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日本の偽書 (文春新書)

価格: ¥714
カテゴリ: 新書
ブランド: 文藝春秋
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「偽書」の成立 ★★★★☆
この本は偽書の作者、偽書に関わった人達を紹介、推理することで、偽書がどのようにして本物として受け入れられていったかを解説した本です。

ある人は自己の権威を高めるため、ある人は他者の権威を落とすために偽書を作り、それに関係者の妄想、偏見、深読み、自己顕示欲などが加わり、さらに大衆の「こうあってほしい」「こうであれば面白い」という「歴史ロマン」も加わり、偽書が本物として受け入れられていったということが、よく分かります。

この本を読めば偽書が、なぜ人々を惹き付けるのかが、よく分かり興味深いと思います。
渦巻く意思 ★★★★☆
世の中には「偽書」と呼ばれる文献があります。
しかし、何をもって偽書とするかは非常に難しいところです。
単に内容が荒唐無稽だから偽書とするなら、神話を含んだ類の文書は全て偽書とされかねません。

本書は、そういった「偽書の定義」についても柔軟な考察を加え、
代表的な事例を挙げて、それが世間に流布されてゆく過程、与えた影響、
そこから派生した伝説などを取り上げ「偽書とは何か」に迫ってゆくと言うもの。
「偽書は歴史の改竄であり絶対的な悪である」という視点のみに留まることがないので、
その考察にも懐の深さを感じさせるものがありますね。

私個人について言わせていただければ、文献学・考古学両面で門外漢であり、
それが偽書かどうか判断する立場にはありません。
故に「偽書かどうか」という最終的な答えより、そういうものを作り出す人の意思に専ら興味をそそられます。
例えば青森にある「キリストの墓」の成立過程などは、随分興味深く読みました。
本書では「言説のキャッチボール」という言葉が何度か使われます。
それは言わば新たな伝説の創出につながる、意思と意思の暗黙の交換です。
それぞれの夢想がある種の要請によってつながり、思いがけない伝説を派生させてゆくものです。
最初は一人の人間の中にしかなかった筈のものが、次第に別々のものと結びつき変容して、
場合によっては新たな遺跡(?)などという形に具現化してゆく。
それはまた人々の脳に刻まれ、また変容を繰り返してゆく・・・。
まるで伝説だけが生き物のように飛び出し蠢動しているかのようです。

「偽書」と言うといかにも通俗的なテーマのようですが、
これが人間の脳が生み出す表象であり、また連鎖してゆくものと考えれば、極めて哲学的な題材であるとさえ思えます。
人間の持つ文字とコトバの、何と恐ろしいことか。
客観的・科学的に偽書に迫る ★★★★☆
好きな人はとても好きな偽書の世界。
その通説を無視した荒唐無稽な世界は、多くの人は相手にせず、興味のある人々の間でだけ語り継がれる。
しかし、時として表舞台に登場することもあり、世論に影響を与えたりもする不思議な世界。

本書は『上記』『竹内文献』『東日流外三郡誌』『秀真伝』のような知る人ぞ知る大物の偽書を中心に、偽書とは何かを論じていく。
「皆は信じないけど、これが本当の歴史だ」とか
「これはこんなにも胡散臭い本だ」とか
主観から偽書を論じるのではなく、
「なぜ人々は偽書に惹かれるのか」
「どのように偽書は成立したのか」
といった、偽書そのものの内容よりも偽書が成立し、受容(一部の人であるが)の過程を追跡していった本である。
偽書の内容について一つ一つ科学的に論破していくというパターンでなく、偽書の形成過程を科学的に追跡するこの書は私にとっては新鮮であった。

一部の真実があればその書を偽書でないということはできないし、著者が偽書を作ろうという意図がなければ偽書でないというわけでもない。
『先代旧事本紀』や「中世日本紀」に見られるように偽書は近代的な要素ばかりでなく、中世にも素地があったという考察はとても興味深い。歴史学・文献学が厳密になったこととも関係しようか。後世の人物が何らかの意図を持って歴史を改ざんしたり、創作し、それを歴史的事実であるかのように装うのが偽書といえようか。
しかし、事実か解釈か。学問の世界では泰然とした違いがあるが、その世界を一歩出れば混沌とした世界である。
例えば歴史書の史観と歴史小説の史観の違いも学問以外の世界にいる人間には理解されていない。有名な某歴史小説家の「●●史観」もあくまで小説の世界であって歴史学的には何の根拠もない。そのあたりの違いを理解することと偽書と真書の区別を理解することは同じフィールドの問題であるような気がした。
あるいは形を変えて…… ★★★★★
偽書の内容についてのリファレンスというより、その背景や成立過程について詳述されたもの。他の方もお書きの通り、かなりアカデミックな側へ振ったトンデモ本研究書とも見ることができよう。「この文書が成立したのはこの時代で、正本と副本とがそれぞれここに保管され、近代において発見されたのはかくかくしかじか……」という「作品だけでなく、その周囲を全て創作してしまう」というのはSF界でよくある話である。商業的要素に100%軸足を置いて考えれば「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」がそうであろうし、名高い「ネクロノミコン」もこの範疇と言える。また、そういう行為全体を一つのエンターテイメントとして見れば「愛国戦隊ダイニッポン」もいい例だと思う。「20世紀、某所のサーバに時空を越えて23世紀のデータが紛れていた」というスタトレ関連の書籍(笑)もその範疇に入るかもしれない。……結局それらのことが(背景に国粋主義の台頭などといったことがあったにせよ)ちょっと昔に行われた、それがこれら偽書の世界なのではなかろうか。
もう一息食い足りないが......... ★★★★☆
~中世までの偽書への考察は面白く、新しい知見も書かれておられ感じ入るところが多いと思います。少し食い足りないのは 主なる読者が「多方面から見たい」と感じている現在または近代の偽書たちでしょう。東日流外三郡史のような昭和の偽書(真書と言い張っている頑なな方々も多いが)について遠慮せず書かれるべきだと思うのです。
偽書は必要とされるべき~~時期に 必要とされる姿で出現します。
トンデモ本としか思えない粗末な代物から 延々何百年もバレなかった偽書まで とても新鮮な展開で一気に読み切りました。
でも現代の偽書は ちょっと遠慮があるように感じたのです、どうなのかな?~