季語に縄文人の息吹を見出す
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これまで季語というのは平安後期に生まれたとされてきたのだそうだが、本書の筆者は、雪・月・花という季語について詳細に民族学・考古学的な思索を展開し、それらのを尊ぶ意識や観念が、縄文時代以来の生活意識に根ざすものであると提案する。日本列島の豊かな自然と移り変わる四季を愛でてきた我々の祖先は、言葉の端々にそれらを鑑賞する精神を埋め込んできたのであろう。
何分スケールの大きい話で、完全に証拠をもって証明するのは難しい問題だが(縄文時代にタイムスリップでもしない限り)、論証は多くの事象がとりあげられ、緻密に論考が進められているので、一定以上の説得力があるといえる。
考えてみれば今日でも公文書に気候の挨拶を使ったり(何を使えばよいか苦労されている方も多いはず)、普段のあいさつでも「涼しくなりましたね」「春めきましたね」などと四季の移ろいを取り入れているのだから、四季のある中緯度に位置する日本列島の住民には、季語というのは代々受け継がれている文化習慣といえるのだろう。