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バレンボイム/サイード 音楽と社会

価格: ¥2,940
カテゴリ: 単行本
ブランド: みすず書房
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音楽に出来る事−−或るユダヤ人とパレスチナ人の対話 ★★★☆☆
−−人間にとって、音楽はどうしても必要な物ではない。しかし、音楽が無い事は不幸な事だ。−−(ムラヴィンスキー)

 この本は、1942年にロシア系ユダヤ人の子として、ブエノス・アイレスに生まれた世界的指揮者のダニエル・バレンボイム氏と、1935年にエルサレムで生まれ、アメリカで教育を受けた比較文学研究者であり、同時にPLOに近い立場のジャーナリストであったエドワルド・サイード氏の対談の記録である。二人の音楽と藝術に関する知識は極めて高度で深い物である為、正直に言って、私などには分からない部分も多かった。又、歴史に関する議論では、疑問を感じる部分が有る。しかし、音楽についての話はともかく、パレスチナの現状と歴史に関して、大きく違った考えを持つユダヤ人のバレンボイム氏とパレスチナ人のサイード氏が、この様な深い友情を結び、あらゆる事に付いて対話をした事実は貴重である。私は、音楽を愛する人間の一人であるが、音楽によって平和を作ると言った様な、音楽の力を過大に語る事には反対である。しかし、一人のユダヤ人とパレスチナ人に、この様な対話をする事を可能にした物が音楽であった事は、記憶されるべき事だと思ふ。

(西岡昌紀・内科医/マルコポーロ廃刊事件から12年目の日に)
差別の無い世界を改めて考えさせられました。 ★★★★★
サイードの「音楽のエラボレーション」を読んだあとにこれを読みました。
文化とは、社会が作る。社会は文化を作る。しかし、壊しもし、消し去ることもする。
ユダヤ人とパレスチナ人との間の溝は、歴史上強引な形で作られました。
これを、この二人は消し去っていきました。

私はかつて、バーンスタインを差別亡き国を目指す人だと勘違いしていました。
そうたぶん勘違いです。
彼は、ユダヤや、妻の民族、日本人にしか心を開きませんでした。
パレスチナに彼が心を開いていたら、良かったとよく思います。

サイードがこの世から去ってしまったのが悲しいところです。
改めて惜しまれるサイード ★★★★★
 出典は忘れたが、アメリカのプロ・ライフ派とプロ・チョイス派についてこういう実験があった。お互いがお互いを「悪魔」とののしりあっていることは周知の事実だが、この二つの考えのグループに共同生活をさせたところ、数ヶ月後にお互いは考えは変えなかったものの、「悪魔」ではなく、「ふつうの人」であると認識するようになった、というものだ。
 イスラエルの建国は確かに非合法的なものであろうが、実際問題として今さらパレスチナ人に土地を明け渡し、ディアスポラとして世界中を彷徨うわけにはいかないだろう。現実的にな解決策は「共存」しかないのだ。そして共存するには、お互いの立場、考え方を尊重しあうことが求められる。端的にはかつてのキブツでユダヤ人とパレスチナ人が共同で農作業に当たったように「コラボレーション」の機会をつくることが必要だ。
 バレンボイムは他のレビュアーの方が記している通り、ユダヤ人とパレスチナ人の音楽家たちによるオーケストラの指揮をしたり、ワーグナーの作品のイスラエルにおける初演を果たしたり、そういった活動を通じてこの二つの民族の融和に心を砕いてきたことをはじめて知った。またサイードもプロ級のピアノの腕前を持つことは知っていたが、バレンボイムとの交友を通じてお互いに影響を与えあってきたのだ、ということも、この本を読むまでは知らなかった。
 それぞれ文学・音楽だけに止まらない第一級の知識人同士の対話。改めてサイードの死が惜しまれる。
 感謝!感激!感動のGW! ★★★★★
この本に出会えて、とても意味のある時間を過ごすことができました。

■民族和解の種をまき実行に移したユダヤ人バレンボイムとパレスチナ人サイードの二人が、
音楽と文学と社会を語ります。

 冒頭に、「ウェスト・イ-ススタン・ディヴァン・ワ-クショップの若き音楽家たちにささげる」とあります。
1999年ゲ-テ生誕250年の記念日にドイツの都市ワイマールで開かれたコンサ-ト。
そこでアラブ人とイスラエル人の音楽家、ドイツ人音楽家も合流させて編成されオ-ケストラが、
バレンボイムの指導と指揮のもとベ-ト-ベンの交響曲第7番の感動的な演奏を
披露するという取り組みが、この本の誕生のきっかけとなっています。

 その二年後、もう一つの試みが行われます。
 ヒトラ-が好んだという理由で、かつ本人が強烈な反ユダヤ主義者だったという理由で、
イスラエルでは演奏がタブ-になっていたR・ワ-グナ-の楽劇「トリスタとイゾルデ」(抜粋)を
演奏したのです。
 そこには、排他的な民族主義に傾斜している祖国・イスラエルを憂い、
普遍的なものに向けて開放できないかという彼の強い意図があったとのことです。

 私は、この本を昨年のNHKの人間講座「いま平和とは」をテ-マにしたテレビ番組
(講師:最上敏樹先生(国際基督教大学教授))で知りましたが、今回この本を手にし、
平和を考える大切なキ-ワ-ドをいただいた感じです。

■同時に、音楽に関する興味深い示唆もいただきました。
・「音楽とは鳴り響く大気だ」 フェルッチョ・ブゾ-ニ
・音楽は民族とか国民性とか言語の境界を越える(=ransnational)。
「モ-ツァルトを鑑賞するためにドイツ語がわかっていなければならないということは
 ないし、ベルリオ-ズの楽譜を読むためにフランス人である必要はないのだ」

・難解な現代作品について:音楽にも時間が必要。しかし時の進展に任せるだけではなく、
 重要だと思う作品を繰り返し演奏し、何度も聞き、それらが近づきやすくなってくる
 のを待つ。難しいものは親しむことによって理解すべき。なれ親しむことが軽蔑を
 生むことはなく、理解につながる。

話題豊富で熱い対談に驚かされます。 ★★★★★
この本を読んで、先ごろお亡くなりになったピアニストの園田高弘さんが日経新聞の「私の履歴書」にドイツ留学時の経験について書いているのを思い出しました。音楽家たちの対話する酒席での経験を次のように書いています。(以下、抜粋です。)

「音楽の話をしているうちは、まだいい。五分もすれば、話題は文学や美術、演劇など文化全般へ移っていく。そこに加われず、酒だけなめてぼんやりしている僕は、非常な劣等感に襲われた。『これでは駄目だ』と一念発起、日本語に訳されたドイツ文学を全部取り寄せ、原語のレクラム文庫と比較したり、ドイツの新聞を克明に読んだりした。マックス・ウェーバーからテオドール・アドルノにいたる音楽社会学・・・」

この本に掲載された対談も話題豊富で、たいへん熱いものとなっています。「専門バカ」という悪い言葉がありますが、この本を読むとユダヤ人バレンボイムはその悪口に値しないどころか、社会全般に幅広い関心を抱いて音楽活動している様子がよくわかります。親友でパレスチナ人であるサイードという良い対談相手を得たことも大きく関係していることでしょう。フルトヴェングラーをはじめとする音楽家たちはもちろんのこと、ホメロス、ウェルギリウスからディケンズやチョムスキー、ラシュディといった作家たちまで話に登場します。
どうぞご高覧くださいませ。