鮮やかに描き出す12編の「人生スケッチ」
★★★★★
今、最も注目される作家の一人、宮下奈都さんの「短編集」。
それぞれ異なる人物を主人公とした12編の短編集と言うことで「スコーレNo.4」や近作「よろこびの歌」で読み手を唸らせた緻密な構成の妙はここにはありません。
それでも各編にはそれぞれの主人公たちの苦悩と葛藤、そしてささやかな喜びやほのかな希望が丁寧に描写されていてつい引き込まれます。
各編は大体15p前後なのですが、これは意外と難しいボリュームではないでしょうか。
主人公の思いを描くだけなら持て余す、かといって大きな展開を盛り込むにはスペースが足りない、そんな分量だという気がします。
12編それぞれにアイデアが盛り込まれていて派手さこそありませんがバラエティに富んだ印象。
正直言えば12編全てが粒揃いとは言い難いのですが、そこはさすがに「言葉の料理家」。
主人公の感情の機微を繊細な表現と言葉の選択で描き出しており、読み手はその絶妙な匙加減に舌鼓を打つ他ありません。
だから、やっぱり読んでいて「味わい深い」。
ごちそうさまでした。
じっくり味わって
★★★★★
短編集です。
「旅」が共通のテーマになっていて、各編は、旅に出たことのない人の話とか、恋人が旅立ってしまった話とか、地方に出張した話とか、色々です。
各編で登場人物が微妙に重なり合っていて、ある人物が別の誰かを語る構成になっています。
それぞれの登場人物が悩み、戸惑い、振り返り、ときにはずる休みや息抜きをしながらも日常生活を真剣に生きる姿が描かれています。
色々の人生、目の前の選択肢、他人の人生との係わり合い。
久しぶりにじっくり味わいたいと思える作品に出会えました。
今後も最も注目すべき作家の一人であろう
★★★★☆
名作『スコーレNo.4』の作者による連作短編集。
繊細で優しい宮下節と、揺ぎ無い眩しい希望が
各短編のラストを飾り、美しい出来。
しかし連載の都合上、1.テーマが絞られており
2.各短編の長さに制限があり、3.統一感を出すためか
同じキャラクターをやや強引に随所に登場させている点
が全体を通して読んだときに窮屈な印象を与えてしまう。
モノローグが多いせいか、頭の中でキャラクターを
切り替えるのに戸惑う読者もいるだろう。
とまあ不満な点はあるけれど、
本書に続いて発売された第三作品集『よろこびの歌』は
『スコーレNo.4』に劣らぬ傑作である。
今後も最も注目すべき作家の一人であろう。
旅に出たくなる
★★★★☆
ご近所さんだったり、職場のつながりだったり、おさなじみだったりと、各短編の登場人物が微妙に重なり合う連作短編集。どの短編も、ある語り手が、別の誰かについて語っていくので、語り手自身の名前はなかなかわからないのだけれど、会話の中から少しずつ人間関係が見えてくるそういう楽しみがある。ぐいぐい話を前に引っ張っていくような、これまでの彼女の作品とは違い、人物像とちょっとしたエピソードを語りながら、その人間関係の間合いの雰囲気を味わうというような短編集に仕上がっている。冒頭の短編で、「正月と盆の二日以外は毎日休みなく農作業にいそしんできたおじいちゃんとおばあちゃん」が描かれるんだけど、専業の稲作農家のはずなのに農閑期がないのはどうしてなんだろう、という違和感を感じてしまい、「これは駄目かも」と思わせたのだが、三つ目くらいの短編から、人間関係の重なり具合を見つけるのが楽しくなり、最後まで楽しく読めた。ただし12の短編の登場人物のバリエーションが貧しく、同じような性格の人が別の名前で出てきてしまったりするのが、ちょっと作品として弱いところかもしれない。でも宮下ワールドの住人たちに親しみを感じるものには、かえって安心感にもなるのかな。『旅』という雑誌に連載された短編を集めているのだが、いわゆる紀行文的なフィクションではなく、実生活の中にある「小さな旅」的な要素を大事にしたそんな短編集になっている。
此処でない何処か。けれども、此処と繋がった何処かへ。
★★★★★
宮下奈都さんのまとまった作品を、どんなに読みたかっただろうか。
初出は雑誌「旅」での連載らしく、旅をキーワードとする連作短編が
12編収められている。
さまざまなシチュエーションで、それぞれの主人公たちが、迷ったり
立ち止まったり、日常のなかで滓のように重なってゆく
思いに向き合っている。
地に足の着いた文体ながら、どこか明るさを湛えているのは、
心というものの不可思議な働きを、作者が知っているからだ。
12人の主人公たちが、遠く近く重なり合い、その背中や影が、
作中を行き交う、その塩梅。
先の作品が生きて、あとの作品のなかに登場する驚き。
皆、同じ地平にいて、そこここで確かな歩みを残している。
振り返り、前を見、凛とした眼を明日に向ける一瞬があり、
作りごとでないその描写に、はっとする。
連綿と続く日々のなかに、私たちは「真実」が在ることを
十分に知っているからだ。
かけがえのない人生を我知らず、人はみな生きている。
そのことが切ないほどに胸を絞るのである。