■民族和解の種をまき実行に移したユダヤ人バレンボイムとパレスチナ人サイードの二人が、
音楽と文学と社会を語ります。
冒頭に、「ウェスト・イ-ススタン・ディヴァン・ワ-クショップの若き音楽家たちにささげる」とあります。
1999年ゲ-テ生誕250年の記念日にドイツの都市ワイマールで開かれたコンサ-ト。
そこでアラブ人とイスラエル人の音楽家、ドイツ人音楽家も合流させて編成されオ-ケストラが、
バレンボイムの指導と指揮のもとベ-ト-ベンの交響曲第7番の感動的な演奏を
披露するという取り組みが、この本の誕生のきっかけとなっています。
その二年後、もう一つの試みが行われます。
ヒトラ-が好んだという理由で、かつ本人が強烈な反ユダヤ主義者だったという理由で、
イスラエルでは演奏がタブ-になっていたR・ワ-グナ-の楽劇「トリスタとイゾルデ」(抜粋)を
演奏したのです。
そこには、排他的な民族主義に傾斜している祖国・イスラエルを憂い、
普遍的なものに向けて開放できないかという彼の強い意図があったとのことです。
私は、この本を昨年のNHKの人間講座「いま平和とは」をテ-マにしたテレビ番組
(講師:最上敏樹先生(国際基督教大学教授))で知りましたが、今回この本を手にし、
平和を考える大切なキ-ワ-ドをいただいた感じです。
■同時に、音楽に関する興味深い示唆もいただきました。
・「音楽とは鳴り響く大気だ」 フェルッチョ・ブゾ-ニ
・音楽は民族とか国民性とか言語の境界を越える(=ransnational)。
「モ-ツァルトを鑑賞するためにドイツ語がわかっていなければならないということは
ないし、ベルリオ-ズの楽譜を読むためにフランス人である必要はないのだ」
・難解な現代作品について:音楽にも時間が必要。しかし時の進展に任せるだけではなく、
重要だと思う作品を繰り返し演奏し、何度も聞き、それらが近づきやすくなってくる
のを待つ。難しいものは親しむことによって理解すべき。なれ親しむことが軽蔑を
生むことはなく、理解につながる。
「音楽の話をしているうちは、まだいい。五分もすれば、話題は文学や美術、演劇など文化全般へ移っていく。そこに加われず、酒だけなめてぼんやりしている僕は、非常な劣等感に襲われた。『これでは駄目だ』と一念発起、日本語に訳されたドイツ文学を全部取り寄せ、原語のレクラム文庫と比較したり、ドイツの新聞を克明に読んだりした。マックス・ウェーバーからテオドール・アドルノにいたる音楽社会学・・・」
この本に掲載された対談も話題豊富で、たいへん熱いものとなっています。「専門バカ」という悪い言葉がありますが、この本を読むとユダヤ人バレンボイムはその悪口に値しないどころか、社会全般に幅広い関心を抱いて音楽活動している様子がよくわかります。親友でパレスチナ人であるサイードという良い対談相手を得たことも大きく関係していることでしょう。フルトヴェングラーをはじめとする音楽家たちはもちろんのこと、ホメロス、ウェルギリウスからディケンズやチョムスキー、ラシュディといった作家たちまで話に登場します。
どうぞご高覧くださいませ。