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創氏改名―日本の朝鮮支配の中で (岩波新書 新赤版 1118)

価格: ¥819
カテゴリ: 新書
ブランド: 岩波書店
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自虐史観? ★★★★★
 否定的なレビューが多く、自虐史観による一面的な歴史書という印象だったので、買うまでもないと思い、図書館で借りて読んでみました。
 読んでみると、歴史観の違いはそれぞれあるとしても、近年のデータを踏まえた、客観的な記述による水準の高い歴史研究であることがわかりました。
 一般に、教科書では「創氏改名とは、日本式の姓名を名乗らせる皇民化政策」と説明されるが、筆者は、不明確で曖昧であるとして、必ずしも全面的にはそれを肯定していません。
 そもそも、創氏と改名は性格の異なる制度である。改名(ファーストネームの変更)は任意であり、裁判所の許可が必要で、しかも手数料も払わなければならない。実際の改名も10%程度であった。一方、創氏は、姓を氏に変更(これについて詳細な説明がありますが、具体的にどう違うのかよくわかりませんでした)する制度であり、届出は義務である。ただし、届出がない場合でも、一方的に、戸主の姓がそのまま氏とされる。その意味では100%強制的である(そもそも届出を義務とする必要もないと思いますが)。ただ、届出をする場合は、日本式の氏を選択することも許される。その意味では任意であり、朝鮮総督府は強制ではないと説明していた。筆者はそれに対して、公文書や新聞記事などの資料から、日本式の氏への強制があったと主張しています。貴族院でもその点で質疑があったそうです(219ページ)。
 実際に、日本式の氏を選択することを強制されたかどうかを具体的に立証することは困難だが、届出開始の2月は、累積件数わずか0.4%、3月でも1.5%だったのが、7月53.7%、最後の8月で80.3%と急増している(64ページ)ところを見ると、全くの任意であったと見るのは不自然であるように思われます。(もちろん届出のすべてが、日本式の氏を選択したわけではないでしょうが)
 ある地区のデータによると、内地人風の創氏は37%に過ぎず、朝鮮的な氏がかなりあった(152ページ)ことから、「日本式の姓名を名乗らせる皇民化」がどれほどの効果があったのか疑問だと思います。さらに、改名はごくわずかだから、日本式の氏を選択しても、その多くには朝鮮的な名がくっつくことになり、かなり支離滅裂な観があります。また、日本式の氏への誘導が、天皇への忠誠に直結したかどうかは疑問で、いたずらに民族感情を刺激し、治安悪化の懸念を高めただけとするなら、警察当局や内地政治家の強制反対の主張も理解できます。
 筆者が最後に提起している「創氏改名はなんだったのか」という問いかけは、とても意味深いものだと思います。
感想 ★★★★★
創氏改名について、いろいろな妄説が出回っている中、信頼の置ける数少ない学術的な本のひとつがこれである。
特に、創氏が当初のねらい、皇民化を軌道修正し、朝鮮人とわかる氏に誘導するようになったという分析は、たとえば金英達氏の著書(『創氏改名の研究』)にはなかったように思う。資料を多く廃棄されている中でよく実証的に書かれていると思う。創氏改名の研究は、この書から出発すべきと思った。
労作なのだけれど、結論が蛇足 ★★☆☆☆
○『創氏改名』水野直樹/岩波新書


 労作。

 西暦千九百四十年から四十五年にかけて、創氏改名がどういう過程を経て朝鮮人の間に広まっていったかを、一次史料によりながら書き出している。
 内鮮一体の立場から創氏改名を推進する朝鮮総督府、治安担当の立場から反対する警察機構や日本政府。更に朝鮮人自身の中にも賛成派、反対派があり、様々な立場と思惑が交錯していたようだ。
 しかし全体として、ちぐはぐな動きを見せながら、それでも法が整備され、最終的には朝鮮半島約四百万戸の八割が創氏を届け出た。それらの様子がよく分かり、面白いと思う。


 ただ、そうした一連の流れを纏めてくれたのは良かったのだが、それらを通じて得たという著者の結論部分には首を傾げざるを得ない。
 具体的には「一部の者は積極的に応じたが、大半は圧力のためにやむなく創氏したのが実情であろう。(P231)」とある箇所だ。
 著者によれば、朝鮮半島の約四百万戸の内、八割に当たる三百二十万戸が創氏の届け出をしたそうである(p64)。
 ではその三百二十万戸の内で、『圧力』により創氏を届け出たのは何割と推定しているのか? 大半と言うからには少なくとも半分以上と考えられるが、ではその根拠は? それが全く提示されていない。

 それが無いのに「大半は圧力のために…」としてしまうのは、研究者としては失格である。普通、学生が論文にこんな事書いたら、まともな教授は合格点をくれない。
 この文章は「今日、東京都町田市では雨が降った。故に、日本全国雨だったであろう」と言うのと同じぐらい、論理の飛躍がある。


 また例えばp62に、創氏に関する朝鮮人の意識調査で、47名というごく少ないサンプルが提示されている。著者による分類では、

 A.「創氏改名するつもり」12名。
 B.「創氏だけするつもり」8名。
 C.「考慮検討中」12名。
 D.「回答出来ない」9名。
 E.「創氏も改名もしない」5名。
 F.「戸主でないので決められないが創氏する」1名。

 となっている。
 この内、創氏するをAとB合わせて約四割(20名/47名)と見なすのは良いとして、何故か「DをEに近いとみなすなら、約三割が創氏改名に消極的な姿勢を示したと考えられる。「考慮検討中」と答えた者の多くも消極的だったと考える事が出来よう。(P62)」となっている。

 みなしちゃ駄目だよ。
 考える事は出来ないよ。
 これでは一体、何のために分類したのか判らなくなる。

 こうした個別事例と全体の傾向の区別を付けられないとか、統計的処理が出来ないのは、我が国の所謂「文系」学者の欠点だと思う。
 あるいは、「この位は当て推量で構わないだろう」と言う、プロ意識の無さと言っても良い。別の言い方をすれば、論理構築の手抜きだ。

 ここはせめて「個人的な感触だが…」程度の但し書きを付けておくべきだった。


 全体として良い感じに進んでいただけに、これは惜しい。
 「蛇足」と言う言葉の見本を見てしまった感じだ。
両方に誤解があることが相互理解を阻んでいる ★★★☆☆
本書もそうだが、そもそも、「姓」、「氏」、「名字(苗字)」が何かってのを、ちゃんと説明しないと、朝鮮総督府による「創氏改名」への歴史的過程は本書の叙述する通りだとして、これから先の日韓相互理解ってのが一歩も前へ進まないのと違う?
著者は、山野車輪氏『マンガ嫌韓流』や、永島広紀氏『韓国・北朝鮮の嘘を見破る、近現代史の争点30』などを引用し批判しているが、では、どれほど正しく「姓」と「氏」、「名字」の違いを著者が理解しているかとなると、やはり少々疑問視せざるを得ない。
じつは、「姓」と「氏」、それに「名字」は、英語なら、どれも単純にファミリーネーム(家名)だが、それぞれ、家族制度の違いに基づくもので、厳密には、みな異なるものだ。
第2次大戦後の民法改正で、日本には「家」という制度が法律になくなったので、さらに解り難くなっているのが実情で、戦後生まれの人達は、いまさら何で議論が沸騰するのか、まるで理解できなくなっているというのが本当のところだろう。
「姓」とは何か? 
古代中国、周王朝の王家は「姫姓」だった。高貴な女性を「お姫さま」というのは、もとは周の王室から諸侯へお嫁に来た奥方様が「姫」姓だったことに由来する。
以下「姓」という漢字の部首に「女」が偏として組込まれているのと同様、その人間の所属する「姓」を表記する文字には、必ず「女」が漢字の字画のどこかに含まれている(幾つか実例を挙げようと試みたが、大半、ワープロ文字に無く諦めた。ご容赦)。
そのうえ中国には、父系を同じくする同族男女の婚姻を許さない「同姓不婚」という絶対的な約束事がある。お互い結婚できる男女の関係か否か、だから、相手の「姓」が分かれば解る。
ところが、春秋時代の後半期に中国で「姓」に依拠する同族団の結合が崩れだす。
社会が流動化して同族の中でも一族が従うのと異なる他の王候に仕える一派が出てくるし、移住して経済的基盤において独立した生活を営む家族も出てくる。
そのため「姓」が枝分かれして、下位的に「氏」という家族形体が出現する(司馬遷の『史記』に、その実例が数多く出てくる)。
ただし、このあたりは中国でも、漢の時代、『史記』を司馬遷が書いた頃には「姓」と「氏」の区別が、もう相当に曖昧になっていた。以後、家名を「氏」で名乗るほうが優勢になり、隋・唐の時代に「氏」で戸籍の家族名が固定されて現在に至ったというわけ。
だから、現代の中国人が「家名」として名乗ってるのは、じつは「姓」ではなく、正確には「氏」。
でも、「同姓不婚」は「姓」の果たした役割を「氏」が引継ぐ。
いまも、中国や韓国・朝鮮、ベトナムほかでは、結婚しても奥さんの「姓」は変わらない。
日本だって、昔は「北条政子」、「日野富子」、「浅井達子(徳川秀忠夫人お江の方)」ってな具合だったのは読者諸賢ご承知の通り。夫婦して同じ家名を名乗るようになったのは明治以後、ナポレオン民法に準拠した明治民法以来のこと。なお、フランスでも、夫婦同姓になったのは革命以後で、それまでは別姓、同姓両方が並立していたが、どちらかというと、「エリオノール・ド・アキテーヌ=(ヘンリー・プランタジネットの妻)」、「カトリーヌ・ド・メジチス=(アンリ・ド・ヴァロアの妻)」のように夫婦別姓のほうが優勢だったという。
そこで韓国・朝鮮。
新羅朝が「戸=家族」の制度を律令制と一緒に隋・唐から導入したとき、新羅の社会は「姓」的同族結合の段階にあったらしく、隋・唐律令の「氏」制を「姓」的な家族制として解釈して受容したようだ。
正確な数は知らないが、たぶん、韓国・朝鮮に「姓」は3〜4百くらいのはず(注.調べてみたら2000年時点で274。うち金、李、朴の3姓で全人口の40%、上位10姓で60%とある。しかも下位18姓は皆10人未満しかおらず、最下位3姓は1家族づつしかいない)。現在のかたちで「家名」が固定されたのは、高麗朝末期から李朝への交代期。
ところが日本。日本は、古代から小家族(単婚)制だったという点で世界でも稀有な例外地域。
中根千恵先生によると、ユーラシア大陸地域では日本とイングランドだけだそうだ。
たとえば、清和源氏のうち「源義光」の子孫で、常陸国・佐竹荘に土着した一族は「佐竹の某」を名乗り、その兄弟で同じく常陸・武田郷を分与された者は「武田某」を名乗る。その後、甲斐に移住した武田の家から、さらに分家して甲斐・南部郡に土着したのは「南部某」を称し、おまけに南部家は鎌倉時代の初め、陸奥国に所領を得て、そこでまた一族の子孫たちが、それぞれ所領にした土地を「名字の地」とし、一戸とか九戸の地名を家名にして、「一戸某」や「九戸某」を名乗る、と。こういうのは「氏」でなく、「名字(苗字)」と規定するのが正しい。
日本では親子兄弟のあいだでさえファミリーネームが違うなんてのは歴史的にザラで、ありふれているため日本人は何とも思わないが、しかし、余所様の眼から見ると、こんな不思議な家族制度など、とうてい理解の及ぶ範囲のうちに入らないとするのが通念だろう。大雑把な調べでも、日本には「名字」が優に10万以上(一説によると30万)あると言う。
というような次第で、同じファミリーネームでも、日本のは「名字」、中国のは「氏」、そして韓国・朝鮮のは「姓」ということになる。
つまるところ、「創氏改名」を押付けた日本政府・総督府の側が、きわめて特異例外的な、「名字」でもって家名を名乗る日本型家族制を、あたかもグローバル・スタンダード(欧米先進国の流儀=じつは共和国になってからのフランスの家族制度)のように思い違いし、大家族制で夫婦別姓の韓国・朝鮮流の「姓」を古臭くて時代遅れ、非文明的な家族制度だと決め付けて、無神経にも侮蔑に及んだことからボタンの掛け違いになってしまったってこと。
「創氏改名」は根源的に家族制度の相違まで遡る問題であり、現象的に「家名」の名乗りが日本風のに変るとか、奥さんも対外的にお連れ合いと同じファミリーネームを名乗るとか、本質において、そんな簡単な問題じゃないんだな。
おまけに、日本って、世界に冠たる「近親婚」の社会でしょ。
平安朝の前期頃まで、父親が同じ兄弟姉妹のあいだでも、母親が異なると平然と婚姻したケースが沢山あった(平城、嵯峨、淳和天皇3兄弟は、みな桓武天皇を父とする異腹の姉妹を后に娶っている)。戦前まで皇室なんか極端に閉鎖的な族内婚だったし、今だって先の佐藤首相夫妻はじめ、従兄弟姉妹同士の結婚ってのを日本では幾らでも見掛けるし。
こういうのって、中国や韓国・朝鮮のような「同姓不婚」の感覚から見ると、彼らの眼には「けだものの仕業」、まさしく「禽獣にも類する男女の結合」としか映らないのね。
だから彼らは、同苗男女が夫婦になるのを躊躇わない日本人の結婚観を、北方民族の「嫂婚制(父や兄が亡くなると、実母以外の未亡人を、あとを継いだ息子や弟が妻として引継ぐ)」と並べて、ものすごく嫌悪するわけ。
なお、モンゴル人やアラブ人には「氏族名」はあっても「家名」はなく、個人は「名前(複名)」は名乗っても「氏族名」は名乗らない。「サダム・フセイン」ってのは名前+名前。「フセイン」は家族名ではなく彼の父親の名前。「フセインの息子・サダム」が彼のフルネーム。世界には逆にノールウェーのように父母の名字を重ねて姓とする複姓の地域だってあったりするし、こういうの、どこへ行っても同じってもんでないんだな。
以上、ひどく大雑把な説明だが、「創氏改名」を語るなら、とりあえず、この程度のことは予備知識として頭へ入れておかないと、何が何だか訳が解らず、誤解に誤解を重ねるということに陥るだろうね。
要するに「創氏改名」とは、「姓」に代え「氏(=じつは名字)」で家族が呼称されるというかたちで、韓国・朝鮮の人たちが、「我らが(大)家族の絆」をズタズタに切り裂かれるような人格否認を、朝鮮総督府に「強いられた」と思う精神的なショックを受けたという問題なんだな。
日本にあてはめてみると、たとえていえば、敗戦のとき、占領軍に、これからは日本人も名字を先に名前を後に書くスタイルを止め、以後すべての公文書、出版物においてファーストネームを先、ファミリーネームを後の式にしたうえ、ローマ字で表記するよう命令された(実際に命じようとしたが、ときの日本政府が撤回させた)のと同じ、というと解ってもらえるか。
このあたりを最初から諄々に説いてやらないと、漢字が不得手な麻生太郎首相や、お若い山野君、永島君のような今の日本人には、中々解ってもらえないのと違うんじゃないかな。
繰返しになるが、日本政府が当時「創氏改名」を持出したことは、韓国・朝鮮の人たちに、彼ら固有の「人倫」や「家族観」を破壊するのが目的と受け取られて、彼らのプライドを著しく傷つけてしまったというのが「問題の本質」ってところ。
本書が数多く例証するような「強要した」とか、他方の「強制してない」って反論は、枝葉とまでは言わないけど、少なくとも問題の核心をついた議論ではないと思う。
でないと、いつまでたっても、麻生首相をはじめ、山野君や永島君のような主張が、日本人のあいだから当然のごとく飛び出すことになるし、朝鮮総督府が何を思い違いして創氏改名なんて戯けたことを企てたのか(たぶん、お役人様方は単純に行政上の便宜しか頭になく、日本領土一律に日本式で右へ倣えさせようとしたんではないかと思うが)、韓国・朝鮮の人たちに解ってもらえないってことになるんじゃないか。
■追注.)書籍『情報鎖国・日本の犯罪―新聞の犯罪』のなかで著者「高山正之」氏は、相変わらず懲りない意見をご開帳に及んでいる。
在米韓国人が「メアリーだのジョンだのマイケルだのと名乗る」ことを捉えて、かつての「創氏改名」を糾弾する韓国人を「ダブルスタンダード」だと揶揄したつもりで得意となっている。
この種の日本人は、傲慢にも、特殊日本型家族制度が世界中どこでも同じように通用する普遍的スタイルであるかのごとく思い違いして、いまだに「絶対善」だと信ずる視野狭窄から抜け出せないでいる。
残念ながら、これでは相互理解の道は、まだ険しいするほかないようだ。
根拠資料の間違いをそのまま引き継いだ論外な本 ★☆☆☆☆
この本は金英達著の『創氏改名の研究』を根拠として、日本による創氏改名の強制的な点や、
不自由な点を主張しているが、
金英達著の『創氏改名の研究』自体に以下のような読み間違いがあり、
同様な根拠崩壊を起こしている。
----------------引用開始----------------------
「朝鮮総督府法務局の『氏制度の解説』には、次のように解説されている。
「<期間内に氏を届出でなかった場合はどうなるか>
昭和15年8月10日迄に氏の届出を為さなかった場合は、2月11日に於ける戸主の姓がそのまま氏となります。従って従来の金や李をそのまま氏としたい者は届出をしないで放って置けば良い訳です。」

実務上では、「林、柳、南、桂等の姓を有する者が、林(ハヤシ)、柳(ヤナギ)、南(ミナミ)、桂(カツラ)等内地式の読み方を以て氏と為さんとする場合其の届出の要なきところ」という1940年4月22日付の法務局通牒(7)でうかがわれるように、戸主の姓をそのまま氏とする創氏届は必要ないとされており、戸籍窓口の実際においては、そうした創氏届は受理しなかったことが推測される。

ということは、事実上、設定創氏は日本風の氏の設定に限定されていたのである。 」

しかし金英達の引用した史料:朝鮮総督府法務局編纂『昭和十八年新訂 朝鮮戸籍及寄留例規』(朝鮮戸籍協会、一九四三年一二月)四三七〜四三九頁にあたると、以下のように書かれている。
「六.林、柳、南、桂等の姓を有する者が林(ハヤシ)、柳(ヤナギ)、南(ミナミ)、桂(カツラ)等内地人式の読み方を以て氏と為さんとする場合、其の届出の要なきところ強て届出を為す場合は受理するの外なきや。

六.貴見之通 」

---------------引用終了-------------------

つまり、「受理するしかない」と訳すべき所を、金英達は「受理してはいけない」と推測しており、肯定否定を引っ繰り返してしまっているのである。
そもそも、史料に記述されていることを見落としている時点で、読解能力が疑わしい。

一次史料にあたらず間違った解説本を元に論を展開って、論外そのもの。
読者自身が、当時の史料にあたって検証する必要性を理解する本としては適当だろう。