生きるということ、他人と関わるということは、結局ある自分を演じること
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1997年に「グリコ・森永事件」をヒントに執筆された単行本を、今回全面的な改訂を行い文庫化したものだ。巨大ビール会社を脅迫する犯人とその事件に関わる人物の生き様を丹念に描いている。
犯人は競馬仲間だが、それぞれ生きていく上で鬱積したフラストレーションが溜まっている。物井の実兄はビール会社に勤めていたが、退職後は報われない人生を送り亡くなった。孫はビール会社の就職活動中に事故死した。脅される側のビール会社の社長にも人に言われぬ負い目がある。捜査する警察にも、新聞社にもいろんな事情があり、いろんな人物が関わっている。人それぞれに過去があり、不満があり、固執するものがあり、ということだろう。
タイトルの「レディ」とは、犯人の一人の身体障碍者の娘のことであり、「ジョーカー」とは、トランプのジョーカー、つまりババのことである。運命とはいえ身体障碍者として生まれた者、社会の底辺でしか生きられない者、・・、それらの不条理さがタイトルになっているような気がする。
また、個人が所属する組織や社会の中で演じなければならない自分と、そうでない本当の自分とのギャップを埋められない苦悩が、あちこちに描かれている。生きるということ、他人と関わるということは、結局ある自分を演じることではないかと考えさせられた。
高村薫の作品を読むのは初めてだが、心理描写の緻密さ、表現の多様さには驚かされた。単純明快に結論を出せる人は少なく、ああだこうだと心の中で反芻しながら何らかの結論を導き出すものだ。また、他人への怒りがだんだんと高まっていくときの心理描写もすごいと思った。
また、警察と新聞社の関係、地検特捜部の当事者との裏交渉、政治家と裏社会との関係なども、各所に織り込まれており、実際にもこういうことが行われて、報道され、捜査され、政治が行われているのだと感じた。
重厚な語り口
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大阪人の私にとって、グリモリは万博と並ぶ特別なものである。
それを、大阪人の高村薫が書くとなると・・・
単行本はすぐに購入。
確か3日ほどで読み終えた記憶がある。
内容もあまりはっきりとは覚えていない。
それは本の内容が悪いからではなく、
私たちぐらいの年代の大阪人にとっては、
それぞれにグリモリの犯人像やドラマがあるからだ。
単行本は、数度の引越しのため、今手元にない。
だからいつ文庫化されるのかと待ってましたよ。
まだ上巻まで読んだところですが、重厚な語りに圧倒されることは確か。
今読むべきは、「ファッション」本と化したあの人の本ではなく、
高村薫とずっと思ってきたのだけれど、
若い世代のどう受け入れられるのか。
本の内容とともに、レビューも気になります。
人間の意志に関係なく・・・
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多くは書きませんが、何と言っていいのか・・・
何気ない発端があちこちでいろんな事・人・感情・事件を巻き込み
最後はうねりのような得体の知れない生き物のように展開します。
この方の著書は読むのにとにかく体力が要りますね。
改稿と我々の時代の変化で二度美味しい
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グリコ森永事件をモチーフとした長編。文庫本化に際して、高村薫氏恒例の改稿が施されている。
改稿前の作を最後に読んでからだいぶ経ってしまったので、曖昧な記憶しか残っておらず読み比べないことにはどこがどう変わったかというのは明確には言えないが、「マークスの山」、「照柿」、同様かなり手が加わっているように感じる。また全体的に文章が読みやすくなっている感がある。(と言っても冒頭の文体は変わらず)
登場人物の描写がかなり丁寧になっている気がし、本編たる企業テロだけに留まらず、部落問題や障害者など日本社会が見て見ぬふりをして過ごしている問題はこれまで以上に切り込んで深い描写がなされている。
1990年代前半の日本が舞台で、現在の日本が当時と比べてあまりに多くの物事が変わってしまったという感想を持った。9.11以降、テロという言葉が日常的に使われ、息苦しくぎすぎすした感が日常的になり、それに対して何の疑問ももたなくなっているが、90年代日本が舞台の本作を読んで、今の社会情勢がいかに現代固有の事象なのかということを痛感させられた。だから、初めて本作を読んだ時と、10年近く経って読んだ今では受け止める印象がかなり違ってくる。今となってはこの作品は初出が90年代だからこそ発表できた小説でないかとすら思える。
また、インターネットや携帯電話が今ほど普及していない時代の警察や報道陣の描写は、この10年、20年で技術が大きく発達したものだと改めて気づかされる。
改稿前を読んだ人は改稿箇所で楽しむこともできるし、我々の時代の変化による読み応えの変化でも楽しめる。初めての人は、改稿のことは気にせずに圧倒的な筆致による高村ワールドを存分に楽しんで欲しい。
当代きっての書き手の代表作・やはり圧倒されます
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オウム事件に題材を取った村上春樹氏の『1Q84』が話題になっているとき、
カルトのテロに揺れる90年代初頭の日本を舞台にしたこの傑作が文庫化されたことは
偶然とはいえ、感慨を覚えてしまいます。
昭和22年に書かれた冒頭の手紙に始まり、名もない庶民の戦後史と巨大企業の自己防衛が
運命的に絡み合って大きな事件に発展する上巻は、きわめてスリリングです。
事件が勃発してからの息詰まる展開、
戦後の日本政治・経済に向けられた批判的な視点、庶民の哀感としたたかさ、
財界・官界・マスコミ等、日本社会を動かしてきた機構と
それをになう男達の迫真的で緻密な描写には、ただただ圧倒されます。
とりわけ心ならずも事件に巻き込まれていく日之出ビール社長城山恭介、
合田雄一郎をはじめとする警察陣、巨悪を探る根来記者などのマスコミ関係者といった
ひとりひとりの葛藤と孤独と懊悩が、この作品に単なるサスペンスにとどまらない
奥行きと重厚さを与えています。
高村氏は、この『レディ・ジョーカー』以降、日本の戦後を鋭く見つめた優れた作品を
次々と生み出していきます。当代きっての書き手のターニングポイントとも呼べるこの傑作を
改稿された文庫で読むことができるのは、実に嬉しいことです。