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文庫版 今昔続百鬼 雲 〈多々良先生行状記〉 (講談社文庫)

価格: ¥1,020
カテゴリ: 文庫
ブランド: 講談社
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いまひとつキャラがたっていない、奥田英朗の伊良部先生。 ★★★☆☆
百鬼夜行のスピンオフシリーズ第3弾は妖怪研究家、多々良勝五郎先生の珍道中。常に妖怪研究にいそしむ先生は、行く先々で事件に巻き込まれる。そして、彼の思惑に関係なく、勝手に事件が解決してゆく。お話としては、まあまあ面白いですが、多々良先生のキャラが、今ひとつ突き抜けていないので面白みがありません。奥田英朗の「伊良部」シリーズっぽいですが、あそこまで破天荒ではないですし。最後の書き下ろし、は京極堂も出てきますし、なかなかdeepに怖いお話で星1+です。
ぬ。 ★★★★★
百鬼夜行シリーズの外伝に位置する本作は妖怪研究家と伝説収集家の凸凹コンビがお送りするコメディータッチの話が4つ入っています。

嫌だ嫌だと言いつつも、多々良センセイとは腐れ縁の沼上君の視点で話はどんどん進んでいきます。彼の多々良センセイに対する突込みがいちいち面白い。多々良センセイの爆走を止められるものは誰もいない。

最終話には、我らが黒衣の男も登場。自分の看板小説ではないせいか、彼の言動もまたなんだか軽い気がしました。今まで読んだ百鬼夜行シリーズの小説には珍しく、これは本編を全く切り離して読んでも、十分楽しめると思いました。
妖怪への愛が感じられ、笑える本 ★★★★☆
導入部分は新幹線の中で読んでいたのですが、『馬鹿』に関する考証が見事で、別の分野で馬鹿な部分を持つ自分は、必死で笑いを堪えながら読んでいました。

妖怪馬鹿で子供で恥を知らないセンセイはある意味最強で、妖怪馬鹿だけどちょっとは大人で恥を知ってる沼上くんが、馬鹿を共にしつつも、センセイに迷惑を掛けられて怒って困ってるシーンは笑えます。

多々良先生と沼上くんは、その後本編にも登場シーンがあるので、やはり京極物ファンとしては押えておきたいシリーズだと思います。

最近気付きましたが、この多々良先生と沼上くんって、明確にモデルがいるようです。多○先生と○上氏。
『妖怪旅日記 (ホラージャパネスク叢書) 』を読めば明白だと思います。
ちゃっかり実在する旅仲間を登場させちゃう作者(「創造した人物とそっくりな人物が偶然目の前に現れたんだ!」と書いてありましたが)の遊び心を感じて笑っちゃいました。
水木先生と荒俣氏も出てきて、現実の妖怪馬鹿の旅日記も楽しいと思いますよ!
サイドストーリーの面白さ ★★★★★
2001年11月リリース。『岸涯小僧』、『泥田坊』、『手の目』、『古庫裏婆』の4編からなる多々良先生+沼上君を主役に据えた短編集。

京極堂は榎木津を主役に据えた百器徒然袋のようにサイドストーリーの方が本編より面白い、と思っている人はおそらく僕だけではあるまい。最近特にその傾向が強くなってきている。榎木津に負けず多々良先生も頑張っていて、沼上君との凸凹した妖怪道中はかなりの傑作だ。

中でも出羽を舞台にした『古庫裏婆』は特に素晴らしい出来映えだ。ここでは京極堂や監察医里村なども登場してくる。

こんなにサイドストーリーが面白いのは京極堂にそれだけ魅力的なキャラクタが集合している証拠でもあるだろう。次は監察医里村のサイドストーリーなんてどうだろうか。
よい落語臭。 ★★★★★
京極堂シリーズ『塗仏の宴』にこそっと出てきた「センセイ」こと多々良勝五郎と「俺」こと沼上蓮次の「事件簿」、ではなく、やはり「行状記」。何故「事件簿」と言い切れないかは読んでからのお楽しみ。
趣向としては、ご存知天才絵師鳥山石燕の妖怪画、なかでも石燕が狂歌仕立てに拵えた妖怪画の絵解きに、我らが多々良勝五郎センセイが、事件に巻き込まれながら挑んでゆく、というものです。
主人公の二人は自他共に認める変人です。京極堂シリーズで変人といえば榎木津礼ニ郎が浮かびあがりますが、彼が超世間的な変人だとすると本作の二人は没世間的な変人。いずれ世間的には迷惑な存在には違いありませんが、本作の二人には迷惑承知で付き合ってみたいという親しみのようなものが(わたしには)わきあがってきます。その分だけ、同じ京極堂シリーズから派生した物語でも、『百鬼徒然袋』より『今昔続百鬼』の方が、わたしは好きです。
付け加えるならこの作品、どうも落語臭がするんですね。ドタバタコメディータッチなところもそうなのですが、まず人物設定があり、その人物設定を起因とする難儀・苦労が変に滑稽である点であるとか、その人物の酷く薄情な行為もその設定を通してみると大層な愛嬌に思える点などは、落語好きのわたしをすこぶるくすぐるところです。世間知らずな変わり者と多少世間知のある変わり者との取り合わせからして落語ですしね。京極先生が落語をお好きなのか、可笑しい文芸というものを突き詰めるとすべからく落語的になるのか、その辺のことはよくわかりませんが、落語臭フェチという方(変人?)も是非ご一読を。