片肺飛行はつらいよ
★★★★★
本書は渥美清をよく知る人々の聞き書きだ。小学校の同級生から映画関係の人々までその範囲は広い。
渥美清がどんな親友であっても絶対に自宅には招かなかったことは有名だ。
それを渥美の変人的性格のせいにする見方もあったが、本書を読んで初めて本当の理由がわかった。
渥美は若いころ肺結核で右肺の全摘手術を受けている。両方あるべき肺が片方しかないと言うことは、飛行機で言えば片翼のエンジンだけで飛んでいるのと同じことだ。これでは心身共に疲れるだろう。
だから渥美清は家庭を絶対的休息の場にしたかったのだ。どんなに心を許せる親友でも、客をすることは多かれ少なかれ緊張を強いられる。この緊張が心身共にストレスになり体力を低下させることを何よりも懼れたのだ。
家に人を絶対に寄せ付けないこと以外には、渥美清は人付き合いがいい。小学生の同級生や若いころの仲間、そして仕事関係の気の合った人たちと頻繁に泊まりがけの旅行をしている。
それにしても、「男はつらいよ」はせいぜい10作か20作でやめて、他の役をやるべきだった。ほんとうに惜しい。なにも寅さんと心中することはないではないか。
孤高の人の遺志に背くのでは?
★★★☆☆
今年は私の大好きな役者・(父に似ている)渥美清の没後10年である。本書は彼の没後3年に読売新聞に連載された回顧記事をまとめた単行本(2000年出版)の文庫化である。渥美清と交友のあった人々にインタビューし、編集部で構成した文集で、貴重な写真が多数掲載されている。
しかし、よい本だったとは思えない。すべての記事が美談仕立てといってよく、続けて読むと辟易してしまうのである。渥美清が喜劇役者としては珍しい人格者であったらしいことは小林信彦「日本の喜劇人」からもわかるが、周囲の人を含めてこうも善人ばかり、というのは気味が悪い。一般向けの新聞コラムだから仕方がないのだけれど、こうした甘味たっぷりの文章は、ひとつずつ日をおいて読むから良いのである。おいしい饅頭でもアンコだけを丼一杯一度に食べさせられたらかなわないのと同じ。
また、芸能界での付き合いを極力避けた人に、これだけの取り巻きがいたことは驚きである。これだけの人と付き合うだけで、彼はさぞかし十分に忙しかったことだろう。また、心を許して親しんだ人達が、彼との思い出をこうして人前に曝してしまうのは、彼としては不本意なのではないか。つまり私には、このような企画自体が彼の遺志に背くのではないか、と思えてならない。
それでも最後の、山田洋次の弔辞には感動した。過去にあちこちで何度か読んだ言葉であるが、何度読んでも胸に迫るものがある。本書は少なくとも「締め」だけは成功していると思う。