いま読んで新しい野上弥生子
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05年末に九州の旅をしとき、いまだ明治初期の面影が残る大分県臼杵の町を訪ねた。この町の造り酒屋の二階で古典に親しみながら、当時の最先端へ、東京への夢を膨らませていた15歳の少女は、1900年に上京し、ほぼ20世紀の末まで生きる。
この短編集を読んで驚いた。ひとつひとつの文章が全く古臭くないのだ。「明月」の発表は1942年1月だが、女友達が三人集まって打ち明けるとっておきの怖い話。「死」は1914年の作品。これも文章は「明月」と全く同じ現代文であり、現代人が読んで<注>を必要とするような所はなく、事実無い。
文体が新しいだけではない。作者の視線が現代的なのである。
「哀しき少年」は1935年(昭和10年)の作品。
小学生の隆は少し変わった少年だと思われていた。数学以外はなぜか勉強しようとしないのである。「僕いやなんだ。先生でたらめを教えるんだもの。」隆は思う。「修身ではいつも叱られているか、あてつけられている気がした。歴史でみんな楠木正行にならなければいけないと激励されると、隆は困ってしまった。彼には正成のようなお父さんはいなかったし、顔さえ覚えていないのだから。しかし手を上げてそういったら、睨みつけられた。」(147P)隆はその後中学に入り、軍事教練の授業から逃げだす。それだけの小説である。それだけだけど、そんな小説を1935年に書いていることに驚きを禁じえない。実は、読んでいるときはずーとこれは戦後の作品だと思っていた。