右翼と左翼の成長と対話を求める良書
★★★★☆
異能者、異端児。しかし、国家には必要な人材であろう著者、佐藤優氏。彼が週間金曜日に連載した内容をまとめた本だ。国家、あるいはそれを背景に持つ官僚を野放しにせず、その暴力装置をなんとか制御しようとする貴重なノウハウ本である。
外務省を主とした一般的な官僚のメンタリティを解説し、彼らの不作為や責任逃れを見逃さない姿勢が大事だと説く。機密費が私的に流用されうる制度を告発する。心ある外交官は本当に使いたい金を私財から流用するとも。これは何とかしないとイカン。
自らを右翼と定義しながらも、脊髄反射的な反左翼言動を行う右翼を戒める。また、左翼に内在する論理をも生かそうとする。さらには、左翼にも右翼の論理を良く理解し対話するよう呼びかける器は大したもんだ。
右も左もない
★★☆☆☆
雑誌のコラムの単行本化なので、それぞれがあっさりした内容で物足りない。
しかし右翼、左翼というイデオロギーの壁を超えて、真剣に国家のことを考える者として
語り合おうとする著者の姿勢は充分に感じられた。
それでも著者の文章の一部に噛みついて、批判するために批判してくるだけのような
頭の固い壁を超えられない人にも著者が真摯に対応している点も紳士的に感じられた。
もう話せる範囲での過去のエピソードは様々な著書で語られつくした感があるので、
それ以外の新しいジャンルに著者の知的エネルギーをぶつけてみてほしいと感じる。
やっぱり、佐藤優を信じる。
★★★★★
「週間金曜日」に現在も連載中のコラムを纏めたもの。愛国者であり、国家主義者を自認する佐藤優が、何故「金曜日」にとの声が左右両陣営から挙がるそうだが、正にこのバランス感覚、懐の深さ、自由と、抑圧疎外からの解放の精神こそが佐藤の魅力であって(因みに彼は新左翼系の「情況」にも書いている)、読者を煽動する事なく、自らの経験と人脈を下に社会情勢や国家戦略を提示するジャーナリスティックな感覚が存分に楽しめる。
ロシア、中国、韓国、北朝鮮、イラン。記憶に新しい近くて遠い諸外国との外交、事件を俎上に上げ、それらを独自のインテリジェンスで分析し、同時に、その裏にある事情や真実を読み取ったり、外務省のアンダー取引、詭弁、自己保身や責任転嫁についても相変わらず容赦なく斬る歯切れの良さに、いつもながら唸らされる。
日中問題等リベラル勢力からするとルビコン河を渡るような言説も、この人が語ると実に説得力があるのが凄い処だ。
様々な相反する思想媒体で発言を続ける事が、自由闊達な意見交換の場となり、新自由主義とファシズムに対する耐性をつけるための思想的営為となるとの意見、いかにもこの人らしい。
各コラムの末尾に注釈として記されている「用語」が、実に的確で分かり易い。
現実主義とは何なのかを考えることとは?
★★★★★
本書の白眉は83−86ページにある 著者の佐藤優と 元外務省の東郷和彦のやりとりである。
そこでは佐藤が外交において自称「薄っぺらな論理」を主張しているのに対し 東郷が「理想論」と佐藤が呼ぶ 一種の精神論に近い場所から反論している。
本書を読んで 佐藤優という方は 非常に冷徹な現実主義者だと再認識した。デヴュー作である「国家の罠」は 佐藤が国策捜査という「国家の罠」にはまって 500日を超える留置所暮らしを描いた著書だ。
但し その後の展開を今振り返ると 国家こそ佐藤の「罠」に嵌ったという点が見えてくる。「国策捜査」というような 言葉を 国家から引き出した段階で佐藤の勝ちであったことが今よく分かる。その後の佐藤の大活躍と 外務省の沈黙を見れば 勝ち負けは誰の目にも明らかだ。
佐藤が 嬉々として留置所に入って読書三昧に耽ったのも それが 所与の条件と環境の中で 最も「現実的」であったからに他ならないと思う。
実際 最近50年間もの間 かように長い間 いわば「思想犯」で留置所にぶちこまれたインテリなどは 他にはいなかったわけである。この「留置所暮らし」が 佐藤のカリスマ性を一層高めたことは間違いないと思う。うがって見ると それを分かって 彼は嬉々として留置所にいたのではないか。そう思える。
そんな佐藤が 東郷とのやりとりを 本書に描き出し ある意味で自身を「相対化」している点は 佐藤の誠実でもあると思う。
「現実主義者」という言葉にまつわる悪いイメージがあるかもしれない。但し 僕らは そもそも「現実主義」という思想をきちんと理解する必要がある。それが今回の読後の感想となった。
週刊金曜日への私の想い
★★★★☆
雑誌「週刊金曜日」に掲載された
2006年3月10日号から2008年5月14日号までの連載「飛耳長目」に、
書き下ろしを加えたもの。
自称・右翼・国家主義者の佐藤優が、「週刊金曜日」になぜ書くのか?
についての「週刊金曜日への私の想い」が、印象的でした。
「フィールドはこの世界である」といったのは、
チェコスロバキアの神学者、ヨセフ・ルクル・フロマートカ(1889−1969)・・
政治的実践活動から距離を置き、「教会教義学」にて神学の体系を打ち立てたカール・バルト
に比肩すると言われながら、
フロマートカは、「プラハの春」のチェコに身を置き、チェコの教会とキリスト教徒を
守ることに精力の大部分を割いた・・・そのため、アカデミズムの世界からは二流と呼ばれる。
当時、チェコへの留学の道は閉ざされており、
チェコや東欧において、このフロマートカを研究したくて、外交官を手段として選んだ
ことが紹介されています。
佐藤氏の考えていること・・
1.もはや有効性を喪失している右翼と左翼の既成概念にとらわれないこと。
2.見えない憲法について、真剣に考える。
→ 9条ではなく、1−8条天皇の規定・・皇統の維持に注目する
3.日本の国家統合にとって、沖縄がもつ重要性について、きちんと考える。
4.過去の社会主義思考を見直し、整理してみたい。
5.より根源的な問題意識として、日本人にとっての超越性の問題を解き明かしたい。
これらの問題意識を持って連載に取り組みたい、と。