちろん重要である。しかし、異文化を理解するということと、相手の文化に阿諛追従するということは違う。もし日本人の誰もが英語を話す時に兄弟や姉妹を区別しなければ、日本人と英語で交流した海外人は、兄弟姉妹の上下関係をはっきりと区別する日本文化の思想に触れることができない。これはどう考えても国際理解という観点からは有益ではない。逆に、多少最初は変な感覚を相手に与えたとしても日本人がことあるごとに兄弟姉妹のolderとyoungerを区別しているとわかれば、海外人も「日本ではその区別がそんなに重要なことなのか」とか「そんなことが重視されている文化もあるのか」と徐々に理解を深めていくはずである。

また、文法の軽視もあまりに度が過ぎると問題である。タイムの記事を解説しているところでは、onlyから始まる要素の後、文の倒置が起こっている箇所を「リズムの問題」だと説明しているが、そのリズムはどうやったら体得できるのか。普通に考えれば、「否定的な意味を持つ副詞要素の後では倒置が起こるのが文法のルール」と説明したほうがはるかに納得できる。リズムは大量のインプットで身に付けるしかない、と言われても気の遠くなるような話である。また、著者は第6章で受験英語の和訳問題形式を槍玉にあげ、内容理解よりも、省略・倒置・仮定法、比較、分詞構文などなどの文法ポイントを問うだけの問題と批判しているが、試験で差がつくからこそポイントとなるのであって、大昔から出題され続け、予備校や学校で傾向と対策がとられているのにもかかわらず、いまだに試験で差がつくのだとしたら、それだけ日本人がつまずきやすい箇所なのだという見方もできるはずである。

そして、本書を読んでいると、こういったいわゆる文法ポイントからなる「複雑な構文」が受験英語以外の英語とは無縁であるかのような感覚を抱いてしまうが、例えば、世界的にヒットした現代大衆小説であるThe Davinci Codeのような作品でさえ、実はこのような「文法ポイント」で埋め尽くされているのである。部分的に見れば、いわゆる難関大学の英文解釈問題と比較しても全く遜色のないような文章もある。

こういったことを全て考え合わせると、本書の受験英語、学校英語批判はやはりラディカルに過ぎるといわざるを得ない。
「water」は「水」ではない! ★★★★★
前半では、辞書などによる一対一の訳を批判する。
例えば、waterは水ではない。headは頭ではない、などなど。
学校英語に毒されていると驚きの連続だ。

学校英語に輪をかけて問題なのは受験英語だ。
がちがちの逐語訳、英文和訳、和文英訳、普通の英語をやるにはむしろマイナスなぐらいだ。

後半は、多読や映画による英語学習が紹介されている。


筆者の言うようにしていくのも悪くないだろう。
もっとも、筆者は少し文法を軽視しすぎているとは思うが、現行の学校英語へのアンチテーゼとしてならば十分受け入れられる。
くどすぎる! ★★☆☆☆
学校英語を徹底的に批判しかも中編小説並みの分厚さ。
「だから何なの?」と言いたくもなる。
多読はもう何年も続けているので、ここで改めてこの作品を
読む必要はなかった。
多読を奨励している部分はいいが、それ以外はなにも
面白くない。
途中で読むのをやめてしまって、半分も読めていません。
これからも読まないでしょう。
はっきりって疲れます。付き合いきれません。
学校英語批判+多読紹介 ★★★★☆
本の前半部分は、現在の学校英語に対して、おもに「日本語と英語
の間に文法に関しても、意味に関しても、音に関しても一対一の対応はない」と
いう主張のもと、厳しい批判が繰り返されている。

そして後半では、その学校英語という「毒牙」をunlearnするための方法論
として、多読、多聴の重要性を主張しており、現在まで続く多読教育の礎を
なした書であるといえる。

筆者の学校英語に対する強い抵抗感とともに、歯に衣着せぬ物言いが印象に残る。
しかし、「学校英語」というものが何を指しているのか、その定義については
ふれられていないように感じる。学校英語と一言でいっても、どのようなものを
指すのか研究者によっても、教育者によっても異なる部分なので、そこの定義を
明らかにしていただきたかった。
英語学習の王道 ★★★★★
わたしは、社会人だし著者の薦める、多読学習をしようと思っています。
学校受験英語は本当に使える英語にとって害多いのは事実です。
しかし、彼ら教師も「教える」という作業と、「進学させる」という急務の
前で、多読学習という時間と金のかかる手法は、薦めることができないのは、
やむなしってとこです。
受験の終わった暁には、「本当は多読学習こそが使える英語なんだよ」
と教え子に白状するという、これもまた教師の義務のひとつだとおもう。