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夜間飛行 (新潮文庫)

価格: ¥580
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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エンジンではなく発動機なんです ★★★★★
 星の王子さまミュージアムでなんとなく買った一冊でしたが、いまでは私の愛読書ナンバーワンです。
 小説でありルポルタージュともいえるこの作品には一貫した冷徹さとリアリズムが独特の緊張感をたたえていて、飛行中のコクピットの描写なんかは綱渡りをしているような気持ちにさえなります。でも飛行に縁のない僕にとって、高高度の凛とした空気や、発動機(エンジンではなく「発動機」なのがイイんです!)の音が響く、月光に照らされた藍色の砂漠はとても詩的な世界であり、言いようのない美しさにあこがれを抱かずにはいられません。
 星の王子さま、人間の土地、戦う操縦士そして本作、これらはサン=テグジュペリの一貫したテーマで紡がれています。人間の生とはその使命を果たすことにこそ意味がある、ということです。
 これもまた平和ボケの僕にはピンとこなくなくもないのですが(?)さりとて、困難と戦う人の姿は美しい。たとえ葛藤し敗北してもです。どんなことでも頑張ってる人ってエライ!と思えてきます。これが人間賛歌というやつでしょうか。

 南方郵便機はズバリ、星の王子さまのプロトタイプとも言うべき作品です。「大切なものは目に見えない」はすでに処女作からのテーゼだったことに驚き、感動せずにはいられません。これもぜひ読んでほしいです。
 2作とも詩人・堀口大學による日本語訳は1935年ごろのもので、かなり古いんですがレトロな表現が逆に独特のムードを作りに一役買っており僕はとても好きです。これは新訳を出す必要は全くないですね。
郵便飛行事業に携わる気高き者たち ★★★★☆
危険を冒してまで自らの職責を果たそうとする気高き者たちが美しく描かれています。

操縦士たちは闇に向かって飛び立ち、ときに雷雨突風を伴った嵐のなかで孤軍奮闘し、
ときに満々と輝く星辰を縫って飛行します。

彼らが孤高で美しいのは、いつ訪れるかもしれない死の硬度によって生が彫琢され
玉としての価値を維持しているからだと思います。

そして、夜間飛行による郵便事業の存亡を、その肩に担う
支配人リヴィエールは確固たる信念によって
人員に規律を守らせ厳しい態度で接することを終始貫いていますが、
心の奥底は

「愛されようとするには、同情さえしたらいいのだ。
ところが僕は決して同情はしない。
いや、しないわけではないが、外面に現さない。」

という言葉からうかがい知ることができます。

他人以上に自分を律し、不測の事態にいつでも対応しておけるように
しているリヴィエールの冷たい美意識が伝わってきます。
毅然とした美しさ。 ★★★★★
「星の王子さま」の作者が書いた作品だけど、その雰囲気は「星の王子さま」とは似ても似つかない。
「星の王子さま」がふんわりとした優しい作品だとしたら、「夜間飛行」には優しさは欠片も出てこない。
あるのは冷たく厳しい現実と、それにさえ揺るがない、毅然とした使命感。
そしてそれ故に、この作品には静かで透き通った、
まさしく彼らの飛行機が行く夜の空のような、何物にも代え難い美しさがある。

舞台はまだ郵便飛行の草創期、夜間の飛行などは命がけであった時代の、
南アメリカ植民地にあるフランスの輸送会社だ。
主人公である支配人のリヴィエールは、その危険を理解しながらも夜間飛行の事業を断行する。
「危険だとわかっていながらも、大きな理想のために命をかける」。
歴史上、そういう英雄は数多く存在したし、創作においてもそういう作品は数多いだろう。
不屈の精神で困難な状況を乗り越えていく、いわゆる「冒険」ものだ。
だが、この作品はそういうものとは大きく違う点がある。
主人公のリヴィエールは、飛行機のパイロットではないのだ。
彼が掛けるのは自分の命ではなく、他の、彼よりも年若い操縦士たちの命だ。
自分の命ではなく他人の命をその肩に負うリヴィエールには、
ある意味においては自分の命をかける以上の苦しみと恐怖、責任がのしかかる。
だがそれでも、彼は「人間の生命以上に価値のあるもの」
「個人的な幸福より永続性のある救わるべきもの」を信じている。
彼の、恐ろしいほどに厳格で真っ直ぐな一本の意志が、
この作品全体をぴんと張り詰めた雰囲気で貫いているのだ。

同時収録の、サン=テグジュペリの処女作「南方郵便機」は
一転して甘い雰囲気の、フランスらしい情緒的な作品。
フランスの恋愛映画なんかが好きな人にはいいかもしれない。
僕は「夜間飛行」の方が好みだけど。
フィクションにしかできないこと ★★★★★
ゲラン社のジャック・ゲランが友人サン・テグジュペリの「夜間飛行」へのオマージュとして作り上げたとされる名香「夜間飛行」。
この香水の存在のせいなのか、それとも「飛行機乗り」というシチュエーションがそう読まれやすいのか、「夜間飛行」という作品を語る人は「ロマンティシズム」を超えて「センチメンタリズム」という言葉を乱発するように思う。疑うなら、ためしにgoogleででも「夜間飛行・テグジュペリ」とでも入れて検索してみると分かる。
でも、私はこの話を読むときにいつもいつも、激しく胸が痛む。この作品に限らず、テグジュペリの作品を読む行為は私にとって、いつでも強い痛みを伴う。その痛みというのは、いわゆる陶酔や単純な男の浪漫だとかで説明できるような曖昧模糊としたものではなく、ナイフをきっかり突き立てたような、明確な痛みなのだ。鼻の奥がツンと痛む、あの不快を伴う痛みなのだ。
「夜間飛行」でのそれは、ファビアンが恍惚として雲海の彼方へと吸い込まれてゆく場面で頂点に達する。この場面を読むたびに私には、なだらかな雲海を縫ってまばたく稲妻のほそい光、その上にはてしなく広がる暗いはずの空が、なぜか黄金色に輝いているのが見える。ファビアンの飛行機は追い風に乗って、どこまでも空へと舞い上がる。そうだ。飛行機は海へと落下したのではなく、空へと落ちていったのだと思えてならない。
その鮮やかな場面で、くりかえし、私は痛みを覚える。ファビアンの妻が会社の廊下で俯いているからではない。リヴィエールがそれでも次の飛行機を空へ放つからではない。単純に、空へと吸い込まれる瞬間のファビアンに対して、空へ還る瞬間の命に対して、たったいま彼が死したのだと思うくらいに強い哀しみと悼みを覚えるから。私がファビアンであること。ファビアンが私であることを、あの雲海の場面は私に知らしめる。
「夜間飛行」の物語はサン・テグジュペリがリヴィエールに託したセンチメンタリズムなのか。殉職?したファビアンは究極のロマンティストなのか。とんでもない。私にとって、これは感傷などではくくることができない、あまりにも現実的過ぎる感覚を味わう数少ない物語だ。
世の倣いに背いて何かを全うしようとする人間は、必ずその現実の生々しさを味わう。味わいながら、苦味をかみ締めながら、あるときは家族を、恋人と、あるいは自らの命をも犠牲にしながら、歩をすすめるしかないときがある。その生き様に「ロマン」の香りを加味するのは、いつでも後世の人間でしかない。私はテグジュペリの物語をただの夢で終わらせるのは間違っていると強く感じる。この物語は物語だからこそ、フィクションだからこそ、ロマンティシズムの干渉を受けないですむのではないか。冷静に評価されるのではないか。生身の人間の人生は語られることによって脚色される。すでに語られているフィクションは、それ以上の干渉は不要となるはずではないか。
実際にはそこには読んだ人間の感想や読み方というものがあり、語られたままの物語などこの世には存在しないことが分かって、再度、肩を落とす。
リヴィエールは事故を恐れなかったのか。
ファビアンは飛行機とともに死すことにおびえなかったのか。
夫を待つ妻はその死に対して納得することができたのか。
サン・テグジュペリの筆は厳しく、冷徹なまでに淡々と彼らの行動を描き出す。だから痛い。だから私には、簡単に手にとることができない。
生きた人間の一生を一から見直すことは後世の人間には不可能だけれど、語られた物語を繰り返し読むことはできる。そうして、読むことによって人は語られた物語を追体験する。語られた時点で事実はフィクションとなる。けれど、フィクションだからといって必ずしも感傷的とはならないのだ。
シビアな現実の中でこそ生きるロマンの必要性を描き出す「夜間飛行」は、サン・テグジュペリという究極のリアリストが残した、「魂のノンフィクション」なのだと思う。
名作。夜間飛行 ★★★★★
戦争という時代背景の中で社会的使命も担った「戦う操縦士」も魅力があるし、世界中で最も広く愛されているのは「星の王子様」になるけれど、未完の「城砦」をとりあえず除くと、サン=テグジュペリの著作の最高傑作は「人間の土地」だと思う。

しかし、小説としての完成度ということでいえば、私にはこの「夜間飛行」が一番いい出来の作品のように思える。危険な時代の夜間飛行をめぐって、絞られた特徴的な人物と印象的な場面設定で、緊迫した物語が無駄なくスピーディに展開し、息をのむ。見事な出来だと思う。この小説は、最初の原稿はかなり量があったようだが、このようにより短い形にギュッと濃縮して世に送り出したのは正解だった。

もう一方の「南方郵便機」の方は、ちょっと冗長な文章と効果的な場面転換が印象的。個人的には訳者が述べているほどの名作だとは思えないが、処女作が得てしてそのようなものであるように、この作品もサン=テグジュペリの個性を強く反映した作品になっている。ただ、こちらの作品は、ストリーは自体は良くできているのに、少し衣(ころも)をつけ過ぎた。レトリックを効かせすぎてちょっと退屈だし、おまけに訳にも日本語としておかしいところが散見される。

ちなみに、表紙の絵は宮崎駿監督が描いています。