1つの時代の終焉とパラダイムの転換期を迎えて
★★★★☆
個人的には、ウォール街の没落ぶりには興味なかったが、いくつか本質的で大切なことを示唆された。
「GDPを伸ばさなければ、売上・利益を増やさなければ…と数字にこだわってきた結果、生まれたのは借金に支えられた砂上の楼閣、見せかけの繁栄だった」とし、「本物の成長は真の技術革新からしか生まれない」と述べている。
そして、「何のための成長なのか、何をもって成長と考えるのか」という根本的な議論がなされないまま、闇雲に突っ走ってきた副作用が、いまの日本に現れ始めている。すなわち、富の偏在、格差拡大、心の疲弊、薄れる思いやりの心、コミュニティの断絶など。
現状に安住してはならない。しかし、「どのように成長するのか、何を頑張るのか」といった根本的な議論がなされておらず、闇雲に頑張っても疲弊するだけである。
働く人の間で心の疲弊がクローズアップされているが、その背景には、こうした議論がなされぬまま、既存の価値観やパラダイムのもとで数字ばかりを追いかける企業経営者や管理者がいまだに多いことが一因にあるのではないか。
成功の復讐とはよく言ったものだが、経営者や管理者は過去の成功に決別し、謙虚な態度で客観的に世の中や現場と向き合うことも必要なのではないか。
そして、(自分への戒めでもある)「このままでいたい」という葛藤をどのように乗り越えていくか!
欧米や日本のいわゆる先進国(?)は、「欲望こそが発展と成長のドライブ」というパラダイムの終焉を迎えているかもしれない。ブータンのようにGNHという考え方もこうした議論の中にあってよいと思う。
気軽に手にした本書だったが、いろいろと考えさせられた。
退却戦を潜り抜けるために
★★★★☆
著者はあとがきで、「私は社会の将来を考えるときは、エコノミストよりも、宗教家や芸術家の意見をよく伺うようにしている」(p202)と言っている。ま、言うだけなら何とでも言えるワケだが、しかし少なくとも、この言葉は本書の基調をなしていると思う。
私は最近、「知恵」というものが、やはりあるんじゃないかと考えるようになった。
倫理や道徳を語って景気が良くなるなら世話はない、というのは本当だろう。しかしだからと言って「バブルか否かの判定基準はない」とか「すべての経済はバブルに通じる」とか、「貨幣の存在そのものがバブル」等々と開き直るのは退廃じゃないか? だから結局、「バブルの崩壊を再びバブルを形成することによって解決しようとする」(p162)政策が繰り返される。しかし「清貧の思想」とは良く言ったもので、そもそも倫理や道徳は景気を良くするために語られるんじゃない。
「処方箋は『縮小』以外ない。総てはそこからやり直しだ」(p165)、と著者は言っている。
するとすぐさま、「歴史は、退却路線が前進路線以上に悲惨な事態を招くと教えている」なんて野次が飛ぶのだが、そりゃ退却戦に犠牲者が多いって話じゃないだろうか? 比較すべきは退却時に発生する損失と、前進路線を続けることによって発生し累積する(かも知れない)損失なんだと思う。それに、何を以って「損失」にカウントするかも問題になるだろう。
ただ、「日本」「日本人」「日本文化」等々のナショナリスティックな言葉を頻用するところは、長く外国で暮らした人らしいなと感じた。
投資銀行家の「正論」に拍手―強欲化したウォール街を糾す
★★★★★
私とほぼ同年配に当たる著者の神谷秀樹(みたにひでき)氏とは、全く面識はない。だが、一度は話を聴いてみたい人物の一人である。それに比べ、ワイドショーなどでガラパゴス化したセオリーを振りまき、「未だ『過去のアメリカ』を追いかけているようにさえ見える」(本書p.206)元大臣様や、本気か冗談かは分からぬが、この男を「いっそ新党の党首になっては?」(6/20)とヨイショする提灯持ちのエコノミスト(?)らには、正直、開いた口が塞がらず、神谷氏の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい気持だ。
さて、この新書は刊行されたのが08年10月であり、バラク・オバマ氏に対する期待感も表掲している。しかし、結局のところ、オバマ大統領はブッシュ前政権による「焦土作戦」の影響等もあって、たとえばローレンス・サマーズのような男を国家経済会議(NEC)の委員長に就任させている。この男は、ロバート・ルービンらと共に、商業銀行業務と投資銀行業務の分離を定めたグラス・スティーガル法を骨抜きにするなど、ウォール街の腐敗を進行させた戦犯の一人であり、まだまだオバマ政権への予断は禁物だ。
そうした執筆時点での制約を割り引いても、1984年以降、ウォール街で投資銀行家として生きてきた著者の一言一句は重たいし、何よりも説得力がある。神谷氏は「私はウォール街で働いてはいるが、ウォール街的な考え方をそのまま日本に持ち込むこと」を批判し、日本人は“モノ作り”の伝統を失わずに、「日本人の心で感じ、自らの頭で考え、自分たちに相応しい金融システムを構築すべきである」(p.72)と断言する。氏の「金融マンは実業を営む方たちの脇役に徹するべきだ」(p.15)という信条にエールを送りたい。
実体経済からの乖離
★★★★★
消費のないところに消費を生み出し、
短期的な利益のみを追求する。
そんなウォール街の自爆を
冷静な目で批判した本です。
我々の年金が巨額の運用赤字を出し、
大手銀行が大きな損失を計上し、
国内経済までもが冷え込んでいる。
ウォール街から発信された実体のない
強欲資本主義は、勝ち逃げを許し、
多くの貧しい納税者につけを回している。
日本は彼らの強欲と一線を画し、
サービスの原点、モノづくりの原点に
立ち返り、地道に経済を再建するしか
ないと感じた。
これを読めば、性善説にはたてない
★★★★☆
強欲資本主義とは、これまたよく名付けたものである。
企業体が資本を蓄積することによって成り立っている以上、「お金を増やしたい」という人間
の欲望は、そのイデオロギーの中である程度許容されてしかるべきものである。ただ問題なの
は、欲望が本質的に際限の無いものであり、さらにそれが、何から何まで貪る「強欲」にギア
チェンジする際に、明確な境界などないということだ。一歩間違えればどんな些細な欲望だっ
て、禍々しい強欲へと様変わりする。
本書は、自身ウォール街という世界一の金融街で約20年以上企業を営んできた経営者による、
世界的恐慌の震源地からの「現場報告」。今回の恐慌の元凶、金融資本主義に先導されたヘッ
ジファンド、投資銀行の悪どい設け方と、それを許容したシステムのからくりが暴露されている。
読むと分かるのは、今回の世界的恐慌の原因が金融マンたちの欲望の強欲への成長をそれまで
止めていたはずの政治的、経済的規制という名のたががつぎつぎと取り払われ、そのことが欲望
の成長に拍車をかけたということだ。ほんっと、新自由主義なんてろくなもんじゃない。
テレビで以前、女性向けのデイトレ講習会の様子が映されていて、そこに参加していた女性が
カメラに向かって「(デイトレで)お金持ちになりたい!」と臆面もなく答えていた。その欲望自体、
抱いていてもかまわない。ただ、「お金持ちになりたい」を口に出して表明することは、かつては
もっと恥ずかしいこと、後ろめたいことではなかったろうか。
筆者の述べるとおり、金融とはもの作りの脇役であり、サポート役である。お金を増やすこと
それ自体、虚構の上に虚構を積み重ねていくことが自己目的化したことにこそ、今回の恐慌の
原因があるのではないか。
今こそ、僕らは今そこに手触りとしてある感じられる、「ものづくり」に回帰するときなのか
もしれない。