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私という小説家の作り方 (新潮文庫)

価格: ¥420
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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大江健三郎の、大江健三郎による、大江健三郎のための小説家論 ★★★★☆

 奇妙な本である。
 小説の書き方についてのテクニックを書いた本ではない。小説家のなり方について書かれた本でもない。ただ大江健三郎が(どうして僕はこうなっちゃったんだろうなあ)と独白するような、穏健なテイストで書かれている。
「私の書いたもので最初に活字になった言葉は、もう記憶にあるだけだが、四行の『詩』のかたちをしていた。敗戦直後の、中国・四国地方を販路とした国語教育のパンフレットのようなものにまで調査の手をひろげる研究者がいたなら、この「詩」は見つけられるかも知れない」という書き出しで始まる本書は、あれこれと興味深い話題に展開されはするのだが、やっぱり独り言で、確信犯的にどこまでも独り言なのである。
 
 大江健三郎は、やはり私小説家といって良いのだろう。
 「私というナラティヴ」によって小説を書き出した大江が、いかにそのナラティヴに絡め取られていったのか、しかしそれ以外にはなかったのだということが書かれている。だから本書にしても「私」抜きには語り得ない。「私という小説家の作り方」は(そう、それは意識的に「作って」きたものなのだ)これ以外にないという題名である。

 正直なところ、最初は「教養のある人の、自意識過剰な独白だろう」と斜に構えて読んでいたのだけれども、半分を超えた辺りから、そのあたりの大江と本書の関係が漸く腑に落ちて、俄然面白くなってきた。二度読み返して、今でも「何が面白いんだ」と言われたら説明に困る本なのだけれども、まあ味わいがある、というくらいの答えにしておいて、どんな味があるのかということはもう少し感じてみたいと思う。
 大江健三郎の本はこれまでエッセイしか読んだことがなかったが、小説を読みたくなった。
大江健三郎の作り方。 ★★★★★
大江健三郎は永井荷風と同じで、作品より人物の方が興味深い人です。そして同じフランス文学から生まれ、同じようにふたつの世界、つまり西欧社会と日本、アジアのふたつの世界に引き裂かれた人でした。しかしこのふたりの違いは、大江健三郎は非常に若いそしていつも少年のような新鮮な心と魂を持っていた。そしてもちろん今も持ち続けている。永井荷風は、若い時から嫌に老けている。妙にヒネタ爺さんみたいな男だった。荷風には若さがない。そんな気がします。

このエッセーを見てみても、作家は常に初々しく自分自身を省みる。人生に躓き、常にこれでいいのかと自問する。そして頼りない自分の救いを導きを求めて本を読んでは考え、立ち止まり、振り返り、反省してはおずおずと先に進む。わからないことは人生の師と仰ぐ恩師にお伺いを立て、悩み苦悩し、自責する。そういう人生を小説を書くという行為で示し続けて来た人です。作品それ自体は痛々しいほど未完成なものも多いと思いますが、それでも書かずには前に進めなかった。書くことが考えることだった。書いているうちに理解が深まり、そして問題自身が浮かび上がってきた。そういう作家なんじゃないかと思います。

大江健三郎の作り方。材料は本と辞書。そして紙と鉛筆です。まず手始めに、一冊本を開いたら、辞書を引き引き真っ赤になるまでアンダーラインをいれてください。そしてゴリゴリがりがり一生懸命本を読んだら、次は紙を鉛筆を用意します。紙は原稿用紙です。そして思ったこと、感じたことを素直に鉛筆で書いていきます。その時はあまり直しません。でも、ある程度書いたら、何度も何度も読み返しては書き直し、書いては消し、書いては捨て、何度も何度も揉むように舐めるように書いていきます。そうしているうちにいい文章がかけてきますから、それをしばらく室温において冷ましておきます。そして丁度よく冷えたら、もう一度読み返して、ちょっと直して出来上がり。

そんなレシピです。貴方もこの本を読んで、大江健三郎を作ろう!
己の課題と向き合うために ★★★★★
氏がどれほどまでに切実かつ誠実な思いで作品を
書き上げてきたかがよく伝わる内容。

岩波新書で出ている『新しい文学のために』より、
もう少し噛み砕いた内容に思えて、取っ付きやすいものがありました。

非常に複雑な問題と向き合っているように思っていたのですが、
そのベースは実はシンプルで、
自身の疑問や発見を深く掘り下げ、見出すこと。
氏にとってはフィクションを書き上げていくことが
その思考過程となっているようだ。
その思考過程は他の人(職人)ならばまた違ったものになるだろう。

小説家としての職業人的態度というよりも、
魂の落ち着く先を切実に求め、世界と向き合う態度を
私としては面白く読んだ。

信仰する宗教が無いものにとって、
自身の価値基準や人生の物語を築き上げるのは
急務であり長いスパンにおける課題である。
このような課題について文学が担う役割は
やはり大きいと認めざるを得なくなった。

小説家にとっての方法論とは? ★★★★☆
 「私という小説家の作り方」という標題には、小説家になるためのプロセスにおいて、自分の場合はかなり特殊であるという意味合いが込められている。その特殊性の最も重要なものが、「小説を書くための方法論を持つ」ということであった。「小説はインスピレーションがあれば書ける」というのは事実だが、そのインスピレーションを呼び起こすには、「具体的に滑走路を造ること」(183頁)が必要である。そして著者によれば、それは「言葉によって、解くべき主題、表現すべき状態のモデルを作ろうと」(147頁)することに他ならない。表現によって実際にあるものを捕えるのではなく、表現の対象や主題そのものを書くことで築いていくのである。豊かな想像力を要求されるこのような作業を完遂するためには、方法論は不可欠のものである。現実の出来事にヒントを得て「これなら書ける」と思い至った作家の話を著者が奇異に感じたのも、方法論に基づいた地道な作業がインスピレーションを呼び起こすはずのものだと信じているからである。

 「なぜ自分が書かねばならないのか」に思い悩んでいる人に対して、著者は優しく反問する。

「すでに小説はバルザックやドストエフスキーといった偉大な作家によって豊かに書かれているのに、なぜ自分が書くのか?同じように生真面目に思い悩んでいる若者がいま私に問いかけるとしよう。私は、こう反問して、かれを励まそうとするのではないかと思う。すでに数えきれないほど偉大な人間が生きたのに、なおきみは生きようとするではないか?」(85頁)

 恐らく著者もまた、若い自分にこう問い返し続けてきたに違いない。

小説家にとっての方法論とは? ★★★★☆
 「私という小説家の作り方」という標題には、小説家になるためのプロセスにおいて、自分の場合はかなり特殊であるという意味合いが込められている。その特殊性の最も重要なものが、「小説を書くための方法論を持つ」ということであった。「小説はインスピレーションがあれば書ける」というのは事実だが、そのインスピレーションを呼び起こすには、「具体的に滑走路を造ること」(183頁)が必要である。そして著者によれば、それは「言葉によって、解くべき主題、表現すべき状態のモデルを作ろうと」(147頁)することに他ならない。表現によって実際にあるものを捕えるのではなく、表現の対象や主題そのものを書くことで築いていくのである。豊かな想像力を要求されるこのような作業を完遂するためには、桊??法論は不可欠のものである。現実の出来事にヒントを得て「これなら書ける」と思い至った作家の話を著者が奇異に感じたのも、方法論に基づいた地道な作業がインスピレーションを呼び起こすはずのものだと信じているからである。

 「なぜ自分が書かねばならないのか」に思い悩んでいる人に対して、著者は優しく反問する。

「すでに小説はバルザックやドストエフスキーといった偉大な作家によって豊かに書かれているのに、なぜ自分が書くのか?同じように生真面目に思い悩んでいる若者がいま私に問いかけるとしよう。私は、こう反問して、かれを励まそうとするのではないかと思う。すでに数えきれないほど偉大な人間が生きたのに、なおきみは生きようとするではないか?」(85頁)

 恐らく著者もまた、若い時自分にこう問い返し続けてきたに違いない。