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浦島伝説の謎を解く

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カテゴリ: Kindle版
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浦島伝説には不可解な謎がある。なぜ竜宮は水の中にあるのか、なぜ竜が登場しないのに竜宮なのか、なぜ玉手箱を開けると年を取るのか。これらの謎を解明しながら、個人史的にも人類史的にも忘れ去られた太古の記憶を甦らせ、さらに、なぜこの記憶が抑圧され、忘れ去られるようになったのか、個体発生的かつ系統発生的にそのフラクタルなプロセスを明らかにする。

* 本書の構成について

本書は、三つの章から成る。本書は、浦島伝説について語る本であるが、本書の語り自体が浦島伝説と同じ筋書きになっているというフラクタルな自己相似性を持つ。

第1章で、本書は読者を竜宮の世界に招待する。子宮から生まれた子供が子宮に戻るような気持ちで、読者は現在から過去に思いを馳せてほしい。ここで語られるのは、個人史的にも人類史的にも忘れ去られた時期である。

第2章では、読者は、竜宮から元の場所へ戻る。個人史的には、それは去勢体験の時期であり、人類史的には、それは、キリスト教、イスラーム教、仏教といった父権宗教が成立し、地母神崇拝が忘れ去られ、抑圧される時期である。

第3章では、玉手箱を開け、あっという間におじいさんになってしまったような境地で、個人史と人類史の全体を回顧する。そこで、読者は、浦島伝説の謎を解くことを通じて、個人史と人類史が、精神分析学的に類似の過程を経ていたことを理解するであろう。

* 目次

第1章 竜宮への旅
第1節 竜宮伝説をめぐる謎
第1項 浦島伝説の起源は何か
第2項 浦島太郎は実在の人物か
第3項 浦島伝説の起源は琉球か
第4項 浦島伝説は世界中にある
第5項 浦島伝説は何を伝えているのか
第2節 なぜ竜宮は水の中にあるのか
第1項 理想的異界はどこにあるのか
第2項 竜宮は地母神の子宮だった
第3項 縄文時代の異界はどこにあったのか
第4項 異界は鏡像的他者である
第5項 なぜ蛇崇拝は地母神崇拝なのか
第3節 なぜ竜が登場しないのに竜宮なのか
第1項 竜とはどのような動物か
第2項 日本の空崇拝は海崇拝である
第3項 天橋立伝説は何を意味するのか
第4項 なぜ鶴女房は機を織ったのか
第5項 なぜ竜宮なのに亀姫なのか
第4節 なぜ玉手箱を開けると年を取るのか
第1項 主観的時間のテンポは遅くなりうる
第2項 なぜ玉手箱を開けてはいけないのか
第3項 なぜ機織りを見てはいけないのか
第4項 因幡のしろうさぎは何の話か
第5項 闇から光へのコスモゴニー
第2章 竜宮からの脱出
第1節 父権宗教による去勢
第1項 父権宗教とはどのような宗教か
第2項 父権宗教はいつ現れたのか
第3項 近代における母権社会の再発見
第4項 聖書に残存する竜宮伝説の痕跡
第5項 聖書における竜退治の意味
第2節 キリスト教による去勢
第1項 なぜ十字架はキリスト教の象徴なのか
第2項 コンスタンティヌスはなぜ公認したのか
第3項 いつから十字架の死が重要になったのか
第4項 コンスタンティヌスの夢を分析する
第5項 十字架が登場する竜宮伝説
第3節 イスラーム教による去勢
第1項 イスラーム教も男尊女卑の宗教である
第2項 コーランに描かれている天国と地獄
第3項 イスラーム教徒はなぜ断食をするのか
第4項 断食の例外はどう解釈されるか
第5項 断食は自発的去勢である
第4節 仏教による去勢
第1項 なぜ仏教は女性を差別するのか
第2項 自発的去勢としての自傷行為
第3項 死の欲動と涅槃の境地
第4項 仏教におけるファルス崇拝
第5項 仏教が女性を嫌う理由
第3章 太古の記憶を語る
第1節 個体発生と系統発生
第1項 反復説の登場と没落
第2項 反復説は差別を助長するのか
第3項 再評価される反復説
第4項 時間的フラクタルとしての反復説
第5項 グールドの批判を再検討する
第2節 反復説としてのフロイトのトーテム論
第1項 精神分析学の反復説的応用
第2項 先祖崇拝としてのトーテミズム
第3項 エディプス・コンプレックスとの関係
第4項 フロイトのトーテム論の問題点
第5項 トーテム崇拝は地母神崇拝に基づく
第3節 個人史と人類史の反復説的再構成
第1項 人は段階的に去勢を経験する
第2項 個人史および人類史における口唇期
第3項 個人史および人類史における肛門期
第4項 個人史および人類史における男根期
第5項 太古の記憶を甦らせる
第4節 浦島太郎と桃太郎
第1項 浦島太郎と桃太郎の違いは何か
第2項 桃太郎の変形としての一寸法師
第3項 ペルセウス-アンドロメダ型神話
第4項 最古の自発的去勢の神話
第5項 人は胎内から生まれ胎内に戻っていく

* 本書の意義について

私の≪ファリック・マザー幻想≫論は、フロイトとラカンの精神分析学に負う所が大きいのですが、彼らの議論は、ヨーロッパ文化の影響から、父の役割を過大評価していると感じました。ユダヤ教やキリスト教では父の果たす役割が大きいですが、自然民族では必ずしもそうではなく、日本では母の果たす役割が小さくありません。例えば、日本では、去勢は母の愛が父に向かうことによってよりも、後から生まれてきた弟妹に向かうことで起きます。そこで、こうした非父権的な文化を理解するためには、彼らの理論を修正し、独自理論を打ち立てる必要があると考えました。その結果生まれたのが、本書です。

よく知られているように、フロイトは、女児はペニスがないことに劣等感を抱き、男児はペニスを失うことに恐怖を感じるようになる一方、ペニスを持たない母を軽蔑するようになるという説を考案しました。女はペニスの代替を欲しがり、髪を長くしたり、子供を産もうとしたりするというのです。この説は、男尊女卑的であるとしてフェミニストから激しく非難されているのですが、女児にペニス羨望があるとか、男児が去勢に怯えるとかといった事実はあると思います。但し、私は、その理由をフロイトとは異なるところに見出しました。

すなわち、幼児は、ペニスを臍の緒の代替と見做しており、さらには臍の緒を母子一体の象徴と見做しているがゆえに、それを欲望しているということです。ペニス羨望と言っても、女児はペニスというたんなる肉の塊を欲望しているのではありません。一般に母は女児よりも男児を好むことが多く、女児は、男児には臍の緒のようなペニスがあるがゆえに母から愛されていると思い込み、臍の緒の代替としてのペニスを欲望しているのでしょう。幼児は、三歳ぐらいまでなら、胎内にいた幸せな時のことを覚えており、臍の緒を母子の絆の象徴として見做しているということです。

フロイトやラカンはペニスあるいはファルスに欲動の起点を求めましたが、私は起点をもっと前の胎内記憶の中に求め、無意識へと抑圧された最も根源的な欲動は、母子相姦ではなくて、胎内回帰に向けられていると考えます。私が、フロイトやラカンと異なる立場を採るのは、私が日本人であることと無関係ではないでしょう。フロイトはユダヤ文化圏で、ラカンはカトリック文化圏で育ち、父権宗教的な価値観を自明視しています。しかし、日本の文化は去勢以前の特徴を色濃く残しているので、私は、ファルス中心主義に囚われることなく、胎内回帰を重視した欲動論に到達したのだろうと思っています。