勝頼は凡将、愚将にあらず
★★★★★
さすが大御所、新田次郎先生
歴史分析、考察が深く、読み手が歴史の証人に成ったの如く読ませてくれます。
文章は、回りくどい形容も無くリズミカルに進んで行きます。
歴史作家には、大きく二つのタイプがあると思います。
一つは、史実とフィクション(架空の人物、出来事)を織り交ぜ、作家の思い入れ(あるいは作家のイメージ)を主人公にを強く反映しながら物語性を重視し、構成していくタイプ。
一つは、物語性よりも、史実に忠実に客観的視点から考察構成していくタイプ。
後者のタイプには、津本陽、立石優、そして新田次郎もこのタイプでしょう。
歴史小説とは、その時に生きてる人は当然居ないのだから、例え史実に忠実と言えども、その時代に生きた作家の時代背景、思想、資料採用の考え方などで、一つの史実が大きく見解の
違う点が、不満な事もあり面白いところでもあります。
立石優の武田勝頼や海音寺潮五郎の 武将列伝 戦国爛熟篇 の武田勝頼を読み合わせてみるのも面白いですよ。
武田家の滅亡は、勝頼の凡将、愚将にあらず。
信玄が家督相続に勝頼を指名していれば,,,,戦国の群雄割拠、下克上の時代に「喪を3年間隠す」と言う事は土台無理な話で、実際、彼の死は瞬く間に近隣の間者(忍者)によって、
信長や家康に知るところとなっているのです。
名将の信玄が何故そんなこと言ったのかは解りませんが、勝頼を後継者に指名できなかったのは、彼の母は信玄が滅ぼした諏訪出身であり諸事情を勘案しての事でしょう。
勝頼ファンとしては、真田昌幸の様な忠義に厚い武将が傍らにいてくれたことがせめてもの救いです。
国が滅びる時・・・武田家の終焉
★★★★☆
新田次郎さんの「武田勝頼」最終巻です。
淡々と滅びの時を迎える武田家。もはや組織的にも戦力的にも機能せず
織田の大軍の侵攻を受けた時、自壊するかのような最後を遂げる。
織田信長が毛利など敵対勢力の中で何故武田を最初の標的にしたのかの理由が面白い。
人質の息子を養子に迎え入れるとの武田家の書状を見て、
「自分におもねっている以上、戦意がない。組みし易し」と推理するのだ。
足元を見られれば一気に滅ぼされる戦国の悲哀と厳しさを感じる。
勝頼ファンからみれば、この最終巻は哀しい。
無傷の私利私欲親戚衆や無能な側近に対して成すがままになっている勝頼の姿が浮かぶからだ。
けれど、長篠の戦に大敗北を喫した当主である以上、余人の意見を尊重せねば
当主の座に居られない男の悲哀のようなものも感じる。
だが武田のことを思うのは勝頼と他数名だけであり・・・。
最後まで勝頼に殉じた者たちに比べて裏切った者たちの最後は醜く無残。
勝頼もまた戦にもならない武者狩りのような雑兵の手にかかって死んでいく。
あまりにも俗物的な武田家臣団の壊滅と最後まで責任を取った勝頼を
冷徹な筆でリアリストのように描いた結末。
昭和五十五年一月十日にこの小説のあとがきを書き上げた新田さんは一ヵ月後に永眠される。
国の困難や危機に対して、人としてどう行動すればよいのか?
新田さんは故郷の武将の生涯になぞらえて問いかけているようである。
余談ですが、近年の研究によれば実際の勝頼は滅びる直前まで軍の改革をあきらめなかった。
最後まで織田の進撃に抗した男だったのである。
このあたり、この小説とは実像が違う。
この小説の晩年の勝頼の描写は史実とは少し違うのですが、
あの当時の歴史研究、取材で、よくぞここまで書かれたという感慨の方が大きかったです。