「暗愁のゆくえ」は特に印象的です。
★★★★★
数年前に、著者の講演を聴いて大変感激しました。そのときの内容が一冊の本になったような感じでした。最終章の「暗愁のゆくえ」は特に印象に残っています。「暗愁」というのは、明治時代までよく使われた言葉で漱石や鴎外もよく使っています。海外でも同じものを意味する言葉があり韓国では「恨」中国では「悒」ブラジルでは「サウダージ」ロシアでは「トスカ」アメリカでは「ブルー」。この言葉の意味はどこからともなくやってくるもの悲しい気分、といったことです。著者によれば、「暗愁」は太平洋戦争中の永井荷風の日記を最後に日本語から消えてしまいました。人間の心には、暗愁が宿っているのですが、日本人からはいつのまにかなくなってしまいました。理由の分からない哀しい気分に襲われたとき日本人はきっとあわてて打ち消そうとしたり、沈み込んだりするのでしょう。暗い気分というのは今の日本では嫌われ者です。これが生き易い世界でしょうか。この章をお読みになるだけでも値打ちがあると思います。元気を取り戻したい方にお勧めです。
五木寛之が達した “境地”
★★★☆☆
ここ数年、五木寛之のなぜかみんなベージュ色の装丁の本がよく書店に並んでいる。
だいたいどの本を読んでも仏教(真宗、特に親鸞や蓮如がよく登場する)の話や、かつて日本人が大切にしてきた情や信仰、とりわけ<悲しみ>や<感傷>が出てくる。よく言われるプラス思考でガンガン行こうという話はない。彼は文中でも「人間にとって、プラス思考だけが大事なのであろうか。」とはっきり述べている。
さて、そういった一連の流れの中の本書である。今回は「元気」がテーマで、一見マイナス思考のように思えるさまざまなことが述べられているが、私が一番関心をもったのは「元気に生きるための三つ方法」のくだりである。
1.「諦念」=ギブアップすることではなく、「明ラカに究メル」こと。「自分のタイプを冷静に確かめ、そして、その限界を知り、その枠の中でできることをやろうと納得する。」
2.「観念」=つよくイメージする。「自分流に『元気の海』というものを思いえがくことがある。」
3.「放念」=こだわらない。「ひとつのことをいつまでもふかく追わない。」、「めまぐるしい雑音の巷に生きる以上、五年、十年先のストーリーを考えることは意味がない。目の前にきたボールを蹴るしかないのだ。」
私も彼のエッセイを数多く読んで、こんな感想を書いていると「そうか、分かった。」というような気がなんだかしてくるから不思議だが、実際に実践してみることは難しい。現実は厳しい。彼が確固とした信念を持ってこれら一連のエッセイが書けるのは、やはり70年以上生きてきて、いろんな体験をしてきた結果であろう。晩年といわれる年齢を迎えてこそこういう境地に達したのだろうと思う。私なんかの若輩者は、彼の意見に共感はできても、そのレベルに到達するにはまだまだ苦労を重ねなければならないだろう。
素敵な物語
★★★★★
僕はこの本を読んで確信しました。
21世紀の時代は、物語の時代だ、ということです。
物語とは、感じることと信じることです。
五木寛之さんは、人間は【物理】の世界と【物語】の世界に生きている、といいます。
物理とは、万有引力の法則とかでもいいです。
とにかく、「知ること」です。
物語は、聖書でもコーランでも、ソニーでもスターバックスでも、その物語を信じる感性なのです。
素敵な物語を信じることによって、豊かさを得る時代、それが今だ、と思うのです。