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暴力に逆らって書く―大江健三郎往復書簡 (朝日文庫)

価格: ¥735
カテゴリ: 文庫
ブランド: 朝日新聞社
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   新聞紙上で足かけ8年にわたって断続掲載された、大江健三郎の往復書簡が1冊の本にまとめられた。その相手は、ギュンター・グラス(独)やナディン・ゴーディマ(南ア)、マリオ・バルガス=リョサ(ペルー)のような文学者から、アマルティア・セン(インド)、ノーム・チョムスキー(米)、エドワード・W・サイード(米)といった、著作の邦訳も多い大学者まで11人。国籍も専門もさまざまだが、「知の巨人」という表現がここまであてはまる顔ぶれも珍しい。こうした書物が現実のものとなったことに、まずは敬意を表すべきだろう。

   その一方、ノーベル賞作家と世界一流の知識人が戦争や平和について語り合う、という企画に、何がしかの権威臭や俗っぽい知の切り売りを懸念する向きがあっても不思議はない。だが、最初の数ページを繰っただけで、その種の思い込みは霧消することになるはずだ。

   書簡の往復が始まった1995年は、阪神・淡路大震災とオウム真理教事件で、日本人には忘れがたい年である。それから、最後の書簡が交わされた2002年の秋まで、世界はいったいいくつの悲惨に遭遇し、その後も目にし続けていることだろうか。執筆者たちは、各々の立場で過酷な現実に向かい合い、打開策を求めようとする。

   その思考は、ドイツの作家グラスが自国と日本の戦後に思いを馳せ、エルサレム生まれのサイードがパレスチナ問題を考察するというように、それぞれの出自に深く関わっているが、同時にきわめて普遍的・汎世界的なものだ。理不尽に失われていく生命を悼み、帝国主義を痛烈に批判する。現在を絶望的に捉えながらも、未来に向けた希望は決して投げうたない。そして、彼らの言葉は青年のように瑞々(みずみず)しく、熱く輝いている。その力づよさは、理想という言葉にしばしば注がれる、侮蔑的な眼差しさえはねかえしてしまうほどだ。これが真の知性なのか、と多くの読者が目を見張るに違いない。このような書物が、世界に先駆けて日本で出版され得たことを、あえて「奇跡」と呼びたい気持ちにさえ駆られるのである。(大滝浩太郎)

おそるべし文学 ★★★☆☆
相手の文学者の書簡は読むに値するが、大江氏のそれは読むに値しないと感じた。
欺瞞に満ち満ちているし、グロテスクな自己保身の自尊心が見え隠れして、辟易する。素人発言として容赦していただいて言わせていただくなら、ゆがんだ目立ちたがりの一人のように思える。
この人がノーベル文学賞とは・・・・? おそらくは日本人として、世界に受けるテーマを考慮して得たものなのだろうと勝手に推測。いくら言葉で偽っても、人間性は間違いなく伝わるという事なのだろうか?おそるべし文学。
「書く」「発言する」必然性を持った人々の言葉 ★★★★★
 他のレビュアーの方が触れているように、本書あとがきで作家自身が最も大切な評論・エッセイとして挙げた往復書簡集。朝日新聞夕刊の連載だったため、スペース上の都合から書き足りてない(=読み足りない)ところもあるが、それを差し引いても読み応えはある。

 メディアによる世論・文化支配、国家(特にアメリカ)の暴走、世相の暴力化、核廃絶運動の難しさ、といった問題に関して大江は錚々たる知識人達に問うているのだが、それぞれが自分の立ち位置から大江に各自の意見を返信している。この「それぞれの立ち位置」というのが大事なのだが、A.オズ(イスラエル人)、E.サイード(亡命パレスチナ人)、G.グラス(元ナチス親衛隊員)、N.ゴーディマ(南アの白人作家)、等など、皆、多様かつ過酷な人生の経験を通して深みのある言葉を述べている。

 最近、日本の若い作家で「書きたいことが無い」ことを誇っているような発言をしている連中が散見されるが、「書くべく選ばれた人間」というのは必ずそのような必然性を人生経験として持っているものだということを想い起こさせられる人選だった。個人的に面白かったのは、NATO軍のセルビア侵攻を支持して物議を醸し出したS.ソンタグ、懐徳堂の町人倫理など江戸の思想を米国で紹介している日系人テツオ・ナジタ、天安門事件に際して中国政府に指名手配され米国に亡命した苦労人・鄭義の書簡だった。

 読者によっては政治的意見の相違はあるだろうが、自分の立ち位置をごまかさずに書く、という知識人として当たり前の覚悟を持った人たちの言葉は、やっぱり強いですね。
私の「エッセイ、評論に関する限りもっとも大切な一冊」by大江氏 ★★★★★
大江氏や各対話者が自身で認めているように、彼らのペンによる闘いは絶望的です。ほとんど勝目がありません。例えば、イスラエルの非武装化(アモス・オズ)、中国に自由をもたらすこと(鄭義)、核兵器の廃絶(ジョナサン・ショエル)といった主張を彼らは長年展開しています。本書でも、政治・経済・外交の修羅場で日々しのぎを削る実務家からは笑殺されそうな一見「青臭い」議論が、大江氏との間で交わされています。しかし、やはり高校生が「戦争は人殺しだから悪だ」と言っているのとはレベルが違う。大江氏始め多くの対話者が、その思想の起点となる強烈な体験を幼少時にもっており、さらにその後万巻の書を読み、世界の各地を訪ね歩き、問題意識を深化させ続けた末に吐露された言葉だからです。どんな状況にあっても姿勢を変えないだろうな、と思わせる「筋金入り」の雰囲気があります。自分はペシミストでもユートピアンでもない、「ありのままに現実を見つめ、それでも希望を捨てないだけです」というN・ゴーディマの一文が、大江氏や他の対話者にもあてはまると思いました。
 とはいえ、少しも立ち位置のズレが無い、うなずきあっているだけの対談(往復書簡)ではありません。S・ソンタグは大江氏の楽観主義に皮肉めいた返信をしているし、A・センは文学者が見落としがちな「競争」の倫理的意義(支配的地位にいる者の堕落を防ぐ)を説明し、また自虐的(?)すぎる大江氏に日本の経済発展は偉業であると指摘して励ましています(笑)。彼らの思想に親しんでいる人なら、もっと細かな二人の間のニュアンスの違いを読み取っていく楽しみ方もできるんでしょう。
 大江氏が手紙を送るたびに無視されないか心配したと述べているように、これだけの面々全員から真剣な返答を引き出せたのは、ノーベル賞の威光を考えたとしてもスゴイことでしょう。文庫化を機に、手にしてよかったです。
右翼に逆らって、セヴンティーン第二部を刊行してからモノを言え ★☆☆☆☆
――と、言いたくなるのは私だけでしょうか。
大江が右翼の脅迫に屈して封印した小説があることを、若い世代は知っているのだろうか。
最近読書に退屈してませんか? ★★★★★
ある程度本を読むと、何だか文学の底を知っちゃった気がするというか、知識人をマトメて一つの共通項でくくって、なおかつその中に入りたくないような、誰もがそんな一種の倦怠感に襲われるはずである。そして人間の一生が妙に味気なく感じられる時ってあると思う。そういう何だか芯から退屈感じちゃってる人には是非読んで欲しい一品である。誰しもが久々に己の「浅はかな満足感」に恥ずかしさを感じるはずである。

大江健三郎の本を読む度に思うことは、この人の問題意識や、美学というのは外国人作家以上に外国人的というか、「同じ日本人らしくない」という感想を持ってしまう。この一流の中の一流の表現者のヒョウヒョウとした語り口には、改めて目が点になってしまう思いである。

何だかわけ分からないですね、スイマセン。