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朝鮮王妃殺害と日本人―誰が仕組んで、誰が実行したのか

価格: ¥2,940
カテゴリ: 単行本
ブランド: 高文研
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典型的な愚書である ★☆☆☆☆
 日本の朝鮮統治に関する研究をしたいのだったら、在日朝鮮人の著作は読む必要はない。それは「植民地史観」から一歩も抜け出していないからである。こういう者たちを助長してきたのが日本の左翼研究家である。隣の韓国では日本の統治時代の朝鮮の経済発展を度評価する「新経済派」(「李 栄薫」、「安 秉直」など)という人たちが日本の統治時代の朝鮮の経済発展を一定程度評価するなどして最近力を付け、それなりに韓国学会での地位を確立している。ところが、日本の在日朝鮮人は朝鮮総連の影響と能力の欠如からこうした動きは全くない。在日朝鮮人の研究家(果たして研究家と呼べるか疑問)は現在では韓国ですら全く評価されることはなく、著作の紹介さえされてない。この書籍の著者「金 文子」もその例に漏れない。
 さて、この著作だが、「閔妃」殺害の犯人探しをしても意味が無い。この事件の要点は「閔妃」が朝鮮史にどういう足跡を残したのか、まさに日本に併合される直前にどういう地位にあって何をもたらしたのか、「毒婦」で国を滅ぼしたのか、にある。
 日本人に殺されなくとも朝鮮人に殺されたであろう。早くに殺害されて良かったとの解釈も成り立つ。そうでなければそうでないという論拠も欲しい。
 いずれにせよ、この書籍は<犯人探し>に始終して「閔妃」の歴史上の評価がない。歴史書としては全く価値のない書籍であることは明白である。
日本という害虫国家の暗部を鋭く抉り出す快著 ★★★★★
日本やアメリカの近代・現代史を振り返るまでも無く、宗教を悪用し、
歴史を歪曲し、戦争を引き起こしてきたのはすべて右翼である。
捏造報道に明け暮れる読売・産経や新潮などのマスゴミを廃刊させ、
小泉・安部・麻生に象徴される様な国民を扇動し、外交の選択肢を狭め、
アメリカの侵略と虐殺に無自覚に加担し、国民を危地へと追い込む
アジテーダーとその信者共を一匹残らず社会から駆逐することこそが、
現在の日本がアジアで認められ生き残る唯一の道である。未だに天皇の
戦争犯罪を断罪もせず、天皇制を唯々諾々と受け入れ、戦後60年以上、
いや、1500年にわたって家畜民族・奴隷民族としてのDNAが染み込んでいる
日本人には真の革命など不可能である。日本人の本質はまさにその家畜民族性質にある。
明治以降の肥大しきった日本人の傲慢性を正し、日本人をまともにするには
我々、良識ある者達によって右翼という社会のダニを根絶するしか術はない。
王妃殺害の真実に迫る、決定版であろう。明治栄光論を切る必読書ではないか ★★★★★
 著者は歴史家中塚明氏のお弟子さん(だと思う)。日本でアンタッチャブルな問題に新しい視点、解析を行っている力作。角田房子の「閔妃暗殺」、崔 文衡の「閔妃は誰に殺されたか」を読んだ人ならば、なお興味深く読める筈である。

 日本の角田房子は、ノンフィクション作家らしく、関係者の虚実入り混じる証言をいわば、情緒的に判断し、「暗殺」の真相は、日本政府とは関係なく三浦梧楼の「独走=功臣」であるとした。
 韓国の崔 文衡は、歴史学者として、「朝鮮に暗い」三浦の単独犯行はありえず、日本政府関与、もっと詰めれば、井上馨が「主犯であるとした。

 本書の新鋭・気鋭の「在日」の歴史学者金文子は、両者の説を根底から覆したのだ。

 「根底」とは何か。角田と崔も、当時の朝鮮を「植民地争奪」の視点からしか見ていない。世間でよく言われる、朝鮮を清やロシアに取られる前に日本が取らないと、日本の自存自衛に危険が生じるという、「あの正論」である。だから、親ロシア派の閔妃を排除しなくてはならない、というのが事件の「根底」である。角田も崔も自著でそこから一歩も出てこれなかった。

 だが、歴史とは、そんな単純なものではない。A点からB点まで直線で引くことで導き出される自然科学の定理とは違う。A点からB点にいくまでに、沈み込んだ細かい点を浮かびあがらすことによって生じる真実が、A点からB点までの直線定理を覆すこともあるのだ。そんな歴史のダイナミズムを著者は、本書で教えてくれた。

 日清戦争で「朝鮮の独立」を果たした日本が、日露戦争で「朝鮮を植民地化」する。このA点からB点までに「親露派の閔妃排除」を無理やりこじ入れようとするから、角田も崔も「混迷」したのだろう。読者だって混迷したに違いない。なぜなら「あの正論」が本当に正論であるならば、「閔妃暗殺」などという「隣国王妃殺害という蛮行」は、「結局ロシアと戦争し、勝つ事で先進国入りした」日本の歴史に、そして「結局植民地に落ちた」韓国の歴史にも必要なかったという答も導き出せるからだ。

 誤解を恐れず単純に「あの正論」から閔妃殺害を必然視するならば、「閔妃がいるロシア」には勝てないが、「閔妃のいないロシア」には(だからこそ)日本が勝てた、なんて事になってしまう。こんな話はジョークとしても三流以下ではないか。

 だが、残念ながら「閔妃暗殺」は、日本政府にとって、特に大本営にとって「必然」だった。
何故か。答は、著者が丁寧に理論的かつ整合的に史料を解釈していくことで明かされていく。

 その答は解き明かされてみれば、「明解」である。日本は朝鮮半島に設置された電信線を確保しなければなかったのだ。日清戦争当時、「戦争には、電信線」が必須だった。電信線なくして戦場に「大本営からの命令系統」は成立しなかったのだ。日露戦争以後の「無線通信」時代とは、完全に「歴史が断裂」していたこの事実が、大本営の中に「朝鮮の主権を主張する閔妃を排除」しなくてはならない「必然」を生んでしまった。

 言い換えれば、日清戦争とそれ以後しばらくは、「独立国朝鮮国」に存在する、電信局と電信線を日本が「戦略的に確保」しなければ、(清ともロシアとも)戦争などできない「時代=歴史」だったのだ。結果的に「文明は進み」、日露戦争時は「無線通信の時代」が到来する。

 この日清戦争と日露戦争のいわば「有線か無線か、という文明としての断裂」に対する視点は、角田も崔も、そして「明治栄光論の国民的作家」司馬遼太郎も気づかなかった(知らなかった)重大な点である。
 勿論、ほとんどの日本の国民も知らされていない事実だろう。

 本書の著者は、「歴史の断裂=電信線」にスポットを当て、「王妃殺害」の真相に迫った。
 電信線の争奪戦の線上に「閔妃暗殺」が浮上してくることを本書は丁寧に証明してくれる。それは、「あの正論」にしたがった単純論の親露派閔妃ゆえのロシア南下を恐れた「自存自衛論」とは、一線を画す。

 それ故に、朝鮮王室に対して強硬派であった井上馨が「事件」直前に更迭された理由も、情緒(=角田)、思い込み(=崔)ではなく、「政策」として理解がされるわけである。

 「電信線を日清戦争後に常識的に朝鮮に返すべき」や「閔妃に300万の援助」を主張した井上馨は、大本営の「政策」にそぐわなかった。

 そこで、あの三浦梧楼が大本営=川上操六の命を受けて登場するわけである。

 井上馨だけでなく、実は三浦梧楼も閔妃を評価していた。
「王妃は女性としては実に珍しい才のあるえらい人だった」と三浦は述べていた。

 だが、三浦はそんな「えらい人の閔妃」を殺害しなければならなかった。

 愚直なまでに国家に殉ずる「栄光の明治の日本軍人」として、それは「必然」だったのだ。

 著者の示した真相とは、結局のところ大本営の戦略上の「謀略事件」に帰着する。この意義は小さくない。そこには、中塚明が日清戦争直前に「日本軍の朝鮮王宮占領事件」で実証した「昭和の大本営の暴走」の芽が、「王妃殺害」事件でも確実に読みとれるからだ。
 この「歴史の必然」をどう考えるか。明治栄光論の陰に「王妃殺害」を葬っていいのか。

 読者としては、本書を読んだ後にじっくりと考えたい「事実」である。

 但し、読み物としての「面白み」には少々難を感じない事もなかった。冗長に感じられる資料説明、人物の来歴等に「ピントを維持しながら」本書を読み続けるのは、少々しんどく感じられた時もある。構成をもう少し考えられると、幅広い人に読み勧められるのではないかと思った。著者の「追求」はまだまだ終わらないそうなので、次回作も期待したい。