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陸軍省軍務局と日米開戦 (中公文庫)

価格: ¥760
カテゴリ: 文庫
ブランド: 中央公論社
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開戦決定に至る喜劇的迷走 ★★★★☆
東条内閣成立から対英米開戦に至る昭和16年10月〜12月の2ヶ月間を陸軍省軍務局軍務課の高級課員、石井秋穂の視点から描いたノンフィクション。


昭和11年8月に発足した陸軍省軍務局軍務課は、陸軍の政治的意思(軍が内閣から独立した政治的意思を持つのがそもそも問題なのだが・・・)を代弁する唯一の機関、政策決定集団として絶大な権力を握った。


木戸幸一内大臣ら天皇側近は対米戦回避という天皇の意向を踏まえ、開戦を主張する東条英機を首相兼陸相に据えることで戦争回避を図るという離れ業をひねり出した。尊皇家である東条は「避戦」の叡慮を知り、主戦論を引っ込めて本気で戦争回避を模索する。かくして軍務局軍務課は東条の手足として、対米交渉に深く関与していく・・・・・・


軍務局軍務課(省部)は、日米交渉で局面を打開しようとする外務省と、強硬に開戦を主張する参謀本部(統帥部)との間に入って粘り強く調整を試みた。しかし陸軍軍人としての本質から、結局は参謀本部に引きずられてしまい、開戦に至る。大本営・政府連絡会議の不毛さはまさに「会議は踊る」であり、こんないい加減な議論で日本の針路が決定されたのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。


さて本書の白眉は、極東国際軍事裁判で「平和に対する罪」で絞首刑となった東条や武藤章が実は戦争回避のために努力していた、ことを具体的に明らかにした点にある。東条は「変節した」と参謀本部に糾弾され、武藤は作戦部長の田中新一と大喧嘩をしている。石井は「独ソ戦はドイツが不利になっている」と冷静な判断を下していた。しかし、その彼らにしても、対米妥結に関してはかなり甘い見通しを持っており、譲歩とは言えない譲歩に一縷の望みをかけていた。そこに日本の悲劇がある。


石井は先見性に優れていたが、その彼も、主戦派の説得においては姑息な弥縫策に終始し、国策の根本的な転換など想定の外にあった。当時の軍官僚の限界を見る思いがした。
陸軍省軍務局から見た戦争決意までの道 ★★★☆☆
本書は昭和16年9月6日の御前会議決定の白紙還元の御錠から始まる日米交渉を陸軍省軍務局軍務課高級課員、石井秋穂中佐を主人公に据え、日本が国策としてどのように開戦を決意していくかを陸軍省の政策立案部門である軍務局からの視点で描いたものである。

日米交渉の類書では陸軍省の一部局に焦点を当てて書かれたものはないと思われる。その点において本書は十分意義があると思う。

あの戦争は幕僚の戦争とも呼ばれた。いわゆる下克上の風潮にのり、佐官級の中堅将校が戦争を引っ張っていったとも言われている。
そういった風潮の中、石井中佐は東條からの指示により、陸軍省の軍務課の一課員として忠実に避戦への道を探る。
軍人として日米開戦は避け得ないのではないかという思いと陸軍省の一課員として忠実に使命を遂行しようとする思いが葛藤する中で期限ぎりぎりまで努力しようとする。

統帥と国務の分離していた当時の大日本帝国では、内閣の一員である陸軍省は統帥権の独立を盾にとる統帥部をおさえきれず国策決定は迷走を続け、戦争決意を統帥部の期限設定による時間切れで決定せざるを得ない状況に追い込まれる。

やがて日米交渉が終局にさしかかろうとする時、石井は役目を終え、わだかまりを覚えながらも南方軍参謀として転出する・・・
少し芝居がかった点もあるが石井の証言を中心に当時の雰囲気を伝えるドキュメントとなっている。当人たちからすればいままさに歴史の転換点に立ち会っているという感慨と国家の興亡は我が身の判断にあると思ったであろうことは十分推察できる。

保阪氏の著作は少し証言者の主観を重視すぎるきらいがあるが、その点を考慮したとしても本書の価値を減じるものではないと思う。
東條ら陸軍が戦争にひた走ったと誤解する人が多い中、一読の価値はあると思う。

日米開戦が決定されるまで ★★★★★
いったい日米開戦は実際はどのように決定されたのか。東条英機も武藤章も日中戦争以後の陸軍内部では強硬な武力発動論者で、対米戦を辞さない方針だったが、天皇の意思を知って急激にその方針を曲げる。本気で日米交渉の妥協点を探り、情報を集めて外務省と一緒に交渉に当たっていたのが陸軍省軍務局高級課員であった石井秋穂大佐だった。彼は米国の交渉態度の不審に気づき、ひょっとしたら暗号は解読されているのでは?と直感するが確信にまでは至らなかった。

日本は南部仏印進駐前の状態まで譲歩したが、最初から交渉をまとめる気のない米国はのちにハル・ノートと呼ばれる原則論とアメリカから見た東亜の理想プランを提示した。これによって外務省も開戦やむなしと決意、交渉は実質決裂する。

元々日中戦争を勝手に起こしておいて、ドイツにかぶれ、ドイツが優勢だといって南部仏印に入っていった。その結果アメリカの怒りを買って開戦、全ては陸軍が勝手に進めたことなのに、開戦直前になって海軍の協力を求めてもうまくいくはずがなかった。陸軍は陸軍だけで戦争をする気だったのか?

真珠湾への道のりを、陸軍省部から捉えた秀作 ★★★★☆
日米開戦交渉(1941年)当時、陸軍軍務局軍務課高級課員であった石井秋穂大佐の目を通して、東條内閣組閣から米国からのいわゆる「ハル・ノート」提示までの1ヶ月余りの間の、日米交渉、陸軍省部(軍政部門)と参謀本部の動きを追ったものです。

他の評者のかたも言及されておられましたが、世論が対英米強硬論に流れるなかで、日米交渉の推移を注視し、避戦ののぞみを賭けていた人々が陸軍省部内に少なからずいたことは、本書を通じて初めて知りました。

私は石井秋穂氏の軍歴は詳しく知りませんが、「(省部の中枢にいた)彼の立場であれば、歴史の潮目は、このように眼に映り、感じられたのであろう」と思われました。
和平を試みる軍務局 ★★★☆☆
軍務局高級課員、石井秋穂を中心に、昭和16年の真珠湾攻撃までの陸軍と内閣の動きを追ったドキュメント。

当初は日米和平を模索していた内閣の開戦へと転回してゆく過程が、陸軍の雰囲気に圧されたものであったのはすでに周知の事実だが、ここから見えてくるのは極めて日本的な官僚制、藤田省三にならっていえば、合理性ではなく情緒と恣意的な道徳に依拠した集団の姿である。

しかしながら軍務局というあまり注目されない部署が実は和平工作を試みていたということは、もっと注目されてよい。
その意味で、作者の淡々とした筆致はやや面白味に欠けるが、それなりに貴重な試みであるといえる。