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私のひめゆり戦記

価格: ¥1,260
カテゴリ: 単行本
ブランド: ニライ社
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ひめゆり学徒の集団自決・捕虜 ★★★★★
負傷者を看護したひめゆり学徒たちは,米軍の攻撃を受けている最中でも,負傷者から,「おれたちは貴様らの沖縄を守りにきて,前線で負傷してこの壕に来たのだ。弾の中でも水を汲んでくるのが,お前等の務めだ。壕から出て,水を汲んで来い。」と要求された。しかし,「こんな弾の中,誰が行けるもんか。無茶を言うな。」と学生を庇ってくれる兵隊もあった。「この戦は負ける」という日本軍の兵隊に対して,ひめゆりの看護学生は「弱気でどうするの。物量より精神よ。勝利の日まで頑張ろう」と励ました。
ひめゆり学徒は,本来,従軍看護婦・軍属ではない。しかし,軍の命令に服すべき「部隊」ではないが,事実上,軍の要請・命令を受けて行動していた。

1945年6月18日,第三外科壕で「ひめゆり学徒」は,宮崎婦長から「これまで生徒のみなさんは,軍に協力してきたけれど,ただ今,解散命令が出された。今後は,一人ひとり自由に行動してよろしい。本島にご苦労であった。看護婦採用試験に合格したものは,軍が責任を持つ。軍と行動を共にするかどうか,本人の意志に任せる。---」と告げられた。
敵を目前に解散命令が出たことに,「いったいどこに行けというのか。国難に殉ずる気概でやってきたのに,この場になって,解散とは何事だ」という憤慨が,ひめゆり学徒たちに,こみ上げて来た。軍は,自決を命令したわけではなかったが,解散しても,脱出できる望みは薄かった。

翌朝,壕の入り口で,日本人による投降勧告があった。いざというときのために,生徒は兵隊を拝み倒して手榴弾をもらっていたが,先生から「死ぬときは皆一緒だ。死ぬときは,先生が殺してやろう。」手榴弾は先生が取り上げられていた。「殺して」の声が響く,阿鼻叫喚の中,筆者は意識を失った。教職員・生徒48名中,43名が死亡。
実体験を伝えるという重さ ★★★★★
ひめゆり部隊のほかにも女生徒たちによる●●隊が存在したことを忘れないで欲しい。
残念ながらその人たちに関する本は知る限り出ていない。

本書によると、昔の人たちはとても早熟であったことがわかる。
特攻隊、少年兵、皆そうであるのだが。

この女性は、敗戦直後の民主主義化、平和主義の歓迎といった時代背景の中で自己の
体験を見つめなおす契機を与えられ、その後もこれを思い出し、年になっても正確な
記述をしていると思われる。

戦後民主主義の呪縛というもの達がいるが、一様にその内容を定義していない。
戦後民主主義と呼ぶのは自由だが、民主主義の内実も思想信条の自由等の人権の保障も
ひと時として安定していたことはない。

占領軍が政策を変化させたり、朝鮮戦争が起こったり、その他様々な国際的、国内的
な状況によって民主主義は変容を被った。それは世代の交代によっても促された。
以上のことは小熊英二の民主と愛国に詳しい。戦後民主主義うんぬんというのであれば
最低限この本を読んでからにすべきである。

そのような者の一人に小林よしのりがいるが、彼は沖縄の語り部達が余りにもすらすら
沖縄戦について語ることが変だ、というような趣旨のことを述べているが、それは当たり前だ。
お坊さんや落語家、みんな同じ話(説教、説経、演目)をするとき内容を多少アドリブを入れても
変えない。それはなぜか。同じことを繰り返し語ることによりそれが自分の一部になっているからだ。時を経て、練習を経て、すらすら話せるように今はなっている、というのが正しい。

普通なら見ないありさまを目の当たりにし、死に怯え、友人を失った著者。最初から彼女は
その経験を語れるのだろうか。書き付けることはできるのだろうか。私が同じ立場にあったら
書くことはできるかもしれないが、話すことは余りに重く、おそらくしばらく口を閉ざすだろう。
筆者もそうであっただろう。

余りにショックを受けると人間はそれを意識下に抑圧するか、それを書いたり話したり
することによりそのストレスを解放する。ただし、後者の行動が取れるようになるには時間が
かかる。心理学の初歩的知識だ。

彼女は戦後一定期間経過後に後者の方法を取る事ができるようになり、また、それを促す時代背景
があったのだろうと思う。
そのような時代背景があったことには意味があると私は思う。

確かに残虐非道な行為についてかかれることは、良心がよほど強い者でなければしなかっただろう。
書いても出版できなかっただろう。GHQは、検閲を行っていたからだ。出版すべきだとおもうが。
戦争における記録を残すという運動があったことには、すばらしいことである。
WAR GUILT PROGRAMは、他の本には知らないが、本書に影響を与えていないのはあきらかだ。

我々は過去に学ばなければならない。学ばなければ、また学んでも同じようなことをしてしまう。
人間の本性はそういうものだ。日本が戦争をしない選択があったと言っているのではない。
死んだ子の年を数えても意味がない。ただできるだけ事実を伝え、記録し、後の人々にその是非
をゆだねることが大切だと言っているのである。戦後早期に、記憶が新しい状態において、語りや
執筆が行われたことは歴史を記憶し、その世代が滅んだ後も教訓を残すという点で重要なことであった。体験を書き残したりする行為は彼女に限らず復員兵等によっても行われた。
何冊も今でも手に入る。

著者に感情を移入し、入り込んでいかないのならば、この本を読んだ価値はない。少なくとも
読み終わるまでは批判的検討を行わないようにすべきである。
余りにも重い話。それを語り始めた筆者の思い、思い出すことによるつらさ、そういったことに
想像力が働かない者は読まなくてよい。

ひめゆりの塔について書く。丸1日かかると思ってゆくこと。遊びに言ったついでに行けばいいが、
ひめゆりの塔に行くなら、その日は1日この場所で過ごすというように時間を取らなくてはならない。
それだけ時間がかかるのだ。
1.他のレビューにもあるが、戦没した隊員の手記が展示されているが、全てを読むこと。これは
  鎮魂からも当然である。これには立ったままで見る他なく、2時間以上時間がかかる。
2.生き残った隊員の証言のビデオを流しているところがある。全員分見なさい。これは3時間近く
  かかる。

最後に、日本人であるなら、思想の如何にかかわらず、ひめゆりの塔、麻文仁(沖縄戦総司令官
自決の地。一応この自決の日を持って沖縄戦の組織的抵抗の終わりとなる。)、海軍司令部壕、
以上が沖縄に関する施設の主だったものだが、これらに行くべきだと思う。

広島、長崎、靖国神社、鹿児島の名前を度忘れしたが特攻基地で有名なところ、
ハワイのアリゾナ記念館、その横に鎮座している潜水艦はその後見ればいい。
ぜひ読んでください ★★★★★
5年前にひめゆりの塔に行きました。そこに生き残りのひめゆり学徒の体験記を読めるコーナーがあります。ガス弾を壕に投げ込まれ、小便を布にぬらしてガスを防ぎ、3日後死体に囲まれて目がさめたという話が強烈に印象に残りました。その人がこの本の著者の宮良ルリさんです。
この本ではその場面だけでなく戦争時の体験が細かく記されています。沖縄戦時、次の瞬間に生きていられるかは運次第だったのです。
日本人は必ず一度はひめゆりの塔に行ってほしいものです。戦争の悲惨さを知るとき、誰も戦争を正当化することはできなくなるはずです。