これで良いのでしょうか
★★★☆☆
日本語の誤用がテレビで多く取り上げられる中、この本も話題になりましたね。
この本はテレビ以上に間違いを論理的に鋭く斬っていってくれるものなのかと思いきや、
「〜なので間違っているとも言い切れません。」、「〜という考え方も出来るのではないでしょうか。」、
「今は正しいとは言えませんが、そのうち変わってくるかもしれません。」
などと、おかしいとされる日本語を弁護しているケースがほとんどです。
また、芥川など偉大な小説家が使っていたので間違いとは言えないという
解説もいくらかありましたが、説得力に欠けると思います。
感性や表現力に優れた者が、必ずしもここで語られるべき日本語の使い方に精通しているとは限りません。
言語は常に変化をしている生き物なので、全ておかしいと一概に言うことは出来ませんが、
それらの変化に対してあまりにも積極的に受け入れる姿勢を示しているこの本は
少々危険であるとも感じました。
乱れと変化は紙一重だと思いますので。
文法的な解析や過去の吟味とあわせて、現在の生きた用法をしっかりと見据える事が大事
★★★☆☆
本書は間違った日本語の正しい使い方を教えるような、教科書的な内容ではありません。誤用の論理(なぜ、間違って使われるのか)を説明する本なのである。本書を読んで、何が正しくて何が正しくないのかが漠然としてはっきりしないのがマイナスかなと思いました。
言葉は日々変化している。文法的な解析や過去の吟味とあわせて、現在の生きた用法をしっかりと見据える事が大事なんだろう。
言葉を教えるときには、背景をしっかり教えることによって、正しい運用の仕方を学ぶことができるのではないか。
必要以上のぼかし表現(ex:おつりののほうは300円)は、逃げ口実を作るとともに意思疎通を妨げるものではないか。また、安易な「的(ex:わたし的)」の使用は、意味があいまいになるので気をつける。
「事」は名詞として実質的な意味を持つ場合に使い、「こと」は形式名詞として形式的な意味を持つ場合に使用する。
「話し」は主に話すという動作について、動詞の意識をとどめるものに使い、「話」は名詞として、主に話された事柄の内容などに使う。
「問題な日本語」は問題ではないでしょうか?
★★★★★
「問題な日本語」の半分くらいの記述は、大切な指摘だと思いました。
普段、あれ?意味がよくわからないという言いまわしを指摘されています。
しかし、いくつかの視点で、疑問を感じました。
問題な日本語というタイトルの割に、必ずしも間違いではない言いまわしを取り上げています。
また、次の3点についての立場がよくわかりません。
1 標準的な日本語とは何か。
著者は、古い、過去の日本語をどう考えているのだろうか。
最近の日本語の変化を批判するからには、100年、1000年の日本語の変化の中で、考え方を提示すべきではないでしょうか。
この5年、10年の言葉の変化を、40年、50年の中で位置づけても歴史的な評価になるのでしょうか。
35年以上前に、新人類と言われた私たちには、オタク世代もいるし、
関西なまりのはやりもあったし、「ていうか?」というような語尾上げもありました。
すでに35年間、それらの言葉が定着してきているのに、それを批判したからといって、
問題な日本語だとは思えません。
2 方言をどう考えるか
関西弁、江戸弁などの方言に対して、なにか標準語があるという前提で語ってはいないでしょうか。
問題な日本語を指摘する前に、問題な標準語をまず指摘しておいた方がよくないでしょうか。
問題な標準語を指摘した上で、その文脈上で、現代の日本語の問題を指摘するとよいかもしれません。
3 個々の指摘の背景、資料は貧弱ではないですか?
外来語の日本語表記に関する意見が、国立国語研究所から出ています。
その案の中にさえ、調査が不十分で、特定の分野だけの意味に引っ張られ、
他の分野での意味を無視した案が出されたことがあります。
「問題な日本語」にそういう問題はないでしょうか。
参照資料が網羅していないのも「問題」ではないでしょうか。
いろいろな観点で、書き直した改訂版が出ることをお待ちしています。
あるいは、「「問題な日本語」は問題だ」という本が出ることを期待します。
そういう論争を始めるためのよいきっかけを与えてくれていないでしょうか?
ぜひ、購読して、問題点を指摘してくださると幸いです。
ってゆ〜か、わたし的にはおもしろい、ってかんじ?
★★★★★
私は別に日本語を極めた人でも、研究しているわけでも、特別なことを学んだわけでも無い。
でも最近、いやもっと以前からTVから流れてくる日本語、ネット上で目にする日本語、
聞こえてくる日本語に対して、なんとも言えない引っかかりを感じていた。
一番最初に違和感を覚えたのは、いわゆる『語尾上げ』の話し方だ。
コドモが使っているのなら、まだ理解できる。
でも、いい歳したオヤジやオバサンまでもが語尾を上げだした時にはぞっとした。
『語尾上げ』以降、引っかかる日本語は増えてゆくばかり。
ぶつくさ文句を言う私に、母は「アンタもオバサンになったってことよ。」と言った。
いや、そういう問題じゃないだろう!?
そんな思いをずっと抱えていたので、この本のことを知って即買いした。
特に個人的に非常に癇に障っていた『…しました。なので…』という使われ方をしている『なので』、
これについて真っ先に読んだ。
なるほどなぁ、とちょっと納得。
でも複雑。
やはり違和感は拭えない。
“言葉は変わってゆくもの”と、誰かが言っていたのをふと思い出した。
非常に真面目に“妙な”“最近新しい意味で使われだした”といった日本語について、
“何故そうなったのか”ということも含め、とても詳しく解説されている。
普段私が正しいと信じて使っていた、社会的にもごく当たり前に使われている言葉が
実は近代になって使われるようになった言葉だった…といった発見もあり、興味深い。
敬語・尊敬語・謙譲語の間違いについては、以前からよく論議されていたと思う。
本書はそういった内容もカバーしており、学ぶところが実に多い。
私には、とても興味深く面白く感じられた本である。
よろしかったらご一読を。
いのうえさきこさんの挿絵と、4コママンガがいい味出しています。
柔軟な思想
★★★★★
『日本語は常に変化するもの』という筆者の思想に強く共感できた。
若者の言葉に眉を顰めるのも結構だが団塊の世代と呼ばれる人たちが使っている日本語も
ホンの数十年ぐらい前までは間違いとされ有識者から非難を受けていたという事実を知って欲しい。
若干構成が読みにくいような気もしたが内容がいいので☆5つ。