アート・テイタムを引き合いにだせばわかるように、ソロ・ピアノは昔から行なわれているフォーマットだけど、長い間、特殊な形態という印象が強かった。それがごく当たり前のものになったのは70年代以降のこと。特に70年代初頭にはチック・コリア、ポール・ブレイ、ダラー・ブランドなど多くのピアニストがソロ・ピアノ作品を録音した。なかでもキース・ジャレットの活躍はめざましく、ソロ・ピアノの世界を確立した一番の功労者といっていい。
そのキースが初めて録音したソロ・ピアノ・アルバムが71年録音の本作。イマジネーションのおもむくまま、自由なスタンスで鍵盤をあやつるキースの演奏は、もはやジャズ・ピアノというせまいジャンルに押しこめてはおけない独特のものだ。懐かしい話になって恐縮だけど、当時キースのソロ・ピアノはジャズか非ジャズか、なんて論争が雑誌で真面目に展開されたほどだ。いかにもキース的なフォーク~ゴスペル・タッチの<1>で、すっかりその世界に引きこまれる。(市川正二)
たくさんの引き出しを持つ男、キース・ジャレットの初ソロ・ピアノ作品
★★★★☆
中山康樹氏は「ジャズの名盤入門」で、キースは「多彩かつ無数の引き出し」を持っていて、「あとはどの引き出しをいつ開けるかを瞬時に決す」るのが彼の即興ソロ・ピアノ・ライヴの本質だと評しているが、その指摘は正しい。この記念すべきスタジオ録音の初ピアノ・ソロ作品は彼自身がどのような引き出しを持っており、そこに必要十分なものが揃っているかの確認作業の成果だ。既に71年の時点で、ゴスペル、高音が冴えわたる耽美的なメロディー、フォーキーなタッチ等、少なくとも彼の70年代の大活躍の素材が揃っていたことがわかる。ケルン・コンサート・パート1やステアケースのような、超俗的な究極の美の世界が全面的に展開される訳ではない。しかし、やはり美しさにハッとする瞬間はあるし、アーシ―な曲も含めて統一感があり、1曲1曲を切り離して聴くことはできない。キースのソロ・ピアノの長尺化傾向を含め、本作はキースのソロ・ピアノの原点だ。同時期のチック・コリアのソロ・ピアノより聴く者を惹きつける、キースの瑞々しい感性を愛でたい。
だって、キースだもん
★★★★★
71年発表のキース初のソロピアノのアルバムです。
躍動感のあるtr1に始まり、全編に渡り、キースの力強く、凛としたピアノが楽しめます。落ち込んでいる時でも、このアルバムを聞くと、なぜか、心が浮き立つんですよね。
スタンダードをやっているアルバムと聞き比べて見ると、やはり、キースのソロは、オリジナルがいいなあと思ってしまいます。キースのソロは、何ら制約のない環境下で、感性の赴くまま、自由自在にピアノを弾くのが合っていると思います。
tr1の他にも、クラシック調、ジャズ調とバラエティに飛んでいますが、やはり、キースの音になっています。というわけで、私には、文句なしに5点のアルバムです。
奇跡の始まり
★★★★★
1970年頃、キースはコロンビアと契約していてコロンビア・アーティスト・マネジメント・ホールで初めての無伴奏ソロ・ピアノ・コンサートを行った。その後、グリニッジ・ヴィレッジのマーサー・アーツ・コンプレックスで同じくソロ・ピアノ・コンサートを行っている。しかし、この時の演奏が元で一方的にコロンビアはキースとの契約を打ち切ったという経緯がある。つまりコロンビアはキースのソロを認めなかったのだ。
しかしながらこの契約が打ち切られる前にECMのマンフレート・アイヒャーという男がキース宛にレコーディングの提案を手紙で送っている。アイヒャーの提案は次の3つだった。
1.チック・コリア、ゲイリー・ピーコック、デイブ・ホランド(つまり2台のピアノと二台のベース)によるレコーディング。
2.ソロ・ピアノのレコーディング。
3.ゲィリー・ピーコックとジャック・ディジョネットとのトリオ(!!!)。
これを受けて1971年秋のマイルスとのヨーロッパ・ツアーをぬってソロ・アルバムをやりたいとアイヒャーに伝えた。これが全ての奇跡の始まりだ。1971年11月10日オスロ。たった一回のセッションで本作は完成する。
マンフレート・アイヒャーがいなかったら今のキースもそしてジャズもどうなっていたかぼくには分からない。それほど計り知れないほど彼は偉大だ。コロンビアは自身の愚かさをその後嫌と言うほど知る事になる。
奇跡の始まり
★★★★★
1970年頃、キースはコロンビアと契約していてコロンビア・アーティスト・マネジメント・ホールで初めての無伴奏ソロ・ピアノ・コンサートを行った。その後、グリニッジ・ヴィレッジのマーサー・アーツ・コンプレックスで同じくソロ・ピアノ・コンサートを行っている。しかし、この時の演奏が元で一方的にコロンビアはキースとの契約を打ち切ったという経緯がある。つまりコロンビアはキースのソロを認めなかったのだ。
しかしながらこの契約が打ち切られる前にECMのマンフレート・アイヒャーという男がキース宛にレコーディングの提案を手紙で送っている。アイヒャーの提案は次の3つだった。
1.チック・コリア、ゲイリー・ピーコック、デイブ・ホランド(つまり2台のピアノと二台のベース)によるレコーディング。
2.ソロ・ピアノのレコーディング。
3.ゲィリー・ピーコックとジャック・ディジョネットとのトリオ(!!!)。
これを受けて1971年秋のマイルスとのヨーロッパ・ツアーをぬってソロ・アルバムをやりたいとアイヒャーに伝えた。これが全ての奇跡の始まりだ。1971年11月10日オスロ。たった一回のセッションで本作は完成する。
マンフレート・アイヒャーがいなかったら今のキースもそしてジャズもどうなっていたかぼくには分からない。それほど計り知れないほど彼は偉大だ。コロンビアは自身の愚かさをその後嫌と言うほど知る事になる。
アーとってもモドカシー
★★★★★
いいなあこれ。この浮遊感に満ちたピアノは最高だ。僕らに何かを語りかけてくる。でも、この音楽を言葉にするのがどうも難しい。ロック・ゴスペル・ソウル・クラシック・ジャズ... 色々な表現の仕方があるだろうが、すべてぴったりこない。ある部分あっているんだけど、全体を言い当ててはいない。とってももどかしい。ピアノを弾くときのキースのように身をくねってしまいたい程だ。だけど、それが音楽の本質って言う気もする。つまり言葉に出来ないサムシングそれが音楽だ。「君と面と向かって」で、キースがピアノというフィルターを通じて、僕らに語りかけくるのは決して言葉にならないこのフィーリング。でもそれでいいんだろう。そんなアンニュイな感情をパッキングしたのがこのCDだ。今はただ単にこの音に身を任せていたい。