ご多分にもれず私だって「性を矯めつ眇めつ」の時期を過ごしていました。
私が結婚をし親になる頃、彼女はもうひとかどの親になり、中絶、妊娠を高らかに詠っておりました。それは賛歌というよりも惨禍であり、喜べ喜べ神聖に母であることを!という世間に楯突いた、呪詛のことばであり、祈りでありました。
それが不安な新米お母さんを救いました。ワタシ、オカアサンナンダッテ・・・。どうしたらいい?というスタンスです。母である自分や父である夫や異星人である赤ん坊を、またまた独特のやり方でもって矯めつ眇めつして種明かしして見せてくれました。
赤ん坊は、幼児になり、帰国子女になり、小学生になり、離婚家庭のこどもになり、外国人として思春期を迎え、異星人ぶりに拍車をかけます。
もともとカオスの国の住民である詩人は、苦闘しながら摂食障害や思春期特有の「ふきげん」娘達の悲惨な混沌を観察します。さらに、その混沌に苦闘する自分をも観察し、ユーモラスに客観化します。
ろくすっぽ返事もしない不機嫌なこども。
おとうさんを汚がりしかとするこども。
初めての生理をハチャメチャに迎えようとするこども。
なにも食べずにドンドンやせ細っていくこども。
学校でいつもひとりぼっちのこども。
絵本の中の話のように冷蔵庫をからっぽにするこども。
それを泣きながら後悔するこども。
強迫観念のように泣きながら風呂に入るこども。
強迫観念のように風呂に入らず悪臭を撒き散らすこども。
ちょっと想像しただけで胃がもたれそうなヘビーな状況を、こんな風に書けるなんて伊藤比呂美は本当にカッコ悪さが、最高にカッコイイお母さんです。私や娘が泥沼に落ちそうになったら、きっと何度も読み返すでしょう。
ホテルのサイドテーブルに置いてある聖書よりも、もっと力強く私たちの足元を照らしてくれることでしょう。
この本読んで、実を言うとその頃の自分の気持ちより、親の気持ちをつくづく考えてしまった。 思春期の我が子。口は利かないわ、利いたらクソ憎らしいわ、食べないわ、部屋ン中すっごいわ。でも・・・・子供が苦しみにのたうっているのがわかる。
なのに、どーしてやることもできない。その辛さ! しかし、比呂美さんは
おろおろしっぱなしじゃなかった。体当たりで子供に向き合った。なりふり
かまわずなんでもやった!!。・・・その結果・・・!!