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グラーグ57〈下〉 (新潮文庫)

価格: ¥704
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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好漢ティムール・ネステロフは矢張り還らず ★★★★☆
第57強制労働収容所からの脱出とモスクワへの帰還、フラエラ率いるヴォリとの暗闘、フロル・パニンの謀計とハンガリー動乱など舞台が目まぐるしく変わる中、翻弄されるレオの家族愛の物語。人物造型的には、「自分の逮捕に関わったすべての者たちに復讐する自由」(181頁)と「人生を台無しにした国家そのものに仕返しをする機会」(269頁)を得て、ある意味燃え尽きたフラエラの存在が圧巻。今後発刊されるというレオ・シリーズの最終第3部が、何はともあれ待ち遠しい。
レオはジャック・バウアーのようになる・・・下巻へ ★★★★☆

強烈な面白さの「チャイルド44」に続く続編です。もし前作を読んでいない人は必ず前作を読んでからこちらを読むことをお勧めします。
前作がスターリンの死ぬ直前から死後(序章は1920年代のロシア飢饉)
今作は序章を抜かすと、フルシチョフの1956年の第20回党大会の「スターリン批判」から始まり、同年10/11月のハンガリー動乱までが舞台の背景です。
読む前、読み終わった後、どちらでも構いませんが、一度それらの時代背景の内容をウィキなどでさらっとでも読んで置くことをお勧めします。
当時のとんでもない政治に翻弄される一般市民や政府側の人間、これらが実際に起きたわけですから、本当に怖いです。

さて前作と変わらずジェットコースターのような話の流れです。(実際にソビエトの歴史がそのようにジョットコースターにしてしまったのですが)
だんだん読んでいると、何か、どこかで同じ感じが・・・拷問、脱出、救出、身内との苦悩、死、しかし主人公はどんな拷問でも死なない・・・そ!そうだ!これは「24」と同じだ。
時代背景、国の違いはあるものの、レオ=ジャック・バウアーです。(見ていない方は申し訳ございません)
そのレオ君は昔犯した過ちと家族に翻弄されながら、進みます。この小説の悲しくも悩ましいのは、レオは過去は明らかに間違っていた行為を行ってきているので、敵と思われる相手も実は良い人だったりするので、非常に悩ましいです。政治に翻弄されほとんどの登場人物が実は被害者だったりします。

話がどんどん進む後編です。
主人公はついにロシアを飛び出していきます。あああ・・・まるで米国から飛び出してメキシコとかまで行っちゃったジャック・バウアーみたいです。
ただ当時のハンガリーはソビエトの下についていた国ですので、この辺の流れ(政治情勢、歴史上の事実)を巧みに作者は使っています。
ここまで壊れたゾーヤとの関係をどうやって修復するんだ?最後はどう締めくくるんだ?まさにノンストップの展開で進みます。最後もほろっとするのがこの小説の良いところ・・・。
三部作最後の作品も首を長くして待っています!(次回はどの背景なのでしょうか?1964年のフルシチョフ失脚か?それともプラハの春まで飛ぶのか?いずれにしろレオとその家族の戦いがもう1回続き、わくわくします)
家族を思うレオの、命をかけた波乱万丈の物語 ★★★★☆
’08年、「このミステリーがすごい!」海外編第1位、「週刊文春ミステリーベスト10」海外部門第2位に輝いた『チャイルド44』の続編。三部作になるということなので、本書は<レオ・デミドフ>シリーズのちょうど中間点に位置するのだろう。

前作から3年後という設定で、スターリン亡き後実権を握ったフルシチョフのスターリン批判で幕を開ける。スターリン時代に横暴を極めた秘密警察が今度は復讐の標的となるのだった。念願の殺人課を開設したレオとても例外ではなかった。しかも彼は前作で養女としたゾーヤが一向に家族に心を開こうとしないことに悩んでいた。

ストーリーは、このゾーヤがからみ、不当な扱いを受けてきた者たちの復讐の標的となったレオの苦難がこれでもかと描かれてゆく。
モスクワの下水道の追跡シーン、オホーツク海の囚人護送船上の死闘、強制労働収容所での熾烈な拷問、そしてラストのハンガリー動乱まで、愛する家族であるゾーヤを救うために波乱万丈のレオの冒険がハード・ボイルドタッチで展開してゆくのだ。

本書では、一気読み必至の面白さを秘めた、派手なアクションシーンが目立つが、根底にあるのはレオの家族愛である。きのうまでの常識がきょうは非常識になるという苛酷な運命に翻弄されながら闘うレオの姿には心打たれるものがある。

ヴォリ(強制労働収容所で兄弟の絆を深めた犯罪者集団)の女性リーダー・フラエラの存在感も強烈に胸に響いた。
ミステリーというよりは人間にとって想像することの大切さを知る小説として読む ★★★★☆

 上下巻で700頁を超える長編小説『グラーグ57〈上〉 (新潮文庫)』の後編。
 主人公レオは極東の強制労働収容所に潜入するも、脱出計画に思わぬ支障が生じる。元チェキスト(秘密警察勤務者)として彼は収容者たちによって拷問にかけられる。そして物語はハンガリー動乱の地、ブダペストへと展開していく…。

 共産主義体制下でレオをはじめチェキストたちが多くの人々を死に追いやった論理を、いみじくもこの小説は一言こう表現しています。(35頁)
 「しかたのないことだった」。

 ですがこれは、ひとり共産主義の世界でのみ使われたわけではなく、時を選ばず、場所を選ばず、人類の世界で幾度となく都合よくつかわれてきた屁理屈です。
 レオは全きヒーローではなく、かといってこの「しかたのないことだった」という屁理屈によって自らをいたずらに正当化しようとする男としてでもなく、過去に犯した過ちをなんとか正そうとあがく市民として物語の中を生きていきます。

 その自らを矯正する行いの礎になるのは家族です。
 レオ自身は養女ゾーヤを救わんがために命を賭した決死行を敢行します。
 犯罪者集団ヴォリの若者マリシュはゾーヤと出会うことで、経験したことのない家族の安らぎを感じ始めます。
 レオのブダペスト行きに同行したハンガリー人カーロイは息子の危機に接して、自らの危険も顧みない行動に出ます。

 ことほどさように、人は自分の家族に対しては無償の慈しみを感じることが出来るのです。
 そして今私たちが学ぶべきは、自分が感じる家族への愛情が、他者の心の中にもあるという至極当たり前のことを想像できるようになること。その健全な想像力があるところに、「しかたのないことだった」という屁理屈が巣食う余地は現れないはずだから。

 主人公レオが新しい家族を創造すると共に、あるべき豊かな想像力を育む姿を感じる。
 これはそんな小説です。
訳者はもう少し考えてほしい。 ★★★☆☆
前作でもそうでしたが、この翻訳者は、レオとライーサの夫婦間の会話でも、男女の言葉の違いというものをまったく考慮していません。だから女性の造形に深みがでない。
他には、smooth を「すべらかな」。これは文語ですね。凍った川のすべらかな表面。
間違いじゃないけど、普通はこんな風には言いませんよね。
crowded を「ぎゅう詰め」。間違いじゃないけど、普通は「ぎゅうぎゅう詰め」ですよね。
下巻201ページの「技術大学に大勢が集まった」
原書では、the Technological University と、わざわざ大文字で書いています。
これはブダペスト工科大学のことでしょう。
202ページの「ジョルトは技術系の学生だった」
engineering student は、普通は「工学部の学生」と訳すんじゃないでしょうか。
内容は、前作よりも編集者の影響というものを感じました。
余程優秀な編集者が担当しているのでしょう。
ただ、前作よりはすこし落ちます。それに、翻訳で減点1になるから、星3つとしました。