大人のための良質なブックガイド
★★★★★
作家阿刀田高が自らの読書体験を語りながらジャンルを越えた様々な短編小説の魅力を紹介。
岩波ジュニア新書ということで若者向けに書かれた本書であるが、紹介されている短編小説は大人の鑑賞に十分耐えうるものばかり。逆に経験を積まなければその良さが理解しにくい作品がほとんどのように思える。松本清張作品の登場人物造形の巧みさは人生経験をそれなりに積んでこそ感嘆の声をあげることができるだろうし、また、北村薫が紹介したことで結構読まれるようになったリドル・ストーリー「女か虎か」「その木戸を通って」は、読んだ年齢によって読後感が分かれると思う。読み返してみたら若い日の印象と異なるような気がして、その他の作品も是非探し求めたくなる。大人のための良質のブックガイドである。
たくさん読みたくなります
★★★★☆
短編小説のすばらしさが紹介されています。
具体的な作品もたくさん出てきます。
私の場合は、
芥川龍之介とコナン・ドイル
を読みたくなりました。
古典やミステリーの面白さも書かれています。
ジュニア新書ですが、大人の方にもおすすめです。
もし、10代でこの本に出会って、何かを感じて、
短編小説を読み始めていたら、
財産になっていたでしょう・・・。
青春時代の読書案内
★★★★★
筆者は自らの読書体験を通じ,また数多くの短編の作り手の視点から,若者にぜひ触れてほしい短編作品の世界を紹介している。
本書で短編作品を著した作家の多さとその内容の豊かさを改めて知るであろう。
それぞれの章でジャンル別に、短編の天才の芥川龍之介、ミステリーの名手のドイル、美文の達人の志賀直哉、典雅な美女の名人の中勘助、国語教科の常連の中島敦、不思議な頭のアラン・ポー、千円札の夏目漱石、エロスの案内人のモーパッサン、などなどの面々が登場する。そのなかでも松本清張が300編ほどの短編小説を残したとは小生には驚きである。
読み手には短いので内容が好みであろうとなかろうと短時間で読み終え、しかも、過去、現在、未来のどんな世界でも短期間で垣間見ることができる。しかも、安価な値段でそれらの世界が手に入るのだ。
ともかく筆者は軽妙な筆致で豊かな短編小説の世界に私たちを誘ってくれる。それゆえに読後には早く手にとって短編を読んでみたいという衝動に駆られるであろう。次は長編に挑戦しょうという意欲もわくであろう。
小生が40年ほど昔の青春時代に、この種の案内書に出会っていたら、もと読書家になっていて、そして豊かな人生に至福の喜びを味わっていただろう。もしかして、この種の本があったのかも知れぬ。あったとしても「後悔先に立たず」だ。
やはり、いまの若者がうらやましい限りだ。若いときの読書は脳にしみこむ。本書を読み終えてから、手引書として活用して、おおいに短編を読んで、広い世界を見渡し、知的で教養の高い大人に成長することを請け合う。
読書の趣味は一人で格安
★★★★☆
「短編小説は短いだけですばらしい。それが一番の長所である」(ウィリアム・様セット・モーム)
当たり前のことであるが、短いからこそ全体として多様で、多彩である。すばらしい長編であればそれに越したことはないが、どうしてもたるみがあり、退屈になりかねない。
とにかくおもしろい芥川龍之介。こんな文章が書けたらすごい志賀直哉。目を見張る設定の中島敦。これら短編の名手、名作家の中から気の向くものを取り出して読めばいいのだろう。芥川の歴史物ならば、「羅生門」「地獄変」「藪の中」童話風なら「蜘蛛の糸」「杜子春」「魔術」
芥川龍之介の「南京の基督」は、志賀直哉の「小僧の神様」と似ている。「南京の基督」の主人公は、南京の夜の町に働く娼婦である。キリスト教を信奉している。ある夜、欧米人の客から特別な恩恵を受ける。(あの人はキリスト様だったのね)と信じ続ける。
志賀直哉の有名な「小僧の神様」と比べて、小説の雰囲気も舞台も登場人物もみんな違っているが、小説の構造としては似ている。恵まれない立場にある人が大きな恵みを誰かから受ける。(あれは神様だったのだ)と受け手は考えてしまう。
志賀直哉は私小説的な作家で、「網走まで」「城の崎にて」などが典型的な私小説であるが、「小僧の神様」は少し表現の形成が違っている(雅)