エリアーデ宗教史第六巻
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この第六巻までがエリアーデが生前自らの手で書き残した部分となる。巻末にはシカゴ大学での同僚の宗教学者・ジョセフ・ミツオ・キタガワ氏による「ミルチア・エリアーデの思い出」という文章と、1−6巻までの索引が、6種に分類したうえで掲載されている。
本文は3つの章だけで、しかし内容は一つ一つ濃い。中世後期になって民間信仰に基づいた異端が産まれ続けていくことによる教会側の変化、変化が極まっての宗教改革と対抗宗教改革、ルネサンス期の人文主義者たちの群像、異なるレヴェルに達した錬金術、チベットの宗教がまたも見せたシンクレティズムのメカニズム、と、ここでエリアーデ自身の筆が止まってしまったことが恨めしく思ってしまう。
キタガワ氏によるエリアーデの回想は、本人の、優しげで希望を持ち続けた人柄を偲ぶことの出来る、素敵な小文だ。
著作全体としてアルカイックな、原初的でありながら何度も反復される構造とシンクレティズム、先行する単一あるいは複数の体系や諸観念を借用し、再解釈して再構成していく働きが、諸民族の特性や時代精神や創造的で天才的な個人と衝突して新たな宗教的営為を生み出し続ける流れが読み取れる。現代の世界で見られる宗教や新興宗教の教義やその発展、本流からの逸脱などの類型が歴史上既に実現・反復されていることを、多くの実例で想起できる。
こうして1巻から6巻から読み通してみると、エリアーデの語り口やその内容には、特定の宗教を貶めようとか、宗教全体を貶めようとか、特定の地域の人々を貶めようという意図が全く感じられない。人間存在、その生に対する好奇心、人間に対する信頼といったものが随所に読み取れるのだ。こういう人が世界の宗教史をまとめてくれたことはとてもいいことだったと思う。博識であることだけでは、このような書は書けないだろう。あとに続くものたちに惜しみなく自分の知ったことや経験したこと、そうして到達できたアイディアを伝えようとする姿勢、これは愛といっていいと思う。思惑ばかりが目に付く今の世の中では、なかなか目に付きにくく、出くわすことがない仕事だ。