著者(モスクワ国際関係大学学長)は、朝鮮解放後の1947年5月12日から休戦協定が締結される1953年7月までの6年間、スターリンと北朝鮮・中国駐在ソ連大使、スターリンと金日成・毛沢東の間で交された暗号電文など、これまで未公開だった機密資料をもとに、朝鮮戦争の経緯を小気味いいほど客観的に跡付ける。いっさいの予断と推測を排したドキュメントだが、南の進攻を恐れて「南進」にはやる金日成の焦り、朝鮮問題にはなるべく介入しまいとするスターリンの思惑を、手にとるように知ることができる。
軍事挑発は38度線をはさんで南北双方にあった。在北朝鮮ソ連大使からスターリンに宛てた度重なる電文は、どちらが先制攻撃を仕掛けてもおかしくない不穏な緊張状態に、南北双方がさいなまれていることを、詳細に明かしている。しかし、朝鮮への介入が国際的な「反共産主義宣伝」に利用されるのを恐れるスターリンは、朝鮮の現状維持を望んでいた。とくに彼が恐れていたのはアメリカの関与だった。にもかかわらず、戦争は起きた。その原因は、蒋介石との内戦に勝利した毛沢東が「人民解放」の気分を高揚させたことと、著者が「あとがき」で書いているように、戦争が起きてもアメリカは参戦しないというソ連指導部の見通しの誤りである。
そこで日本人として注目されるのは、戦争開始を決意したスターリンと毛沢東が「米軍に代わって日本軍部隊が侵攻してくる可能性」を警戒していた事実である。現在の私たちから見れば、荒唐無稽としかいいようのない妄想だが、これを一笑にふすわけにはいかない不安感が、敵対する双方にとりついていたことは、見落とすべきでないと思われる。戦争は一国の領土的野心だけで始まるものではない。本書はそのことを淡々と教えてくれる。(伊藤延司)