ララ・フリン・ボイルに出てほしい
★★★★☆
やっぱドナはボイルだよな。映画では知らない女優でがっかりした。私は「ツイン・ピークス」(テレビ版)の女優さんではララ・フリン・ボイルが一番好きだな。そばかすがね。可愛い。2番目がダイナーの女性主人のペギー・リプトン。クインシー・ジョーンズと結婚していたとか。どこがいいんだろ?正統的アメリカ美人。3番目が後半に出るヘザー・グラハム。映画では脱ぎっぷりがいいがテレビではヌードなし。ローラを演じるシェリル・りーは「バックビート」でドイツ人のフォトグラファー、キルヒャーを演じている。ビートルズのハーフ・シャドウの撮影テクニックは彼女がオリジナル。これ見たときリーだと気がつかなかった。女子高生役と大人の女性役だからか?映画版はテレビのような「おふざけ」がなく変わりにSMシーンがあるが違和感がある。「笑い」がない。デビッド・ボウイの出演も何か意味があんのか?
期待はずれ
★★☆☆☆
ツインピークスはテレビシリーズで見ていたが、その時のスリルと感動がこのDVDでは味わえない。全作テレビシリーズ版を見た方が良いね。一本でクライマックスを期待した私が愚かだった。当然と言えば当然だけどね。
悲惨な話
★★★★☆
ドラマシリーズは、ビデオで観ていて、「ローラの日記」というのが出版されて、その中に「ボブは12歳のときから・・・」というのを見て、「そういう話なのか・・」と、意外に思いました。
この映画では、勘付いていながら何もできない母親、荒れているローラを救おうと思いながらローラの家庭のことを想像し得ないジョニー(バイクの少年)、救われる価値が自分にはないと思うローラと、感情の動きを丁寧に描いていました。今でさえ、20年前ならなおさらローラの境遇について想像するのは困難だと思います。当時は日本のタレントがローラに花を供えたりしていました。多分、テレビシリーズを観ても、何がローラの家庭で起こっているかを、認識できない人が、多数だったのだろうと思います。まだ、主人公が生き残った「永遠の仔」とかの方が、救われる可能性を残して終わっています。このような悲惨なストーリーをドラマ化、映画化できるアメリカは懐が深いなと思います。
いわゆる典型的な「リンチ風」が全部凝縮された傑作
★★★★★
正直いいますとTVシリーズのほうは、ちゃんと観たこと
なかったです。でも、リンチ好きのはしくれとしては、どうしても
観たかった。で、今まで観れなかったのですが、念願かなって今回
観ることができました。感激です。予想に違わないできばえ。
絵に描いたような原色と、まばゆい太陽の下の住宅街。
家族と中流の幸せがそこにあります。一見、そう見えますが、リンチ
にかかれば、それはこの現実の裏に、びっしりとへばりついた、
おぞましい限りの悪夢の世界と表裏一体。
何か意味があるようで、意味がないような。
しかし、ローラ・パーマーがなぜ殺害されたのか?誰に殺害されたのか?
という、大きな謎の解を内包しつつ、ドラッグとタバコとセックスと
闇の世界に転落していった彼女を、暗黒の世界にどんどん描写していきます。
クライマックスシーンの恐怖とシェリル・リーの怪演は鳥肌ものです。
乙女の役柄の演技と、その裏人生の演技、それと「その時」の演技は
とても同じ女優とは思えないほどの、おぞましさ。ぶっとびです。
アンチリアリズムと映像詩人としてのリンチ、そして音楽でなく
日常の音、雑音、空気感を効果的に使って、それとなく、サブリミナル
しているいつもの演出構成は、本作でも遺憾なく発揮されています。
後の『マルホランド・ドライブ』『インランド・エンパイア』に至る
道程を納得できる、代表作のひとつです。
デビッド・ボウイの出番、少なすぎるのがちょっと残念。
TV版の謎は本当に解き明かされたのか?
★★★★★
TV版の『ツインピークス』はラストに謎、と言うか大きな衝撃を残して終わりました。
ある人はそのラストに失望し、ある人はニヤリとし(私がそうです)、ある人はキョトンとしてしまったと思います。
そんなあらゆる意味で問題作であったTVドラマ『ツインピークス』に終止符を討つと期待して本作を観る方が殆どではないかと思います。
この映画を観た『ツインピークス』ファンの感想でよく耳にするのが、『既成事実を映像化しただけの単なる前日談じゃないか!』という様な意見と『メビウスの輪のようなドラマ版のラストと始まりの橋渡しだ』といった意見の2つです。
私には、そのどちらも間違いではないと思うのです。
映画の冒頭、テレサバンクス事件の捜査を始める際に、赤いドレスの女が出てきます、彼女の仕種や格好から、捜査官は一筋縄では行かない事件である事を悟るのですが、唯一つ、胸に刺した『青いバラ』の意味だけはおざなりにして物語は進行します。
青いバラ=作る事が不可能とされている(当時)=解決不可能の事件
(青いバラについては2008年の現在には可能)
といった決定的なヒントがそこに隠されています。映画の本質は事件の中に無いのです。
よく、映画版のみでもサスペンスものとして楽しめると言う意見がありますが、実際、理解度は半分程度かと思います。さらに、ローラー・パーマー事件のラスト(ドラマ版エピソード16)辺りまで見ておけば問題無く鑑賞できると言った意見もありますが、この時点でも理解度は七割程度と感じます。
セカンドシーズン後半の『ブラックロッジ』に関わる話を良く理解した上で鑑賞せねば、
●始めの捜査官が何故消えたのか?また、あの指輪の文様は何の意味が有るのか?
●デヴィッド・ボウイは一体何者なのか?
●『ブラック・ロッジ』内の『老けたクーパー』と『現在の姿のままのクーパー』の違いは何か?
●アニーがベッドで語る『クーパーは良い人だからロッジを出られない』とはどういう意味か?
が到底理解できません。
私は以上を理解した上で、『ツイン・ピークス』の物語は完全に完結したと納得できました。
この映画は、グダグダに終わってしまったドラマ版にしっかり引導を渡せたと思うのです。
ただあくまでも『既成事実を映像化しただけの単なる前日談』でもあり『メビウスの輪のようなドラマ版のラストと始まりの橋渡し』なのです。
つまり、この物語の本質はドラマ版にあるのです。
それでいて作品として成立している事に、リンチの非凡さを感じます。