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源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり (朝日選書 820)

価格: ¥1,365
カテゴリ: 単行本
ブランド: 朝日新聞社
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面白かった ★★★★☆
研究者以外には意外と知名度も関心も低い一条天皇と定子について書かれた「読み物」として面白かったと思います。高校生に読んで欲しいですね。
林真理子が絶賛していたのは、分かる気がする ★★★★☆
本書の印象をピタリと表しているのが後書き末尾、夫への謝辞中の「高等学校の日本史教員である彼は、高校生が引き込まれる副読本、物語に読みふけって泣いたり笑ったりしているうちに、自然に歴史や古典の基礎知識が身につくサブテキストを求めていた」とある件り(p286)。奥付の略歴を見ると著者自身も大学卒業後、県立図書館の地域史編纂室を経て高校教員を経験しているから、「高校生の副読本」というコンセプトは、かなり意識されていると推測される。
あくまで素人の印象論だが、本書は学問的発見の新しさを競うものではない。研究者たちがバラバラに発表してきた発見や解釈を、副題通り「一条天皇と后たちのものがたり」として織り上げたところに手柄がある。「と私は思う」「と私は考える」「そう私は信じている」などの表現乱発が気がかりと言えば気がかりだが(いったい何か所あるか、数えてみてください!)、研究者としては勇み足気味の、いわば『栄花物語』的な叙述と内面描写あればこそ、「古文」の世界が「ものがたり」として立ち上がったのではあろう。
ただし、その「ものがたり」のお行儀の良さが物足りないという向きもあろう。「女性の視点に配慮した愛と死の物語」というのは、見事に今どきの学校教育的「正しさ」の枠組みに納まっているし、「高校生向きじゃない」部分に敢えて踏み込まない「お上品さ」に、つい「優等生向けハーレクイン」と悪たれ吐きたい気にもなる。橋本治『院政の日本人』を読めよ、とまでは言わないが(……言ってるかw)。
また本書は登場する女性たちの名前に一切ルビを振っていないのだが、これは不自由だった。著者だって「仮説としての読み」(p36)で音声化しているのだろうから、一言断ってルビをつければ済む話ではないか。そんなところで厳格じゃなくても……あと「キサキ」での表記統一も、気になった。副題は「后」なんだけどね。
素晴らしい。 ★★★★★
一条天皇とその后たちを中心に歴史を紐とくというのがなかなか面白い。
一条と定子の純愛はほんとに心を打ちます。
その定子に使えた清少納言も立派な人物だとおもいます。

さて、問題は彰子の方です。なかには彰子を美化しすぎているという意見もあるようですが、彰子が敦康を可愛がり、立太子できるよう父の道長に頼んだのは事実だとおもいます。
継子とはいえ、彰子が敦康を育てはじめたのは入内してまもない、つまり少女だった頃です。
この頃彰子には小さな妹がいて、だから敦康もかわいい弟のような感覚だったと思います。
彰子はのちに政治家は思いやりをもつべきとの意見をしたほどなので、敦康に対する思いやり(義理の母親としての思いやり)があってもおかしくないはずです。
もちろん一条天皇が一番に愛したのは定子です。
でも彰子もそれを充分理解し、夫を支え続けたのではないでしょうか。

長くなりましたが、一条、定子、彰子だけでなく紫式部や道長の妻倫子など、他の人物たちも凄く魅力的に描かれています。
源氏物語の描かれた時代を本書でぜひ味わってみてください。
一条天皇は最期の瞬間まで定子を愛していたと思えた。 ★★★★☆
一条天皇と皇后定子の愛情は本当にこうだったのだろうと充分頷けるものがありました。しかし彰子の「定子腹の第一皇子を東宮に」という想いはやはり眉唾のように感じます。なにしろこの本には、晩年の一条天皇が道長・頼道親子により受けていた物理的ないじめについての記述がありません。一条が彰子に第二皇子を産ませた事は道長への遠慮であったにしても、翌年には更に第三皇子を産ませている事から、第二皇子が切っ掛けで一条と彰子は本当のむつまじい夫婦になれたのでは―――と本書にありますが、もし本当にそうなら道長・頼道は一条にいじめなどはしなかったのではないでしょうか。
道長・頼道が晩年の一条をいじめた原因は、一条が死の直前まで定子腹の第一皇子の即位にギリギリまで固執したせいかな?と私などは思いますが、むつまじい夫婦になっていたのなら、彰子は何故その時に夫の窮状を救おうとした形跡がないのか。彰子が本当に我が子より養い子の方を優先しようと思っていたのなら、父と弟の夫への不埒な振る舞いが始まった時点で抗議のひとつもしていそうなものです。「第一皇子を東宮に」という希望は、もしも彰子が本当に口にしたとしても、単に養い子への遠慮から出た、恐らく建前でしかなかったと思います(育てただけに愛情が全くなかったわけではないでしょうから)。
本書には、彰子腹第三皇子が即位の際、定子腹第一皇子の娘が中宮となって入内し寵愛されたとあります。そしてそれは「定子腹第一皇子の血を皇統に入れる」という彰子の切実な願いが実現したものだとありますが、これも些か眉唾な気がします。定子腹第一皇子の娘は頼道の養女として大切に育てられていたのは事実ですが、ほとんど寸前まで后がねとしての養育は受けていなかったのです。頼道と正妻の間には娘が一人も生まれず、外戚になる為の持ち駒ゼロ。頼道自身による切羽詰まった挙げ句の養女の入内であり、彰子の意志はほとんど関係ないでしょう。
だからこそ、「露の身の(?)の宿りに君を起きて〜」のこの一条の辞世の歌は、行成の言うようにやはり定子へ向けられていたと私は思います。ただし、「(風)の宿り」は行成の聞き間違いで、そこの部分に関しては道長が記していた「(草)の宿り」が正しいのじゃないかな。
定子の辞世の歌にある「草葉の露をそれと眺めよ」。
一条の辞世の歌は定子のこの辞世にかけているとしか思えません。
一条は最後の意識を失う寸前、定子の事ばかり考えていたんじゃないでしょうか。露となって草を宿りとしてこの世に留まっているであろ定子の魂を想い、ああもうすぐ定子に会える…なんて考えてて、ハッと気が付いた。ヤバイ、定子は一端出家したのを自分が力尽くで還俗させたのに、自分だけうっかり出家してしまった…!このままだと自分だけ成仏してしまう!―――みたいな感じで目が覚めて、そうして出来たのがあの最期の歌。
彰子の美談は眉唾では…と書き連ねてしまいましたが、しかしだからこそかえって一条の定子への愛がその今際の際まで続いたのだと確信できた気がしてます。
力作だとは思いますが... ★★★☆☆
しっかりした内容だし、力作だと思います。
一条天皇周辺の事について初めて読む人や、詳しい
ことを知らなかった人には、目からうろこの情報も
あると思います。
ただ、定子と彰子についての記述や著者の考えには
個人的にあまり共感できませんでした。
(元々、栄花物語は道長賛美の本だし...)
たとえば、定子の生涯を綿密に調べて描いた秀作、
『たまゆらの宴』(斎藤雅子著)を読んでから
こちらを読むと、違和感があります。

その時代の人が本当はどういう人だったのか、
研究や検証を重ねても、正確な所は誰にも断言
できませんが、読者も1つのテーマに関して
色々な本を読んで考える事が大事だと思います。