アンチ・ミステリー
★★★★★
女子高生の墜落死をめぐる事件です。
事件とその伏線と謎ときの部分だけなら、短編にまとめられる程度のものだと思います。
でもこの「円紫さんと私」シリーズは、日常の謎を扱ってきた現実的な世界であり、人の死というテーマを物語るには、短編形式の軽妙なスタイルを採ることが難しかったのではないかと思います。
通常のミステリーは、動機を知るために被害者の負の面を探り、そして事件の真相をつきとめて事件も物語も終わりますが、本作は、亡くなった少女がどんな人間でどう生きようとしていたのか、そして彼女の生はいったい何を残したのかが、全編のテーマであり、事件の真相を知ることよりも、もっと重要で困難なことが存在し、事件は決して最終的には解決できないことを物語ります。
作品中の”本当にいいもの”の部分は名言だと思います。心に沁みます。
「救う」ということの意味を考え続ける
★★★★★
内容は、他のレビューのとおりなので、省く。
お一人のレビュアーの方と重なってしまって申しわけないが、同じ感想を持っていたので、書かせていただく。
誤ってとはいえ、最愛の娘を死なせてしまった親友、その子に母親がかける「許すことはできなくても、救うことはできる」というセリフを、いつまでもいつまでも考え続ける。わかるようで、わからない。それは私が「親」ではないからだろうか。人を「救う」ことと「許す」ことは果たして本当に両立するのだろうか。多分、一生頭を離れないテーマになると思う。
蛇足。名前の響きも字面も含めて割と好きだった花の別名は、知識は一つ増えたけれど、知りたくはなかった。
「許すことはできなくても、救うことはできる」この言葉の重さが・・・。
★★★★☆
おなじみの円紫シリーズ。今回の話は、「私」の後輩にまつわる話だ。
真理子と利恵、この二人の後輩は「夜の蝉」の中でもほんの少し顔を出す。
今までも、そしてこれからも一緒だったはずの二人。だが、ある日突然
二人の関係は断ち切られる。残った者と残された者。どうしてこんなことに
なってしまったのか?二人がどれほど仲がよかったか、その深さを知れば
知るほど読んでいてつらさが増していく。特に利恵の心中を思うと胸が痛い。
人の命とはこんなに脆いときもあるのだ。「生と死」「いのち」、重い
テーマを作者は見事に描いている。結末もよかった。「許すことはでき
なくても、救うことはできる。」このひと言の意味はとても大きいと思う。
秋の花
★★★☆☆
「空飛ぶ馬」から続くシリーズ物。
主人公の私が出くわした奇妙な出来事を推理が得意な落語家円紫さんが見事に解いて見せるという筋書き。
今回の話は、私の後輩にまつわる話。近所に住む三歳年下の高校生。彼女と幼馴染で大の仲良しが事故でなくなった。それ以来落ち込む少女。なぜ、死んだ友達は一人で人気のない学校の屋上に上がったのか。そしてなぜ墜落死したのか。
推理することは後輩の死についての謎である。話はその謎に終始するのではなく、私の友人、正ちゃんや恵美ちゃんとの大学生活の様子なども書かれている。一見接点を見せないこの二つの行動だが、友人二人に事件のことを話すことによって、はたまた、友人たちとの出かけた場所や行動がヒントになって事件の真相に迫っていく。
結局円紫さんが出てきて、謎を解いちゃうんだけど、途中のあれこれ考えるところがなかなか面白い。それからこの私は正ちゃん相手にいろいろ語るのだが、今回はフロベールというフランス人作家と「野菊の墓」も少し出てくる。推理だけじゃなく、文学も学べてしまう優れものなのだ。
北村氏のミステリーといえば、人が死なないんだけど、今回は殺人事件ではないが、死人が出る。
個人的には面白い話ではあるが、少し後味の悪い話でもある。
その、見えざる手
★★★☆☆
推理小説(あるいはその形式を採った作品)の利点は色々あるのだろうけれど、個人的には作中でのターゲットの心の動きを分析することが、巡りめぐって読者自身の心を分析することを可能にする点が面白い。また、本について語ることはつまり自分について語ることだ、とは作中で主人公が語るセリフだけれど、ならば「語るに足る推理小説」は二重の自己分析を可能にするのではないだろうか。一度は物語が与えるメソッドで。そしてもう一度、今度は自分のやり方で。
本作の種明かしはまことに可愛いもので、それに割かれるページ数からもわかる通り、それ自体に重点はほとんど置かれていない(ように見える)し、悪く言えば実際、それほど面白くもない(ように思える)。ただし曖昧模糊とした状況で主人公が語る「稲穂の蔭」のような数々のヒントが、読者を事件の真相にではなく、それをどのように受け止めるのかという「意味づけ」にこそ導くように、結局のところ、この物語は自分自身に対する推理小説なのである。
真理子という示唆的な名を持つ、既に止まった時間を核に、利恵、私、そして読者はそれぞれ「彼女」の心を読み解こうと試み、やがて「自分」の位置に思いを馳せる。あるものは倒れ、あるものは絶望し、あるものは迷い続けるその途上に、彼女の残した「きっと」という言葉。それは運命、その意味へと向き合う人の希望であり、なによりも祈りなのである。最終項、母のまぎれもない鎮魂のことばが、本作の本質を物語る。
――, 永遠の安息を彼らに。絶えざる光を、かれらの上に。